« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月

2017年5月28日 (日)

母の死

内田美惠子

 5月19日(金)、朝6時に目覚め、その日一日の日程と挨拶文のチェックをしていたところ珍しく携帯電話のベルが鳴った。「緊急事態以外に早朝の電話はしないよう」事務局や身内には伝えてあるため、「何事か!」と手に取ってみると妹からの緊急電話であった。
 先日、入院中トイレに行こうとして転倒し、大腿部骨折の手術をしていた母が「手術後半日経過した本日(19日)未明になって容態が急変した」との知らせであった。
 とりあえず朝一番目の仕事には代理を立て、病院へ急行した。病室にはすでに妹達が到着しており、医師と看護師による心臓マッサージの緊急措置の真っ最中であった。もう本人の意識は無く、体温も低下しており、普段から低体温である母の体はさらに冷たくなっていた。
 時の経過と共に、脈拍と心拍数の機械表示の数値が下がってゆく。ゼロ表示になっては、心臓マッサージの圧力で再び数字が戻ってくる。他人の力で血流が保たれているだけの母の姿が哀れでもあった。肺が破れ、血が口から逆流するようになり、何度目かのゼロ表示のあと臨終の時を迎えた。午前10時6分であった。
 高齢者の骨折がそのまま死につながることは少なくない。そのため〝転倒骨折〟の報を受けた段階で手術ができるのかどうか危(あや)ぶんでいた。
 今回、転倒から8日間の時を経て、体調の安定を確認した上で手術に臨んだと聞いている。生来、過敏体質であり、常に多種の投薬を行っている母であるので、さらなる投薬に加え出血、輸血を伴う手術は過重な負担となったのだろう。手術そのものには成功したものの結果的に死期を早めてしまったのかもしれない。

 いずれにせよあまりに突然の母の死であり、なかなか現実を受け入れることができなかった。後に火葬場での遺骨拾いの際に、もろくなってほとんど原形をとどめない母の遺骨とは対照的に、黒く焼けながらもしっかりと形状の残っていた人工関節の金属に対し、妙な無常感を覚えたものであった。

 葬儀は身内だけでしめやかに行うことも考えたが、友人知人の多い母であったことを思い、親族、子供としてできる限りの葬式を行うことにした。

Uchidafamily12

Uchidafamily13

 盛大なことが価値があると思っている訳ではありませんが、5月22日(月)の通夜式、23日(火)の告別式には1500人程の皆様の御会葬と300通近くの御弔電を頂き、これまで見たこともない多くの生花と共に母を送り出すことができたことに対し、心から感謝申し上げます。
 また、葬儀の時間短縮のため個別焼香のお名前呼び出しの省略と、以下5名の方々のみの御弔電披露となったことをお詫び申し上げます。

 安倍晋三内閣総理大臣
 大村秀章愛知県知事
 豊田章男トヨタ自動車株式会社代表取締役社長
 益子修三菱自動車工業株式会社代表取締役社長
 大林市郎岡崎商工会議所会頭、岡崎信用金庫会長

*個別でお手紙、ブログへのお便りを頂いた皆様へも心から感謝申し上げます。
 以下は私の当日の遺族代表の挨拶です。


 遺族を代表し御挨拶を申し上げます。
 本日は皆様御多用の中、亡き母、内田美恵子の通夜式並びに葬儀に際しまして、4名の愛知県副知事はじめ公職者の方々、多くの皆様の御会葬を賜りましたことを心より感謝申し上げます。
 母は昭和6年(1931年)8月29日の未年(ひつじどし)生まれの満85歳であり、この夏を迎えていれば86歳となるところでありました。
 このところ年中行事のようになっている、定期的な病気治療の入院中の出来事でありました。去る5月10日、自身でトイレに行こうとして転倒、大腿部骨折という大ケガをしてしまいました。高齢者の骨折が死期を早める事例も多い訳でありますが、比較的事後の経過も安定しており、1週間ほどして人工関節にする手術を行いました。
 手術後の結果も良く、リハビリを行う手はずも整い、本人も意気軒昂であったのですが、手術後半日程経過した頃、突然容態が悪化し、急性循環不全のため還らぬ人となりました。
 身内の誰もが亡くなることを想定しておらず、いつもの治療入院であり、週末には見舞いの面会ができると考えていた矢先の出来事でした。私達も驚いておりますが、ひょっとすると今一番驚いているのは狭い棺(ひつぎ)の中にいる母・本人ではないかと思っております。

 母の旧姓は杉浦美恵子であり、岡崎市立高等学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を卒業後、父・内田喜久と結婚し、愛知新聞社社長の妻となり、その後政界に転じ、県会議員、岡崎市長となった父と共に多難な人生を生きて参りました。

Uchidafamily11_2

Uchidafamily6dvd

大平正芳首相

 母は平成7年(1995年)の私の3回目の県会議員選挙の折、しばらく地元を離れていた父の替わりに選挙区内を歩き回り、無理を重ね足を痛めてしまいました。その後、モルトン病、膠原病、シェーグレン症候群を併発して歩行困難となりました。
 この20年ほどは外出は病院と美容院に出かけるくらいの生活となっており、長らく多くの皆さんに御無沙汰をしておりました。それでもおかげ様で年老いてからも本人の意識はしっかりしており、私と会う時など、その都度TVなどで仕入れた情報を元によどみなく様々なアドバイスをくれたものです。私も多忙のゆえ3ヶ月に1回くらいしか会えなくなっておりましたが、母の存在は一つの心の支えであったような気がしております。近年は歩行が困難なゆえに自身の行動は思うに任せない状況となっていましたが、多くの方々の励ましと友情のおかげで元気に過ごしておりました。

 最近の母の一番の喜びは七人の孫達がそれぞれに自分の道を見つけ、人生の歩みを始めていたことであると思っています。
 中でも先頃結婚致しました私の長女がこの秋に出産を控えており、初のひ孫の顔を見ることを楽しみにしておりましたので、ただそのことが心残りであります。
 私としましても現在進めております本市の様々な施策の内、市街地活性化事業の一つ、乙川リバーフロント計画の(仮称)乙川人道橋の完成を間近に控え、〝三世代夫婦の渡り初め〟が行われる場合には車イスを使い、その仲間入りが出来るものと思っていたことが残念であります。

 母はお嬢さん育ちであったため、モノをはっきりと言い過ぎ時に誤解されたり、少々我がままな所もありましたが、人にはやさしく世話好きで動物達にもやさしい心配りをする人でした。私達兄弟が皆動物好きであるのも母の影響であり、私達が捨て犬やノラ猫を拾ってきた時もいつもやさしく見守ってくれる人でした。

Uchidafamily3dvd

内田美惠子

 若き日の母はとても活発でおシャレでモダンな人でした。映画や文化芸術にも詳しく、手先が器用で多趣味であり、ものの考え方も柔軟性に富み先進的であり、私のアメリカ留学を後押ししてくれたのも母でありました。
 また私達子供に対しては教育熱心のあまり、時に厳しい一面もありましたが、あらゆる意味で話の分かる人であり、人生の良き相談相手でありました。まだまだ報告しなくてはならないこと、見てほしかったモノなどたくさんありますが、今はただこれまでの無限の慈愛と私達に施してくれた教育に対して感謝し、冥福を祈るのみであります。今後は天から孫やひ孫達の成長を見守ってくれることを願うばかりであります。

 本日は長きにわたり母と親交のあった皆様をはじめ、父と御縁の深い方々、また公職、官公庁、諸団体関係の多数の皆様方の御会葬を賜り、本当にありがとうございました。すべての御会葬者の皆様方に遺族を代表致しまして重ねて御礼を申し上げます。本日は最後までありがとうございました。

Uchidafamily11179

追伸
 母は茶目っ気のある人で、私達が子供の頃、よく死んだ振りをして驚かされたものですが、今でもひょっとすると「今度は完全にだまされたね」とか言ってひょっこり現れそうな気がしています。
 それほど急な母の逝去でした。

|

2017年5月24日 (水)

『リバ!』2017年6月号

愛知県議会議員選挙(1987年)

内田康宏事務所よりご案内申し上げます。
『リバ!』2017年6月号が発行されました。
先日の「政治と政争」が掲載されました。

|

2017年5月18日 (木)

政治と政争

――以下の文章は、5年前の最初の市長選後に書きながら、周囲のアドバイスを受けて棚上げになっていたものである。久しぶりに読み直してみて、今日にも通じると思い発表することにした次第である。――

 先日(注・5年前)某新聞に載っていた「政争の町、岡崎」という記事を読んで、まったく「わかっちゃないな」と感じた。その記事は、『過去を反省し「政争の町」から脱却すること』が『新トップの手腕にかかっている』と訴えていた。
 そもそも政治の原点というものは、戦いである。食べ物をめぐるもの、水をめぐるもの、領土をめぐるもの、また様々な利権をめぐるもの、そうしたものを血を見ずにして解決しようとするところから政治というものが生まれてきた。
 しかし、政治というものの本質がそうである以上、政治が争いというものから無縁ではあり得ない。古今東西の国家間の利益をめぐる交渉ごとの例を見ても、軍事力の行使があろうとなかろうと、そこに力の存在というものが無縁であったケースなど聞いたことがない。この世で政治のあるところに政争のないところなどは無いのだ。それが現実というものである。
 個別の名前は控えるが、愛知県の市町の中でもかつて政争の激しかったところはいくつもある。現在、一見平和的にものごとが進んでいるからと言って、決して政争がなくなっているわけではない。そのことはそこで政治に関わっている人々と話せばすぐにわかることである。現状の表面的平穏は単に双方が折り合いをつけているだけのことである。政争というものは、政治現象が争いごとの過程において温度が上がり沸点に達したときに発する現象であるとも言える。表面上、見えないからと言って無くなっているわけではない。それこそが人間の持つ性(さが)であり、業(ごう)であるからである。

 前述のごとく日本のマスコミの中には何かというと平和的話し合いですべて解決するような論を説く人がいる。しかし実際の世の中には、話し合いとは時間かせぎのための方便に過ぎず、その機に自分達の主張を相手にのませ、逆に相手の言うことなどハナから聞く気のないという人達もいるのである。そうした人間の業のような性質を理解していないから、きれいごとのおためごかしの正論が言えるのである。パワー・オブ・ポリティクスで物事が決まる現実において、話し合いも力の裏付けがあってこそ成立するものである。(北朝鮮が核とミサイルに固執する理由もそこにある。)

 以前私は、カリフォルニア大学バークレー校で政治学を専攻していたアメリカ人の友人フィリップ・キース君に、岡崎の政治について次のように説明したことがある。

Phillip E. Keys and Yasuhiro Uchida

「岡崎という町は、他の地域のように保守と革新が競うという政治土壌はなく、戦前から保守が二派に別れて権力闘争をするという伝統がある。革新勢力はそのときどきでそのどちらかに乗ったり、乗らなかったりという存在である」
「現実に戦前は政友会と民政党の系列で争った時代があり、戦後は愛市連盟VS光会(ひかるかい)の時代、そしてその流れを受け継ぐ者たちの戦いの時代、近年は保守の旧勢力と新興勢力の争いという形になっている。いずれにしても理念性は薄いが、形としてアメリカの政治の共和党と民主党の争いの形態に似ている。それが岡崎の政治風土である」

 彼がこの内容をどこまで理解したかはわからない。その後数年岡崎市に在住し、私の最初の選挙も手伝ってくれたが、将来、彼が大学に戻るとき、日本の政治についての論文を書くための日本の地方政治のあり方の一形態としての研究の材料になればと思って話したことを覚えている。(現在、彼はカリフォルニア州の某カレッジの学長をしている。)

愛知県議会議員選挙(1987年)

 現在の岡崎の政治状況もそうした政治風土の一環と考えるか、都市型の政治形態に向かう成長過程ととらえるかは、その人の見方あるいは趣味の問題だと思う。
 私は、そうした岡崎の政治風土の中で生まれた保守の政治家の一人であるが、岡崎の持つ独自の歴史、伝統、文化、それに基づく地域的思考というものはそれなりにその地域の個性であって、決して恥じるべきものではないと思っている。そうした観点からも、政治の場における権力闘争というものは今後も無くなることはないと考えている。また、これはある意味、世界中のどこでも同じである。人類の存する限り、政争もなくならないのである。レベルの低い無益な争いは極力避けるべきであり、ものごとの折り合いはつけて行くべきであるが、自らの主張を曲げる必要はないと考えている。なぜならばそうした各種異なった考え方の集団の代表が、政治家であるからだ。
 一部マスコミの言う一見第三者的常識論は、決して神の御宣託ではない。鉄砲玉の飛んでこないところで、彼らの商売のネタとしての一面的なきれいごとの論理を展開しているに過ぎない。しかも、一部のマスコミ報道は、一見中立的に見えて実際は逆に政争を煽(あお)っているように見えるときがある。また、自らは他を自由に批判しながらも、逆に自分たちに対する批判は許そうとしない独善的体質があるように感じることもある。
 いずれにしても、私たちは自由主義社会にいながら、いつもどこかで彼らにマインドコントロールされている可能性があることも忘れてはならないと思う。

|

2017年5月13日 (土)

3ライオンズクラブの合同例会

岡崎葵ライオンズクラブ、岡崎竜城ライオンズクラブ、岡崎中央ライオンズクラブ

 岡崎葵ライオンズクラブ(1970年3月結成)、岡崎竜城ライオンズクラブ(1972年11月結成)、岡崎中央ライオンズクラブ(1977年3月結成)の3クラブの初めての試みである合同例会が5月11日(木)に開催された。
 出席した折の私の挨拶が、ちょうど最新の市政報告としてまとまっていたものだったので御報告する次第である。


 本日は3ライオンズクラブ合同例会にお招き頂きまして、誠にありがとうございます。また、皆様方には日頃より、市政運営に対しましてあたたかいご理解とご協力をいただいておりまして、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
 各クラブにおかれましては、長年にわたり青少年の健全育成や文化振興、スポーツイベントの開催や観光施設の整備など、多方面にわたる奉仕活動にご尽力をいただいておりまして、皆様方の取り組みに改めて感謝と敬意を表する次第であります。
 さて、岡崎市は昨年、市制施行100周年を迎え、皆様方のご協力により様々な記念イベントを実施することができました。そして今年は、この先100年の礎(いしずえ)を築くための重要なスタートの年となります。

家康行列、五万石藤まつり、将棋まつり
 その先陣となった先般の家康行列におきましては、本多忠勝公役として、俳優で武道家の藤岡弘、さんに特別出演していただきました。当日は現代のサムライと言える藤岡さんの姿を一目見ようと多くの方が集まり、特に模擬合戦の行われた乙川河川敷は大変な人出でありました。一声発するだけで観衆から歓声とため息がもれ、「さすが千両役者とはこういうモノ」と感じた次第です。今回改めて家康公と三河武士団発祥の地である岡崎を市内外の方々にしっかりとアピールできたものと考えております。
 また、先週開催された五万石藤まつり、将棋まつりでは、将棋界のトップスターに加え、連日テレビ等で取り上げられております藤井聡太四段の参加もあり、例年以上の大変なにぎわいでした。

第24回将棋まつり

五万石藤まつり

第24回将棋まつり

 私が余計なことを言ったせいで、プレッシャーとなったのか藤井四段は負けてしまいましたが、これは公式戦ではなく、その後連勝も18に伸びたのでひと安心です。
 このように各事業をとおして町の魅力向上をはかるとともに、充実した市民サービスを提供し続けるには、将来にわたって安定した財源の確保が不可欠であります。そのためには、現在本市の経済の柱であります自動車産業を中心とした「ものづくり」に加え、もう一つの柱として本市独自の自然と歴史文化遺産を活かした「観光産業」の育成が重要と考えております。その第一歩となるのが現在着々と進んでいる乙川リバーフロント地区の整備であります。

乙川リバーフロント地区の整備
 昨年春には乙川河川敷が整備され、殿橋と明代橋のライトアップもスタートしました。多くの市民や観光客の皆さんにお楽しみいただいております。
 また、殿橋と明代橋の間では、平成31年の完成を目指す(仮称)乙川人道橋の工事が進むなど、市民の皆さんが目で見て、整備が進んでいることを実感していただける状況となっております。
 さらに、人道橋と籠田公園を結ぶ中央緑道につきましては、このたび再整備の基本設計を策定いたしました。

中央緑道

Chuouryokudo20172

 この計画では、籠田公園から乙川人道橋までを4つのブロックに分け、既存の特性を活かしながら新たな活用方法を見出すこととしております。今年度、より詳細な設計を行い、平成31年度中の完成を目指して整備を進めてまいります。先日、私自身改めて現場に足を運び、この基本設計に沿って担当者と共に現地を確認してきたところであります。
 いつも申しておりますが、決してハードを整備することが最終目標ではありません。これにより出現した空間を使って、いかにまちのにぎわいを取り戻すかということが一番のポイントであると考えております。
 そのためには、公共が整備した空間を民間の皆さんに活用していただき、儲けを出していただくことで、その結果、行政には税としての収入を得るといった、稼ぐシステムづくりが重要であると考えております。

おとがワ!ンダーランド

 例を挙げますと、昨年度にはすでに民間の皆様による新たな挑戦となります「おとがワ!ンダーランド」や、2回となります中部地区最大級の光の祭典「岡崎泰平の祈り」などが開催されています。これら民間主体の公民連携事業は、岡崎青年会議所、市内7大学の協力を得て実施されました。

こども発達センター、額田センター、龍北総合運動場ほか
 他に昨年秋の市民会館のリニューアルに続き、この4月からこども発達センター「すくも」もオープンいたしました。そして、ただ今(仮称)額田センターも建設中であります。
 平成32年には「藤田保健衛生大学 岡崎医療センター」も完成いたしますし、市への移管が決まった県営グラウンド、(仮称)龍北総合運動場の整備も同じ頃完了いたします。

Nukata201609284

(仮称)額田センターのイメージ図

Ryuhokusogoundojo2

(仮称)龍北総合運動場のイメージ図

 その他に新旧東名高速道路には、それぞれスマートインターチェンジの建設を計画しており、東部のアウトレットの誘致も積極的に対応しております。矢作川堤防リフレッシュ道路や公園の整備も推進中であります。

東岡崎駅北東街区有効活用事業
 JR岡崎駅の再開発事業がこの10月に完成することは、新聞などにより皆さんご存じのことと想いますが、岡崎のもう一つの玄関口であります東岡崎駅の周辺整備につきましても、このたび駅東側の北東街区に、民間事業者の提案により、乙川河畔という絶好のロケーションを活かした9階建てのホテルをはじめとしまして、カフェやレストラン、観光物産や生鮮品を扱うコンビニエンスストアなどの複合施設の進出が決定し、平成30年度末頃の完成を目指して進められます。
 併せまして、東岡崎駅から乙川リバーフロント地区への安全な歩行者動線を確保するため、ペデストリアンデッキを整備してまいります。中央部分には新たな広場が生まれることとなりますので、完成後はイベント会場や朝市、移動ショップのような要素を取り入れた利活用をしてまいりたいと考えています。

 また、ペデストリアンデッキには、これまで様々な機会で申し上げてきましたように、徳川家康と改名した25歳当時の「若き日の家康公」のブロンズ像を川と緑を背景に設置することとしております。これを契機に、何としてもタヌキオヤジのイメージを払拭したいと考えております。
 この家康公像は市民の皆様の浄財をもとに制作を進めることにしておりまして、すでにこの会場の皆様をはじめ、多くの個人や企業の方々から温かいご協力をいただいており大変感謝しております。
 現在、募金も1年目が過ぎたところでありますが、何とか全額、寄附金で完成させたく思い、今後2年続けてまいりますので皆様方の引き続きのご協力をよろしくお願いいたします。

松平定知さん、内田康宏

 家康公像の寄附の点につきましては、先日岡崎を訪れた元NHKのアナウンサー松平定知さんが、大河ドラマ『おんな城主 直虎』のガイドブックの中で好意的な記事を載せて下さっております。他にもカラー刷りで名所旧跡などを詳しく紹介していただいておりますので、全てをご覧になりたい方は一度本屋さんまで足をお運び下さい(『2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」続・完全読本』、産経新聞出版)。

Naotora1_2

結び
 これらを始め、ただいま各施策が着々と形になってきております。あと2、3年もすれば景観ばかりでなく、人の流れやにぎわいも大きく変化があらわれますので、ぜひご期待下さい。
 さて、本日は最新の市政の動きの一端をご報告申し上げました。これからも引き続き、福祉や医療、防災や教育といった基本施策にはしっかりと取り組みながら、本市独自の自然景観や歴史文化遺産を活かした魅力あるまちづくりを推進することで、岡崎の子ども達が自らのふるさと岡崎に対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」づくりに邁進してまいります。
 皆様方には、なお一層のご理解とお力添えをお願い申し上げ、私からの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

|

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »