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2017年1月

2017年1月31日 (火)

藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に!

藤岡弘、さん

 昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
 出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
 昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。

家康行列(2014年4月6日)

 国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
 さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
 2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
 応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
 そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。

 ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
 今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
 藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。

 職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
 父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。

藤岡弘、さん

 藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。

 それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
 瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
 よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。

藤岡弘、さん

 話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
 これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
 別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
 しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。

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2017年1月26日 (木)

『岡崎まちものがたり』刊行。岡崎市民はスゴイ!

『岡崎まちものがたり』

 100周年記念事業の担当課から「100周年の主要事業として、学区ごとにそれぞれの歴史や文化、地域の特色を文章と絵や写真でまとめてもらい、それを一冊の本にして『岡崎まちものがたり』として出版する」という話を聞いた時、当初、正直言って「大丈夫かいな?」と思ったものである。
 地域によっては「そんなメンドウくさいことはどうもならん!」という所もあるかもしれないと思ったからである。事実、最初あまり乗り気でない総代さんもみえたと聞いている。

 ところが一旦プロジェクトが動き出してみると、それぞれの学区には地域独自の歴史、伝統、風俗、文化に詳しい長老・古老がおみえになり、また一家言のある郷土の歴史家や元先生、文章の達人、絵に自信のある方など多士済々であることが分かってきた。そうした皆さんにハリきって自らのふるさとへの思いや情報を書き綴って頂き、しまいには各学区8ページでは足りない程の内容のあるものが出来上がった。
 平成29年1月19日(木)、『岡崎まちものがたり』が完成したことを記念して市民会館でお披露目会を開催した。また同時に、市のホームページでも本の内容を公開した。

岡崎まちものがたり完成お披露目会

 こうしたものが地域文化の集積というものなのだろう。改めて岡崎市民の文化力の高さ、底力というものを再認識し、敬服している次第である。
 最終的に400ページにのぼる読み応えのある本となり、今我々が読んでも面白く、新たな発見となる話も多い。今やらなくてはできないものができたと思っている。これから20年、30年、あるいは100年先には大変な資料になっていることと思い、うれしい限りである。
 改めて御協力頂いたお一人お一人の皆様に感謝申し上げます。
 ちなみに表題の文字は徳川18代、德川恒孝(つねなり)様のものです。

―岡崎まちものがたり完成お披露目会での挨拶―
 皆さんこんにちは、市長の内田です。
 本日はご多用の中、「岡崎まちものがたり完成お披露目会」にお越し頂き、ありがとうございます。また、日頃は市政に対しまして格別のご理解とご協力を頂いておりますことに厚く御礼申し上げる次第であります。
 平成28年7月1日に市制施行100周年を迎えました本市にとりまして、この「岡崎まちものがたり作成事業」は、市制100周年記念事業の主要事業の一つであり、総代会連絡協議会の全面的なご協力を頂き、市内47小学校区の総力をもとに、市民の皆様が編集を行ったものであります。発行に向け、大変なご尽力を頂いた各学区まちものがたり作成委員会の皆様に対しまして、この場をお借りして深く敬意と感謝を申し上げます。
 この本は、先人の築き上げてきたこれまでの歩みにつきまして、写真を中心に振り返り、市制100周年時における地域の自慢などを市内外へ伝える記念誌として、大変すばらしい出来栄えであると感激しました。なお、各学区のものにつきましては、多くの皆様方の御要望に応え全戸配布を予定しております。
 この100周年は市の成長過程における一つの節目であり、これを契機として、今後も次世代を担う子どもたちが、ふるさと岡崎により大きな愛情と誇りを持つことのできる「夢ある新しい岡崎」の実現を目指していきます。
 そしてこの『岡崎まちものがたり』は、誰もが訪れたい、住んでみたいと思う、賑わいある活気に満ちたまちづくりに繋がっていく本になっていると考えております。現在進めている他の事業もこの2~3年の内に順次完成してまいりますので、こちらもぜひ御期待下さい。
 地域を改めて見つめ直し、岡崎について一層の理解を深め、愛情を持って次の時代に引き継いでいって頂くことをお願い申し上げまして、私からの挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。


  『岡崎まちものがたり』は、市制100周年記念サイトの「岡崎まちものがたり学区ページ」でも閲覧が可能です。47学区、それぞれの学区ごとにダウンロードできます。

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2017年1月20日 (金)

人生は戦いなり

Life is a Struggle

 現在、私の自室の正面にはクリムト作の「黄金の騎士」の複製画が飾ってある。本物の絵は愛知県美術館の所蔵するものであり、〝人生は戦いなり〟という副題がついている。気の弱い私は自らを鼓舞する目的で、この絵を目前に飾り、毎日見ているのである。

 人がこの世に生き続けるということは、それぞれ何かしかの戦いをしているということである。精子と卵子の邂逅を得て人間としてこの世に生まれる権利を手に入れるためには、まず数億の仲間(兄弟?)との競争に勝ち抜かなくてはならない。すなわち一つの生命の誕生のためには、数億の同様の可能性の犠牲があるのである。どのような平和主義者も人生の第一段階でこの戦いを制して生まれてきているわけであり、その事実を否定することはできないだろう。キリスト教の言う「人間の原罪」というのは、案外こんなところから発しているのかもしれないとも思う。
 さらに生まれ落ちた後もまだ戦いは続く。五体満足に生まれることができたか否か。知能や美貌に恵まれた否か。裕福な家に生まれたかどうか。そして愛情あふれる両親のもとに育つことができるかどうか。そうした、本人の意志ではどうしようもない、生まれつき備わった生物的基礎能力と環境的条件が個々の人間に与えられた人生ゲームにおけるアイテムであり、基本設定要件となる。
 その点で我々は初動の段階において、風に飛ばされる種子や鳥によって運ばれる果実の種と同じである。そう、人生とは生まれた瞬間から偶然と不公平から始まるのである。おまけに生まれる前や生後に親に殺されたり、捨てられる不運なケースさえある。
 誰しも偶然の所産として与えられたそれぞれの条件のもとに〝人生の戦い〟を進めて行かなくてはならない。第一段階の幸運不運の違いはあっても、例外は無いのである。

 戦いの種類は多岐にわたり、次々と降り注いでくる。進学、就職、資格の獲得、昇進競争や自ら挑む選挙もそうである。さらに配偶者獲得のための競争もある。こちらは個々の感情的要素がからみ、さらに難物である。そして幸か不幸か結婚に至っても、その配偶者と子供達との葛藤といった問題が加わってくる。
 先日新聞に、世の中には二通りの人間があり、それは「結婚を後悔している人間」と「未だ結婚していない人間」であると記してあった。
 先のことは分からないものであるが、うまくいったと思ったことが後にとんだ貧乏クジの元となることもあるし、その逆のケースもまれなことではない。そのように人知を超えた、思うにまかせないものが人生であり、人生航路の至る所にドンデン返しの落とし穴が散りばめられているからこそ人生は最後まで油断できないのである。

 幼少時から能力と才能を発揮する子供、上級に進学してから頭角を現す者、あるいは実社会に出て本来の実力が開花する人など様々である。一つの道を堅実に歩む者、運命のいたずらか本人の意志かはともかく、二転三転しながら成功する者しない者、幸せな人生を送れたかどうかは、本人の人生観、価値観にもよってくるため一概には言えない。いずれにしてもそれぞれの人生ステージにおいて次々と新たな戦いの場が用意され、それに勝ち残ることが要求される。
 時に神仏を呪いたくなるような過酷な運命を与えられ、しかもその中で戦い続けることを要求されることがある。戦いに倒れることがなくとも、その運命の重荷に耐えきれず、自ら人生ゲームを途中退場してゆく者もいる。
 それも選択の一つではあるが、人生の敗北者の烙印を消すことはできないであろう。チャンスは戦い続ける者にのみ与えられるのであるから。

 この仕事をしていると様々な人生を垣間見る機会があるが、これまで、生涯、幸運に恵まれた人生というのは聞いたことがない。
 また、人からうらやまれる富や社会的地位や名誉を持っている人が必ずしも幸せな人生を送っている訳ではない。家庭内や一族との間に不和を抱えていたり、子供の不出来や健康上の問題などに悩まされていたりもする。
 自らの失策や不運はもとより、他人の巻き添え、あるいは経済や社会の変化、法律の改革により窮地に追い込まれる人生もある。
 それでも生きてゆかなくてはならないのが人生なのである。

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2017年1月19日 (木)

『リバ!』2017年2月号

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内田康宏事務所から『リバ!』2017年2月号発行のお知らせです。
市長のコラムは「デマゴーグについて」です。

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2017年1月14日 (土)

銅像と偶像の違い

 今回家康公像に対して本市が試みている寄附金を主体とした新しいシンボル造りの事業は、キリスト教文化に根ざした欧米社会ではしばしば行われていることである。
 現在もそうしたものが、欧米を旅した時、各地で大切にされていることを目にするものであり、地域の人々の郷土愛のシンボルとして役立っている様子がよく分かるものである。

 かつて20代の頃、アメリカ留学からの帰国途上、単身で東欧からソヴィエト連邦を旅したことがあった。日露戦争の折、旅順港閉塞作戦で戦死した軍神・広瀬武夫少佐はロシア留学後にシベリアを単身犬ぞりで踏破して帰国しているが、そのことを記録した『ロシヤにおける広瀬武夫』という上下2巻の本を学生時代に読み、以来私もいつかユーラシア大陸を横断したいと夢見ていたからである。
 当時これらの国々のどこに行っても目についたのが、あのお決まりの気むずかしい顔をしたマルクスとレーニンの像であった。スターリン批判の後であったせいか、あのアドルフ・ヒトラーと並ぶ、カイゼルひげの虐殺者の像は目にすることは無かった。偶像がプロパガンダ(政治的宣伝)の一環を成すというのが当時のこれらの国々の常態であった。

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 シベリア鉄道を使って移動中、沿線の名も無き小さな町においても、日本の田舎のお地蔵さんのように、このハゲとヒゲのおじさん達の像はあった。お地蔵さんはたいがい町や村の片隅にひそやかにたたずんでみえるものであるが、これら権威主義の象徴のようなハゲとヒゲのおじさんの像は、どこの町でも一等地の真ん中に「これでもか」とばかりにふんぞり返っていたものである。
 中には金色や銀色に塗り上げられたモノもあった。当時それを目にした私は「金、銀とは太閤秀吉でもあるまいに、まさに成り上がり者根性の極みだな」と思ったものであった。
 昨今も同様の趣味の方が近隣の国にいるようであるが、「ムダな建造物」と言う言葉を使うならば、これらの像ほど無駄なシロモノもないだろう。しかもこれらの国々の場合、思想の押しつけがあるだけに余計に悪質で始末に悪いものであると思う。このような像こそ、人民の生活を後回しにして造られたモノなのである。きっと自分達の思想のもとに行われることは何でも正当化できると思っているのであろう。

 その後1990年代を迎え、ソ連邦の崩壊と東欧共産政権の瓦解に伴って、各国においてこうした偽りの偶像が民衆の手によって次々と引き倒され破壊されていったことは今も我々の脳裏にしっかりと残っているし、映像の記録が世界中に保存されている。まさに「圧政者の末路、あわれなり」であった。
 私は、負の遺産というものもそれなりに教訓的価値があり、できのいいモノは残しておいてもよかったのではないかと思っているのであるが、どうやらあらかた破壊されてしまったようである。プーチン大統領の時代になり、復古的風潮が出ているとのことであり(プーチンはKGB(ソ連秘密警察)の元工作員)、機会があれば再びロシアを訪れ、この目で確認したいものである。

 シベリア鉄道の車内食も今は改善されたそうであるが、当時は実にひどかった。そんな旅のさなか、各駅に停車する度に近くのロシア人の太ったおばさん達がバケツに塩ゆでしたジャガイモを山盛りにして売りに来ていた。1ルーブルでビニール袋いっぱいのジャガイモをくれたが、あれはおいしかった。

 それにしても冷戦下に共産圏の一人旅というのは、興味深くはあっても決して快適なものではなかった。各手続きにやたら時間がかかるし、団体旅行ならスンナリ通す所も、私だけやたらと多くの質問を受けた。さらに、いつも誰かに見られているような気がしていたものである。(単に当時のソ連人と風体が変わっていたせいかもしれないが・・・。)
 中央アジアのブハラでは、夜に民俗音楽の音(ね)に惹かれて道を歩いていたところ、民警に不審者と思われ勾留されたこともあった。アメリカを発つときに知人から、「先年、経済企画庁のOBがソ連を一人で旅していてスパイ容疑で逮捕され、1年間帰国できなかった」という話を聞かされていたため、自分もそうなるかと冷や冷やしたものであった。幸い、手ぶらでカメラも持っていなかったため、ホテルに連絡がとれて無事釈放となったのである。
 極東のナホトカ港には、日本人旅行者向けに無料サービスの共産主義に関する本が何種類も置かれていた。私はオミヤゲ代わりにと一通り、20冊ほどもらって帰国の船に乗り込んだ。そのためか、ナホトカから横浜港に到着した時に左翼過激派の一味とでも思われたのか、「どうして一人でソヴィエトに行ったのかネ?」と今度は日本の入国管理局で、私だけ40分近く念入りに取り調べを受けたことを今もなつかしく思い出すものである。

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2017年1月10日 (火)

若き家康公像の制作に思う

 12月末、岐阜にある神戸峰男(かんべ みねお)先生のアトリエを訪れた。若き家康公像の制作が着々と進んでいることが確かめられ満足であった。
 今回の家康公像制作のために神戸先生は新しくアトリエを増築されている。「日本一の騎馬像を造る」という決意が感じられて、感謝の念でいっぱいである。
 完成時には高さ3メートルの台座の上に、等身の1.5倍の騎馬像が屹立することとなり、高さ・大きさ共に日本一の騎馬像が誕生することとなる。試作の10分の1サイズと比べ、今回拝見した3分の1サイズのモデルは格段に写実的な出来栄えであり、春頃には実物の制作に入られるそうである。

神戸峰男先生、内田康宏

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 使用する粘土はイタリアのフィレンツェ産の土をオリーブオイルで練ったもので、3トンほどの粘土を使うという。支柱として使う木は地元、南木曽のヒノキだそうである。造り始めると作業台の高さも5メートル以上になるそうだ。時には夜中まで仕事に集中することがあり、作家の中には作業に没頭しすぎて落下死した方もあるという。神戸先生には、とにかく安全に制作して頂きたいと思っている。

 この事業は、市民の皆さんからの浄財(寄附金)を使って、東岡崎駅の北東街区に徳川家康公の騎馬像を設置するというものである。桶狭間の敗戦により岡崎への帰還を果たした松平元康が徳川家康と改名した25歳当時の若き日の姿を再現し、ピンチをチャンスに転換し、天下統一と平和な世の中を作り上げた郷土の英雄の姿から「困難に立ち向かい、人生を切り開いてゆく」精神を子供達に学んでほしいと願うものである。

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 正式な募金活動はまだ昨年4月に始めたばかりであるが、商工会議所の前会頭はじめ、岡崎信用金庫、その他多くの企業や篤志家の方々の熱い思いを込めた御寄附が続いている。目標額は設置費の半分ということであったが、このペースでゆくと全額寄附金でまかなえるかもしれない。本当に岡崎市民の皆さんは愛郷心の強い方々が多く、今更ながらに感謝申し上げるものである。

古澤武雄さん、徳川恒孝さん、安部龍太郎さん、内田康宏

 おととしの11月、家康公四百年祭のシンポジウム〝徳川創業期を支えた家康公と家臣団〟の折に、徳川18代の德川恒孝(つねなり)様も「このような企画の催しを行えるのは、全国でも岡崎くらいですよ」とおっしゃってみえた。
 岡崎独自の歴史、文化、伝統という切り口で真心をこめて訴えかけてゆくと必ずそれに応えて頂ける岡崎市民の皆さんには、どんなに感謝しても余りある。私達もこうした市民の御厚情に甘えるばかりでなく、善意の心にしっかりと応える仕事をしなくてはならないと思っている。

 しかし世の中には明があれば暗がある如く、物事を素直に受け止め協力して下さる方もあれば、何につけても足を引っ張ろうとする人もいるものである。
 岡崎の歴史を考え、多くの岡崎市民の期待感を見るにつけても、とっくの昔に設置されて然るべき、史実に基づいた〝若き日の家康公像〟の建設を「ムダ使い」であるとか「形を変えた政治献金か」などと揶揄する人もいる。こうした何事もゆがんだ目でしかモノを見られないかわいそうな人達も世の中にはいるのである。
 また、私は先頃小さな子供さんがお母さんの助けを借りて十円玉を募金箱に入れている姿を見たことがあるが、「そうした金額が少ない」とバカにする貧しい心の持ち主もいるのである。
 今回私達が試みている寄附金による事業というのは、決して個々の寄附金の多寡を競うものではなく、一人でも多くの市民の参加を願って行うものなのである。仮に一人でも5千万円寄附すれば5千万円になり、300人でも一人10円なら3000円にしかならない。そんな計算もできないのだろうか? また私は一部の集団のように半強制的な募金のやり方は好まない。
 たとえ一人一人の寄附が少額であっても〝自らも建設に関わったという参加意識〟や〝歴史を振り返る切っ掛けが愛郷心の醸成を促す〟ことに真の意味と価値があるのである。もっとも唯物的思想に凝り固まっている人々にそうしたデリケートな心の動きを期待することは無理なのかもしれない。

東岡崎駅周辺地区整備全体のイメージ図

 いずれにせよ、実際に若き家康公の騎馬像が完成すれば、そんな声も雲散霧消するものと思っている。単に観光のシンボルというだけでなく、入学試験やスポーツの試合に出かける子供達が東岡崎駅に向かう前に必勝の願いを込めてから出かけるような像となることも期待している。そしてこの像が明治維新以来、形成されてきたタヌキオヤジ的イメージを払拭して、新たな家康公の姿を現すものとなることを願っている。
 ギリシア、ローマの例を持ち出すまでもなく、ブロンズ像は戦争さえなければ2000年以上残る。今後末永く、太平の世を現出した郷土の英傑の志を伝えてくれることであろう。


若き徳川家康公の騎馬像、建築へ (2016.02.27)

新たなシンボル「徳川家康公像」 (2015.11.05)

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2017年1月 8日 (日)

平成29年 仕事始め式

平成29年 仕事始め式

 1月4日(水)、平成29年の「仕事始め式」を福祉会館大ホールにて行いました。市制施行100周年という大きな節目を迎えるにあたって昨年策定した、「岡崎市職員行動理念」を唱和しました。以下は私の述べた挨拶です。

―挨拶―
 皆さん、あけましておめでとうございます。平成29年の仕事始め式にあたり、御挨拶を申し上げます。
 新年を迎え、これから始まる一年への期待とともに身の引き締まる思いであります。職員の皆さんも、それぞれの抱負に向けて気持ちを新たにされていることと思います。
 昨年の市長選挙では、多くの市民の皆様からご支持をいただき、二期目の市政運営を担うこととなりました。これまで蒔いた事業の「種(タネ)」が地上に芽を出し、花を咲かせ、直に成果を感じていただけるようになる、その新たな一歩となる年として全力で取り組んでいく決意であります。

 さて、昨年から継続する市制100周年記念事業は、小学校区ごとの歴史や自然、地域自慢をまとめ、地域の宝を次代へ引き継ぐ「岡崎まちものがたり」や、次代を担う子ども達を対象に運動教室などを開催する「HOPEプロジェクト」など、いよいよラストスパートに差し掛かっています。
 また4月には、発達に心配のある子どもの相談、医療、支援を総合的に提供し、健やかな発達をサポートしていく複合施設として「こども発達センター」がオープンします。保健・医療・福祉・教育機関のネットワークを構築して切れ目のない支援体制が整うこととなります。
 さらに、乙川リバーフロント地区と一体的に整備を進めている東岡崎駅北東街区では、平成30年度末の完成を目指し、駅前広場や明大寺交通広場、周辺道路とともに駅と乙川をつなぐペデストリアンデッキの整備を進めていきます。そして、それらの空間を活用して様々な活性化事業を行います。

東岡崎駅北東街区有効活用事業

東岡崎駅北東街区

 こうした事業を着実に実行し、さらに福祉や医療、防災や教育といった基本施策の充実には引き続きしっかりと取り組んでいき、将来、私たちの子どもや孫に対し「今の岡崎は私達が作ったんだよ」と自慢できる仕事を共に成し遂げてまいりましょう。そのために、更なる自己研鑽を重ね、全力で職務にあたっていただくことを期待します。

 最後になりましたが、本年がこれまで以上に岡崎市と職員の皆様お一人お一人にとって飛躍の年となることを祈念し、年頭の挨拶といたします。本年もよろしくお願いいたします。

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2017年1月 4日 (水)

三匹のウチのネコ

 かつて我が家には七匹の猫達が生息していた。
 別にネコ好きの趣味があった訳ではなく、「もう拾ってくるな!」と言っても子供達が次々と子ネコを連れて帰ってきた結果、七匹となってしまったのである。また、ようやく安住の地を見つけ、エサにありついてホッとしている子ネコ達を再び路頭に迷わせる気にもなれず、そのままにしてきた私の優柔不断のせいでもある。
 そのネコ達も、老衰や病死、ネコ同士の折り合いの悪さでケンカして出て行ってしまったりで、現在の三匹(プースケ、ピー子、トラオ)に落ち着いた次第である。

プースケ、ピー子

トラオ

 同じ時期に拾われて家に来たネコ達ではあるが、そのネコ達にも相性の良し悪しがあり、ピー子とプースケは兄弟でもあり、一緒にいることが多いが、長じてからは親の違うトラオをのけ者にしてイジメるため、家の中でも騒動が絶えない。
 私が家にいる時は「マア、マア」と間に入って取りなしをするが、誰もいない時はネコ同士で随分ハデなケンカをするらしくて、鼻ヅラに引っかきキズがあったり、背中にネコの折れヅメがささっていたこともある。ネコ共を前にして「お前達は小さい時から一緒に育ってきたのにどうして仲良くできないんだ」などと説教しても全く効果はないようだ。
 どうしても仲間はずれにされているトラオをかわいがることが多くなるため、それも他の二匹には気に入らないところかもしれない。
 長らくネコの多頭飼いが続いたせいか、我が家の天井裏からはネズミが一掃されてしまったようである。かつては時折ネズミの鳴き声や天井裏運動会の音がしたこともあったが、別にネズミを獲ってくる訳でもないのに自然と静やかな天井となったことはネコ達の効用であろう。

 これまで我が家のネコ事情をたびたび文章にしてきたため、私のことをネコ派だと思っている人が多く、「〝ネコ部〟に入りませんか?」と声が掛かることもある。しかし本籍はバリバリのイヌ派である。何度も書いたことであるが、まだオムツのとれない頃から犬小屋で犬に添い寝をしてもらっていた口である。
 幼少の頃は、母親が結婚した時に連れて来たティムという大きな秋田犬の雑種犬(メス)が友人であり、母親替わりであった。ちょうどピーターパンの話に出てくる「ナナ」というセントバーナード犬のようであった。

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ティム、内田康宏(昭和28年撮影)

ティム、内田康宏(昭和28年撮影)

 帰宅時に私を犬小屋から引っ張り出して、犬の唾液でベトベトの私の体をフロ場の残り湯で洗うのが母親の日課の一つであったという。そのせいか、今も犬と一緒に寝ることが好きであるし、犬の臭いは全く気にならないばかりか、却って安心感さえ覚えるほどである。

 しかし今飼っている犬のアミは、どういう訳か毎日エサをやってかわいがっているにもかかわらず、私にだけヨソヨソしい。家族の一員として迎えて3年も経つのに隣のオジさんに対するような態度である。これまで何匹も犬を飼ってきたがこんなことは初めてである。

アミ

 ウチのネコについて、もう一つ付け加えるとすると、総じてオスネコは人間の女の人の方を好むし、メスネコは人間の男にかまわれる方を好むようである。
 二匹の気まぐれなオスネコ達(プースケとトラオ)は、私がなでてやっても「なんだお前か?」という顔をしているが、女房や娘が抱っこするとウットリした顔をしておとなしくしている。ただ私がフロ上がりなどにパジャマで横になってテレビを観ていると、突然、腹の上に上がってくることがある。人のことを暖房器具とでも思っているようだ。
 逆にメスネコのピー子は、ふだんから人に抱かれることを嫌う。自由志向の強いネコなのに、たまに私が抱っこしてやると、腕が大きくて体が安定し暖かいせいかしばらくおとなしく抱かれていることがある。そんな時、近くを通りかかった娘が「この男好きめ!」と言って、いまいましそうにピー子のお尻をピシャッと叩いていったりするのも面白い光景である。

 先輩のネコ達がいなくなって「ワシらが大将」とばかりに態度のデカくなった三匹のネコ達であるが、彼らももう6歳(人の40歳くらい)である。
 彼らとも長くてあと10年くらいの付き合いであろうが、できる限り家族として大切にしてやるつもりである。犬猫も、10年近く一緒に生活していると「ひょっとすると、こいつら人の言葉を分かっているのではないか?」と思えるほどの親密さを表現してくることがある。
 私はよく女房に「お前がいなくても生きていけるが、犬猫のいない生活は耐えられないな」とニクまれ口を叩いている。もっとも先方とて同様のようである。

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2017年1月 1日 (日)

平成29年 あけましておめでとうございます

岡崎市 新年交礼会(2017年1月1日)

 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 輝かしい希望に満ちた新春を、健やかにお迎えのことと、心からお慶び申し上げます。
 この新年交礼会は、元旦に行われる公的行事としては、全国的にも珍しく、昭和初期から今日まで引き継がれている本市独自の伝統行事であります。
 本年も岡崎市と岡崎市総代会連絡協議会との共催により、開催いたしましたところ、ご来賓の皆様、そして多くの市民の皆様のご臨席を賜り、誠にありがとうございます。

 昨年の市長選挙では、多くの皆様からご支持をいただき、こうして二期目の市政運営を担わせていただくことになりました。
 これからの4年間は、一期目の公約に基づいて蒔いた事業の「種」が、地上に芽を出し、花を咲かせ、直に成果を感じていただけるようになります。岡崎の将来に対する責任の重さを感じておりますが、今後さらに強い決意を持って各事業の完遂に向けて取り組んでまいります。

 さて、昨年を振り返りますと、8月に開催されましたリオ五輪では、多くの日本人選手が活躍し、私たちも歓喜の瞬間を共有できました。
 岡崎市からも山本萌恵子選手が、パラリンピックの陸上1,500m競技に出場され、ゴールを目指すひたむきな姿に、多くの方が声援を送られたのではないかと思います。パラリンピックでは本市初めての出場であり、かつ7位入賞という結果は、本市にとっても大変誇らしいことでありました。

大隅良典栄誉教授、ノーベル医学生理学賞を受賞

 また、先月10日には、東京工業大学の大隅良典栄誉教授がノーベル医学生理学賞を受賞されました。大隅氏が本市の自然科学研究機構にいらっしゃった13年間は、熱心に基礎研究に取り組まれる中、岡崎の街で過ごされたエピソードが披露されたことで、一躍、岡崎市、そして基礎生物学研究所が話題となりました。
 「人がやらないことをやる」という信念のもと、科学の本質を貫き、世界的な評価を受けたことは、市民である私たちにも明るい希望をもたらし、活気に満たされた瞬間でありました。
 では、ここで、最近の市政の動向と今後の展望について、ご報告申し上げます。

市制施行100周年
 昨年は、市制施行100周年という節目にあたり、「新世紀岡崎 飛躍祭」と銘打って、多くの市民の皆様にご参加、ご参画いただきながら様々な記念イベントを実施してまいりました。
 7月1日の市制記念日には、この会場で「市制施行100周年記念式」を挙行し、皆様とともに100周年の記念の日をお祝いできましたことは感慨深いものがありました。

岡崎市制施行100周年記念式

 それに続く、「おかざき100年祭」では、市民参加の祝祭を体感するイベントとして、100年祭遊園地やディズニーパレードを含むバースデーパレードのほか、食育メッセやミソラボといった食のイベントを同時開催し、岡崎の魅力を再発見していただくなど、記憶に残る楽しい時間をお過ごしいただけたものと思っております。

 8月11日から10月23日までの期間、現代アートの国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」が開催され、岡崎会場には7万人を超える方が訪れてくださいました。
 岡崎公園多目的広場に設置された「ペンタルム・ルミナリウム」は、日本初の展示となる五角形のエアドーム型の作品で、中に入ることで、光や色が織り成す美しさを体感でき、大変好評でありました。また、本日ご臨席を賜りました大村知事には、運営についてご配慮をいただき、厚くお礼申し上げます。

市民会館、乙川のイベント、イルミネーション
 10月に大規模改修工事が終わり、リニューアルオープンした岡崎市民会館「あおいホール」は、音響が充実し、バリアフリーに対応したことで利用しやすい施設になったと高評価をいただきました。現代のニーズに合った、これまでよりも使いやすい施設として、多くの思い出と共に次の世代へと継承することができたものと思います。
 今後も市民の声を反映して、より使いやすい施設整備を心がけてまいります。

 乙川周辺では新たなまちづくりが進み、河川敷の整備をはじめ、殿橋と明代橋のライトアップなどにより、本市ならではの魅力的な景観に変わりつつあります。
 昨年の夏の花火大会は、広大な河川敷を最大限に生かした「ワイドミュージックスターマイン」や、殿橋のライトアップとコラボレーションしたフィナーレの「ドラマチック・ハナビ」が繰り広げられ、会場は大歓声につつまれました。
また、乙川の水辺空間を利用したイベント「おとがワ!ンダーランド」は、民間の皆さんのアイデアをもとに、水辺でのキャンプや殿橋のたもとでのオープンカフェやクラフトビールの販売などを行い、水辺活用の可能性を見出しました。

おとがワ!ンダーランド

 合わせて、乙川に約3万個の青く光るLEDボールを流す「岡崎 泰平の祈り」を実施しました。今年度は岡崎青年会議所や市内7大学の学生の皆さんにも運営に携わっていただきました。今後もこの形をモデルケースとして新たな公民連携事業にチャレンジしてまいります。

 先日行われた家康公生誕祭は、冬のイベントとして定着し、提灯行列や岡崎公園二の丸能楽堂で様々なイベントが開催されました。

家康公生誕祭

家康公生誕祭

 公園内を約16万球のLED電飾で華やかに彩る「イエヤスコウイルミネーション」は、岡崎城大手門のライトアップのほか、黄金の昇龍伝説をイルミネーションで再現し、「家康公生誕の地・岡崎」を強くアピールできたものと思います。イルミネーションは、3日まで実施しておりますので、まだご覧いただいていないかたは、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。
 次に、今後進めてまいります事業について概要をご報告申し上げます。

こども発達センター、リノベーションまちづくり
 昨年は、熊本地震や鳥取県中部を震源とする大地震や、東日本大震災の余震と思われる地震も相次ぎ、日頃からの備えの必要性について再認識したところであります。
 本市におきましても、南海トラフ地震による甚大な被害を想定する中で、官民一体となった減災対策に重点を置いた「地震対策アクションプラン」の策定に着手いたしました。

こども発達センター・すくも

 4月には、発達に心配のある子どもの相談、医療、支援を総合的に提供し、健やかな発達をサポートしていく複合施設として「こども発達センター」がオープンします。施設の愛称も「すくすく育つ子ども」を略した「すくも」に決まり、保健・医療・福祉・教育機関のネットワークを構築して切れ目のない支援体制を整えてまいります。

 次に、愛知県からの移管が予定されている(通称)県営グランドでありますが、ご臨席の大村知事のご協力、ご支援をいただきながら第三種公認陸上競技場への改修を中心に、平成32年の供用開始に向けて整備を進めます。具体的な整備として、陸上競技場のインフィールドに天然芝を張るほか、観覧スタンドの設置を予定しており、本市のスポーツ環境の充実を図ってまいります。

 さて、乙川リバーフロント地区と一体的に整備を進めております、東岡崎駅周辺地区整備事業でありますが、平成30年度末の完成を目指し、駅前広場、明大寺交通広場及び周辺道路の整備を行います。また、東岡崎駅を利用する歩行者の動線の確保や乙川河川敷への回遊を促すため、駅と乙川をつなぐペデストリアンデッキの整備を進めてまいります。

 また、現在、乙川リバーフロント地区整備と平行し、中心市街地の空き店舗などを活用して新たなにぎわいを創り出すため、現代版家守の手法を用いたリノベーションまちづくりを進めています。この取り組みによる成果として、実際に子育てに頑張るお母さんたちで運営する惣菜店が昨年オープンしました。

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 今後、この地区での成功が先行事例となり、「家守」がまちの空きスペースを一つずつ埋めていくことが期待されます。民間事業者が、こういった動きを円滑に進めていけるよう行政としても支援を続けてまいります。
 そして、市中心部以外の地域におきましても、市政を着実に進展していくため、引き続き、様々な事業を進めてまいります。

額田地区の開発と整備、JR西岡崎駅のバリアフリー化
 市東部地域の事業でありますが、昨年9月に着工しました「(仮称)額田センター」は、額田支所を始め周辺にあります額田図書館、森の総合駅、ぬかた会館の機能を集約し、平成30年春の供用開始に向けて着実に整備を進めてまいります。
 さらに額田の木材を活かした各種事業、地域独自の活性化対策についても、ただ今検討中であります。
 また、本宿駅周辺では、国道1号や名鉄名古屋本線に加え、新東名「岡崎東インターチェンジ」や国道473号バイパスが整備され、交通の利便性が向上したことにより、これらを活かした東の玄関口にふさわしいまちづくりを進めてまいります。

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 その一つが、ただいま民間事業者により進出希望の出されている大規模商業施設であります。土地利用に関する課題はありますが、実現すれば東部地域の活性化に大きな好影響が期待されますので、大村知事並びに国会・県会の議員各位のご協力を得て、積極的に対応していきたいと考えております。
 西部地域では、矢作地区に不足している南北道路を補完するものとして矢作川堤防リフレッシュ道路の整備を進めており、今年度、整備計画について地元との調整が図られたところであります。今後は、地元の協力を得ながら事業着手を目指しているところであり、この地区の渋滞緩和に寄与できるものとして期待しております。
 また、JR西岡崎駅のバリアフリー化については、懸案事項でありました駅前の駐輪場を移動する目処が立ち、駐輪場の整備やエレベーターの設計を進め、平成32年度の完成を目指してまいります。

JR岡崎駅周辺の事業、スマートインターチェンジ
 JR岡崎駅近辺の南部地域は、保育需要が高まることが想定されることから、新たな保育園の設置を検討してまいります。先行して、南部市民センター分館敷地内に、暫定的に3歳未満児60人を対象とする乳児専用保育園を平成30年4月の開園に向けて整備してまいります。
 また、大学病院につきましては、藤田保健衛生大学との協定により、24時間対応の救急科を備えた400床程度の病院を、平成32年4月の開院を目指して協議を進めているところであります。さらに、病院に隣接する場所には新しい大型の商業施設の進出も決まっており、このエリアへのアクセスの向上を図るための道路整備を着実に進めてまいります。

 市北部地域、阿知和地区におきまして、ものづくり産業の新たな拠点となる工業団地構想の実現に向け、引き続き検討してまいります。現在、土地所有者の概ねの理解のもと、大規模開発に伴う周辺への生活環境変化の対策について調査をしております。
 今後は連携して構想を進めるスマートインターチェンジとの近接性をアピールし、採算性確保と事業主体の選定を行い、早期の事業着手を目指してまいります。
 スマートインターチェンジの開設につきまして、東名高速道路では、物流の効率化の観点から阿知和地区を、また、新東名高速道路では、山間部の地域振興に有益な「ネオパーサ岡崎」において検討しており、私自身も、先月、国へ要望に行ってきたところであります。今後も両インターチェンジの開設に向けて、関係機関との協議を進めてまいりたいと考えております。

岡崎まちものがたり、HOPEプロジェクト
 さて、平成28年度も残り3ヶ月となりましたが、ラストスパートをかけ、引き続き市制100周年の記念事業を実施してまいります。
 総代会連絡協議会を中心に取り組んでいただきました「岡崎まちものがたり」は、全市版が今月中に完成の運びとなり、学区版につきましては、学区ごとに市内各戸に配布させていただきます。総代会を中心とした学区まちものがたり作成委員の皆様のご尽力に深く感謝申し上げます。
 次代を担う子ども達を対象にした「HOPEプロジェクト」は、残すところあと3回になり、卓球教室、陸上教室、米村でんじろう氏によるサイエンスショーを開催します。

米村でんじろうサイエンスショー

 3月には、岡崎市民会館で「市民音楽劇」を開催します。戦前から戦後の岡崎を舞台として、激動の時代に翻弄されながらも、ひたむきに生きる主人公たちの姿を描く音楽劇でありますが、出演者は1年以上前から意欲的に演技や歌の稽古に取り組んでみえます。どうぞご期待ください。

家康行列に藤岡弘、さんが出演します
 また、現在、徳川家康公のブランドを生かした家康公観光プロモーションの推進をするため、観光基本計画アクションプランを策定中であります。観光産業をものづくりと並ぶもう一つの経済の柱とする「観光産業都市」の実現に向けて、公民連携のもと地域が「稼ぐ力」を高める取り組みを積極的に進めてまいります。

家康行列

 その一つである、桜まつりのメイン行事「家康行列」でありますが、俳優で武道家の「藤岡弘、さん」に特別出演していただくことになりました。昨年放送されましたNHK大河ドラマ「真田丸」で本多忠勝公役を熱演されたことはご承知のとおりですが、ご本人も一番好きな戦国武将とのことであり、忠勝公の生誕の地でもあります本市の家康行列への出演を快くお引き受けいただきました。
 今年の家康行列は、4月9日に開催いたしますが、その圧倒的な存在感を間近にご覧いただける絶好の機会となりますので、ぜひとも足をお運びいただきたいと思います。

 以上、本日は市政の動きの一端をご報告させていただきましたが、今後も、福祉や医療、防災や教育といった基本施策の充実には、引き続き、しっかりと取り組みながら、将来、「あの時代の市政の結果、今の岡崎がある」と言われるようなまちづくりに全力で邁進してまいる所存であります。

2017観光大使おかざき(白井梨花さん、田村汐里さん)

 本年の干支は「酉(とり)」であります。大きな翼を広げ、大空を羽ばたく鳥のように、次の100年に向け「飛躍の年」にしたいと思います。
 そして、このまちに生まれ育った子ども達がふるさと岡崎に対してより大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」づくりに努めてまいりますので、今後とも市民の皆様の変わらぬご理解とご協力をお願い申し上げます。
 終わりに、本日ご参会の皆様をはじめ、市民各位のご多幸を心より祈念申し上げまして、新年の挨拶とさせていただきます。

平成29年1月1日  岡崎市長 内田 康宏

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