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2016年3月19日 (土)

選挙制度と政治家の質について

全国遊説中の安倍晋太郎先生とともに

(全国遊説中の安倍晋太郎先生とともに。秘書時代の私)

 かつて中選挙区制の時代、各選挙区は3~6くらいの定数があり、投票結果により上から順番に当選が決まってゆくシステムであった。ある意味、単純ではあるが個別の選挙区においては公正な制度であったと言える(衆院選に比例代表制が導入されたのは、小選挙区になった平成8年以後)。
 しかし当選のためには多くの支持票が必要であるため、大企業の労働組合、農協や地域の有力団体、宗教団体などの支持を受けられる候補者でなくては、立候補はしても当選はおぼつかなかった。
 また保守の候補者においては「地盤」(後援会)、「看板」(知名度)、「カバン」(資金力)の三つを持つことが当選への必須条件と言われていた。そのため、衆議院議員の3分の1程が世襲の議員となる弊害(?)が生まれたとも言われている。それが政治的に悪い結果を招いているかはともかくとして、公平ではないという議論が出ることとなった。
 中選挙区制のシステムが始まってから、戦後の政界はほとんどの期間、自民党の天下であり、自民党を通さなければ大きな事業の予算の獲得は困難という時代が長く続いていた。当時、与党と野党は国会ではハデな論戦を繰り広げていたが、これは言わばセレモニーのようなもので、裏では野党の議員が自民党の有力議員に頭を下げて陳情をしているケースを、私は秘書時代に何度も目撃している。政界の実態は自民党の中の派閥力学によって決せられ、動いていたというのが実情である。

 私が安倍晋太郎代議士(晋三総理の父)の秘書であった昭和50年代というのは五大派閥(田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫、中曽根康弘)による合従連衡によって大臣をはじめとする役職・人事が配分され、政治権力の秩序体系が形成されていた時代であった。そのため衆議院議員の選挙はおのずから派閥の対抗戦、勢力争い(ナワバリ争い)の色彩となっていた。

首相の顔ぶれ。田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘

 野党と与党は支持基盤が異なっているため、政党間の争いは強力な地元組織の形成の難しい都市部を除けば、地方に於いては浮動票の奪い合いがあるくらいで、いわば「スレ違いの戦い」であると言えた。
 反対に熾烈を極めたのは保守同士の戦いである。「人殺し以外は何でもあり」と言われたほどであり、戦国時代の謀略・かけ引きのようなことが実際に行われていた。よってこの時代のことを「自民党戦国時代」という名で呼ぶ人もいる。
 民主主義の原則として本来政策で争われるべき選挙が、相手への誹謗中傷を含む異質な競争(怪文書をばらまく)などの低レベルの争いとなることも珍しいことではなかった。〝五当・四落〟(5億使えば当選、4億では落選)と言われたように、選挙にもお金がかかり政界の有力者になるには資金力も重要な要素となっていた。当時は政治や選挙にお金がかかるのは当然と考えられる時代でもあった。

福田赳夫元首相の事務所の忘年会にて(1979年12月)

(昭和54年12月。福田赳夫元首相の事務所の忘年会にて)

 その頃は自民党内の派閥が党内党としての役割を果たし、本来の政権交代の代替機能を行うという〝日本型民主主義〟の形態が続いていたものである。しかし単独政党による長期政権が腐敗の温床となりがちであることはどこの国、いつの時代でも同様である。やがて世論は政党の政権交代によるチェック機能が働くことを望むようになり、小選挙区と選挙の公費負担制度が平成8年(1996年)から始まった。
 ところが小選挙区制では一選挙区から1人の政党候補しか立候補できず、現職優先の原則により有力な新人の立候補が困難となった。そのため、立候補のために考え方の違うはずの他党へ移ったり、新たに設立された新党に参加するなどの流れが生まれた。それまで選挙によって新陳代謝が行われてきた保守政党において、この流れは政党の基盤を弱めることにつながった。
 保守政党の分裂・弱体化に伴い、政権交代がなされるようになったものの、経験不足の素人の多い新党の政権担当能力については私達がこの10年の変遷の中で体験してきた通りである。選挙制度の改革と公営化によって、建前上、誰でも立候補しやすくなった点は改善と見えるものの、旧来のように、政党や組織、政治的環境の中でもまれ、候補者としてのわきまえや政治家としての知識を身につける機会のなかった候補者の出現は、新たな混乱を生み出している。
 ことに直接選挙戦の洗礼を受けずに、党の名簿に名前を載せただけで当選してきたような議員の中には、まるで政治家になったことを特権階級にでもなったかのように勘違いをして振る舞う者もいるのである。選挙戦や日常活動での苦労を経て当選してきた従来の政治家とは異なるタイプの議員の出現は、政治そのものに対する新たな不信感を助長させていると言える。

 さらに、こうした傾向というものは国政だけでなく、地方政治においても様々な影響を及ぼしている。
 かつて中選挙区制の頃、中央で熾烈な戦いをしていた国会議員も地方政治と国政の違いをわきまえており、地方政治に国政の対立要件を持ち込んで混乱させようとする人はマレであった。ところが小選挙区制となり、政党と国政における政策の違いが地方政治にまで持ち込まれるようになり、国政は国政、地方は地方と合理的な割り切りができないケースが増えてきた。私は県会議員を26年間務めていたが、その間、市議会の役職人事に口を出したことは一度も無い。通常、国会議員も同じスタンスで対応するものであった。また選挙の公費負担制度の恩典により、立候補のハードルが低くなったせいか、まるで立候補することを新たな就職活動のように考えている候補者も出てきている。そうした人達は地道な活動は行わず、確たる原理原則もなく、まるで選挙を芸能人の人気投票のように思っているようにも見える。
 少なくとも選挙に出るということは、その人なりの愛郷心、正義感、思想や理念、あるいはヒューマニズムなどがその原動力となるものと考えるものであるが、「そんなものは当選してから考える」とでも言わんばかりの姿勢は気になるところである。

 とりあえず時流に乗って、選挙に有利な集団に近づき、現実性がなく実現の可能性の低い政策であっても耳に心地良ければ百花繚乱とばかりに並び立てる。野党である自らは、実現責任を問われないことを百も承知の上での作戦である。
 最近こうした輩が増えてきているように思う。

 人間に名誉欲があるということを否定するものではないが、議員バッジをつけることだけが目的化した、恥も外聞もない、ここまでアカラサマな私欲の露呈を見せられると同じ政治の場にいることが情けなくなってくる。
 立場が悪くなれば政党を次々に渡り歩くこともいとわない。人間としての信義や政治家の主義主張というものがこんなに軽いものであったのかと改めて考えさせられる今日この頃である。

 選挙制度や政治家のあり方が時代とともに変化してゆくものであるとしても、このところのあまりに低次元な政治家にまつわる不祥事のあり様は、これまで述べた最近の傾向と決して無関係ではないと思うものである。
 まもなく7月に参議院の選挙、そして秋には私もその対象となる岡崎の市議・市長選挙を迎えることとなる。
 どうぞこれまでの我が国の政治の変遷を振り返った上で、有権者の皆様にはあるべき国政の姿、あるべき岡崎の未来への選択をして頂くことをお願い申し上げます。

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