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2015年9月

2015年9月29日 (火)

おまけ達の時代

ミーちゃん

 ネコのミーちゃん17歳9ヶ月で亡くなって一ヶ月近くになる。
 これまで多くのお悔やみの言葉を頂き、ありがとうございました。ちゃんとお花と手紙を付けて送り出しました。

 夜中に2~3時間おきに私を起こしてエサをねだるネコをうとましく思ったり、老ネコのエサ代が意外と高くつくこと、その他様々に世話のやけることを面倒に思ったりしたこともあるが、彼女がいなくなってみて、それらのことが自分の生きがいの一つになっていたことに気づかされた。
 人や動物の死に直面する度に思うことであるが、今までそこにいることが当たり前であった者がいなくなると、その空間の空虚さというものが一層きわ立つものである。
 今までミーが好んでたたずんでいた辺りの後ろ壁面に、実物大の写真のコピーを貼って朝夕話しかけている。その姿を見て女房は「バカみたい。それは老人性痴呆症の前触れよ」とか「全く、女々しい」などと言う。「お前が死んだ時には間違っても写真など飾ったりしないから安心してくれ」と言ってやれば、「私より7つも年上のくせに、私より長生きしようなんてアツカマしい」と返ってくる。とは言いながら、犬猫が亡くなった時に、黙っていても供花を用意してくれるのがこの人である。

 こんなことを書きながらネコの写真を見ていると、古いイタリア映画を思い出す。アンソニー・クインの出世作の一つでもある『道』である。フェデリコ・フェリーニ監督による、古めかしい白黒の映像と、ニーノ・ロータの哀愁に満ちた音楽がなつかしく感じられる。

Anthony Quinn, Giulietta Masina

 アンソニー・クイン扮する大道芸人ザンパノは、粗野な乱暴者であり、大道芸の相方として知恵遅れのジェルソミーナという娘を雇って旅から旅の生活を続ける。そしてある時、ジェルソミーナにやさしくする「キ印」と呼ばれる男をケンカの末に殺してしまう。それまで奴隷並みの扱いにも健気に耐えてきたジェルソミーナは泣くばかりで仕事の役に立たなくなり、ザンパノに捨てられることになる。それから時が経ち、ザンパノは旅先の港町でジェルソミーナが4~5年前にすでに亡くなっていたことを知らされる。当たり前のように近くにいた明るい娘を失って、初めてその価値に目覚めたザンパノは孤独の悲しみの中に打ちひしがれるという物語である。ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マッシーナのくったくのない子供のような笑いが印象的な映画であった。かつて「あの女はお前に似ている」と嫁さんに言って、猛反撃をくらった思い出の映画でもある。
 淀川長治氏ではないので、本題と関係の無い映画談義はここまでにして本題に戻る。

 そもそもオマケの立場にあったのは後から家族に仲間入りした三匹の捨てネコ、ピーコ(白黒)、プースケ(白茶)、トラオ(キジトラ)のことである。
 これまで、先般亡くなったミー(三毛)、昨年死んだ犬のアル、そして行方不明の猫キック(白黒)の先輩達に気兼ねしながら生きてきたような三匹のネコ達の態度が急にデカくなったような気がするのだ。

内田家の猫 ピー子

内田家の猫 ぷーすけ

内田家の猫 虎男

 私としては、今までどの犬や猫に対してもすべて自分の子供のように接してきたつもりであるが、動物の世界には彼らなりの序列があったようである。
 それまで年長ネコのミーのいる私の部屋に他のネコ達は滅多に入ってこなかったし、侵入でもすればたちまちミーの本気攻撃を受けることになった。そのせいか、いつもミーと一緒にいる私にもあまり近づいてこなかったのである。
 ところがアルとキックに続き、ミーの姿が見えなくなってから彼らの行動が変わってきた。横になっている私に近づいてきて体の上に上がってきたりするのだ。彼ら三匹のネコは、自分達は後から来たアミちゃん(犬)よりも上位であり、「いよいよ我らの時代が来た」と思っているのかもしれない。〝おまけ達の時代〟の到来、いわば世代交替である。
 これまでもそうであったが、飼っていた動物と、その頃の時代というものが妙にリンクして記憶に残っているものであり、今回家の動物達の変化の様子を見るにつけ、また時代が一つ変わったということをつくづく感じている。

 思い出しついでにミーのことをもう一つ書く。昨年亡くなった義母が生前、私が出張中のミーの様子をこんな風に話していた。
「ヤっちゃんが家にいない時、夜ミーちゃんが2階から階段をトコトコ下りてきて、下の部屋を見渡してガッカリしたように戻っていく姿を見ると何だかかわいそうになっちゃうわよ。後でのぞいてみると、あなたのベッドの上で一人(?)で寝ているのよ」とのことであった。(今いるネコ共は気まぐれな奴ばかりで、誰もこんなことをしない。)
 私が家に帰った時に玄関まで迎えてくれるのがアル(犬)とミー(猫)であっただけに、最近一層自分がザンパノになったようなさみしさを感じている。

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2015年9月25日 (金)

大阪トップセールス その1(岡崎版・吉本新喜劇)

すっちーさん、内田康宏(2015年7月14日)

 観光課の若手職員から、この度、大阪方面における岡崎市の効果的PR手法として「吉本興業が行っている新喜劇・地方展開プランを採用する」というアイデアが出てきた。これは吉本新喜劇に岡崎を舞台とした台本を使用してもらい、その中に岡崎市のPRを織り込んでゆくというものである。
 私自身、一昨年来、トップセールスとして東京駅地下や茅ヶ崎市、福山市などへ出向き、オカザえもん、葵武将隊、様々な市民団体の皆様の御協力を頂きながら、〝家康公四百年祭〟と〝市制100周年〟についてのPR活動を行ってきた。
 かねてより「岡崎市のセールスマンとして、何でもやる」と言っていた手前、「なんばグランド花月の幕間に出演してPR活動を行う」というオファーも二つ返事で承認していた。ところがどういう訳か、これが舞台に出演するということになってしまったのである

 7月14日、事前PRとして、座長のすっちーさんが岡崎市役所に挨拶にみえた。その折に、ファンの市民が市役所まで多数おいで頂き、改めて新喜劇とすっちーさんの人気のほどを知ったところであった。

すち子さん、岡崎市役所1階にて

 岡崎での記者会見に続き、夏まつり後の8月5日には、こちらから大阪に出向き、吉本興業・本社において現地記者会見を開いた。事前に打ち合わせを行った上で臨んだ記者会見であったが、プロの芸人さんと行う記者会見は、千変万化(せんぺんばんか)・融通無碍(ゆうずうむげ)なものであり、アドリブや突然の振りがありびっくりすることばかりであった。記者会見の場がそのまま芸の披露の場となっているのである。私に「ふんどし一丁でやりませんか」と言ってきたのもこの時である。
 いずれにせよ、各新聞でさまざまに取り上げて頂いたことによって、ずいぶん岡崎のPRとなったことは御案内の通りである。改めて若い市職員の時代の空気を読むセンスには感心させられた。

 そして8月22日(土)、いよいよ「なんばグランド花月」前と「あべのハルカス」におけるトップセールスと、新喜劇出演の本番の日を迎えることになった。

なんばグランド花月

オカザえもん、メロある

あべのハルカス

 トップセールスにおいては、地元からの特産品PRに御協力頂く市民代表の方々とオカザえもん、葵武将隊の参加を得て、私も一通り〝徳川家康公没後400年祭〟と〝市制100周年事業〟のPR活動を行うことができた。現在、大阪では「大坂の陣400年天下一祭」の真っ最中であり、太閤さんとタイガースの大阪で、大坂の陣の勝者である徳川家康と岡崎のPRをするというミスマッチの感のある活動であったが、地元の皆さんはヤジ一つ無く、心やさしくお迎え頂き感謝・感激であった。
 乙川リバーフロント計画について、市民対話集会を含め百数十回以上講演会を行っているにもかかわらず、未だに「新しい橋を作るだけだ」と思っている人がいるのに、吉本新喜劇についてはTVやスポーツ新聞で取り上げられたせいか、実に多くの方が知ってみえる。三年振りに会った人から最初にかけられた言葉が「吉本の出演、楽しみにしてるよ」であったのには、まいってしまった。
 最初はたいして重要なこととも思っていなかったのであるが、当日が迫ってきて、あまり多くの人から楽しみにしていると言われると私自身「エライことを引き受けてしまった」と思うようになってきた。

Yoshimotoshinkigeki201508223

 22日朝、岡崎を出発し、なんばグランド花月前にてトップセールス後、関係者と打ち合わせ、立ちゲイコ、さらに直前に舞台ゲイコを行い、本番に臨むこととなった。一緒に舞台に上がるのは昔からTVで観てきた名うての芸人さんばかりである。いやが上にも緊張感が高まってきた。
 家でTVを観ている時は「くだらないことをやっているなあ」と思ったこともあるが、舞台上の笑いとは対照的な、舞台裏における脚本家、AD、出演待ちの芸人さん達の張り詰めた表情、舞台から戻ってきた役者のホッとした顔。そうした緊張と弛緩の空気の転換を間近で見ていると、「この世界もつくづく大変な所である」と思わせるものがあった。一見くだらなく見えることを、真剣にやるからこそ、笑いが生まれるとも言える。何か笑いというものの本質、深さのようなものを見た気がした。

 始まって30分、いよいよ自分の出番が近づいてきた。プロの芸人さんはその時の空気でアドリブが入るので、それが一番気がかりであった。
 舞台の内容は、岡崎の〝ホテル花月〟で行われる結婚式における、人間関係の悲喜劇模様を描くものである。(詳しくはTVで!)

『すち子のハッピーウェディング?イン岡崎』(2015年8月22日)

 私のセリフは当初のものから大幅に削られてしまい、おかざきPR隊長である「はんにゃ」の二人が私の話に割り込んできて勝手にしゃべって踊りを始めるということになった。
 最後の最後まで関係者で検討を重ね、より面白いものを作り上げようとする吉本新喜劇の人々の真剣さと熱意は、これから私がTVで喜劇を観る時の見方を大きく変えるものになったことは間違いない。
 私の出演場面はともかく、舞台は面白いものであったので、あとは岡崎のPRがうまく伝わることを祈るばかりである。

☆10月17日放送予定とお知らせしておりました東海地区の放送ですが、番組編成の都合上、明日9月26日(土)になりましたことを、お詫びと訂正申し上げます
 御家族をはじめ、友人、知人のみなさんにお知らせいただければ幸いです。

日 時 放送局
近畿地方 9月12日(土) 12:54-13:54 毎日放送
東海地区 9月26日(土) 12:00-13:00 CBC (5ch)

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2015年9月23日 (水)

敬老の日を迎えて(2015年)

岡崎市・細川学区敬老会

 今年もまた敬老の日を迎える時期となり、市内各学区でそれぞれに敬老のお祝いの催しが行われた。毎年できる限り多くの敬老会に出席したいと思い努力しているのであるが、各地の敬老会の日時が重なっているため、すべての学区をまわるということは不可能なこととなる。
 それでも毎年、回り順と地域を考えながら4年間で必ずすべての学区を一度は訪れることができるように考えておりますので、まだ訪問していない学区の皆さんはよろしく御理解下さい。

 古い話であるが、私が小学生の頃(50年ほど前の話)、校長先生が、
「今年、日本全国で百歳以上の方が200人くらいみえます」
 と挨拶したことを記憶している。
 現在、全国における百歳以上の高齢者は9月1日時点で6万1,568人である。男女比は1対8くらいであり、圧倒的に女性の方が長寿である。本市においても131人の百歳以上の長寿者がみえるが、男性は16人、女性は115人でやはり女性優位である。最高齢者は107歳の西蔵前町の治々和かきさんである。
 せっかくの長寿であっても寝たきりでは残念なことであるが、健康長寿率という点でもやはり女性優位の傾向がある。

酒井キクヱさん(岡崎市才栗町)

太田さだ子さん(岡崎市明大寺町)

 本年も敬老の日(21日)に先立つ9月11日(金)、市内の百歳以上の高齢者を代表してお二人のおばあさん宅を訪れた。(百歳以上の女性ですので〝おばあさん〟呼称をお許し下さい。)
 今回は、11月に100歳となる才栗町の酒井キクヱさんと、102歳の明大寺町の太田さだ子さんのお宅を訪れることとなった。両家に対し長寿の祝金とお祝いの品をお贈りし、それぞれに長寿の秘訣をお聞きすることができた。毎年訪問している百歳以上の長寿者と同じく、お二人とも身の回りの自分でできることは掃除も炊事もすべて自分でやってみえるそうであった。
 酒井さんは日課として庭の草取りをしておられるせいか、足腰が達者であり、せっかちな私と同じくらいのスピードで歩いてみえた。
 太田さんは毎日の出来事を日記に書いておみえになるせいか、話す内容によどみが無く、昔話も正確にお話された。先の大戦末期には、地元の義勇団の隊長として空襲の折に空襲の折に退避の合図を出してみえたそうである。B-29爆撃機の編隊による岡崎空襲のお話は具体的で臨場感もあり、時間があればもう少し続きを聞かせて頂きたいところであった。
 なお太田さんは健康のために毎晩寝る前にフトンの上で寝転がったまま自ら考えた体操をしているそうである。

 この半世紀における日本の国力の伸長も大したものであるが、長寿化においても世界で群を抜いている。これは先人の御努力のたまものであり、日本が平和で豊かな国家となかったおかげである。国民の栄養状態、社会の衛生環境が良くなり、そして何よりも医療制度の進展によって小児死亡率の低下、高齢者医療の充実が図られてきた成果として、長寿世界一が実現したものと考えている。
 こうして国民の4人に1人が65歳以上という高齢化社会が現実のものとなってくると、社会のあらゆる面での高齢化対策というものが急務の課題となってくる。
 高齢化対策というものは、決して現在の高齢者に対するものだけではなく、近未来の自分達のための準備でもあるということを若い人達にも、ぜひ理解してほしいものである。高齢化と同時に進む少子化を考えれば、社会の仕組みとして、合理的な高齢化社会の制度というものを皆で考えていかなければならないと思っている。
 そのような施策を推進してゆくためには、やはり財源が必要となる。しかし無いソデは振ることができないのである。そのために現在本市は「モノづくり」に続くもう一つの経済の柱として、観光産業を育て上げる努力をしている。独自の歴史的文化遺産と河川の水辺空間を活かしたまちづくりは国の認定事業となり、大きな国庫補助も頂けることになった。そして同時に、岡崎に生まれた子供達に、自らのふるさとに対する大きな誇りと愛情を抱いてもらえるまちづくりを行いたいと考えている。

Keirounohi20153

 さて話を戻すと、酒井さんと太田さんのお宅を訪れたあと、美合の養護老人ホームにおける敬老会と高年者センター岡崎の芸能祭で御挨拶を行った。各学区の敬老会については、今年度は9月12日、13日、19日、20日、21日の5日間で全市18学区の敬老会を訪れ、御挨拶をさせて頂くこととなった。
 高齢者の皆様にはこれからもお元気で、長い人生体験から得られた知恵や教訓を後輩の私達に伝授して頂きたいものです。さらに御家族や地域の皆様と共に楽しく幸せな人生をお送り頂きますことを心よりお祈り申し上げます。

*以下は今年の敬老会訪問一覧です。

9月12日(土)
学区名 会場 式典時刻
常磐東 小学校体育館 9時30分
岩津 小学校体育館 10時00分
細川 小学校体育館 10時00分
矢作北 小学校体育館 10時00分
矢作西 小学校体育館 10時00分
六ツ美北部 小学校体育館 13時30分
福岡 小学校体育館 13時30分
9月13日(日)
学区名 会場 式典時刻
三島 小学校体育館 9時00分
生平・秦梨 河合中体育館 9時30分
下山 小学校体育館 10時30分
9月19日(土)
学区名 会場 式典時刻
六ツ美南部 小学校体育館 13時30分
9月20日(日)
学区名 会場 式典時刻
広幡 小学校体育館 9時00分
井田 小学校体育館 9時00分
奥殿 小学校体育館 10時30分
愛宕 小学校体育館 10時40分
9月21日(月・祝)
学区名 会場 式典時刻
大門 小学校体育館 9時00分
根石 せきれいホール 13時00分

岡崎市・福岡学区敬老会

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全市学区敬老会(2016年) (2016.10.01)

平成26年 学区敬老会訪問 (2014.09.21)

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2015年9月21日 (月)

『リバ!』2015年10月号

『リバ!』2015年10月号

内田康宏事務所からお知らせです。
8月18日~24日の一週間、なんばグランド花月にて吉本新喜劇『すち子のハッピーウェディング?イン岡崎』が上演されました。テレビ収録のあった22日(土)の回には内田市長も出演を果たしました。
『リバーシブル』2015年10月号の徒然市長日記は、出演までのいきさつ、リハーサルや本番の模様などが詳しく語られています。今のところ『リバ』でしか読めない文章です。よろしくお願い申し上げます。

☆コラムのなかで「10月17日(土)正午」とお伝えしていた東海地区の放送日ですが、番組編成の都合上、9月26日(土)になりましたことをお詫びと訂正申し上げます

『すち子のハッピーウェディング?イン岡崎』(2015年8月22日)

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2015年9月16日 (水)

ネコのミーちゃんが、ヤバイ

内田家の猫・ミー

 うちには「ミー」という名前の17歳9ヶ月になる婆さんネコがいる。
 彼女は、20年ほど前に我が家にまぎれ込んで来たキジトラのメス猫が産んだ7匹の子猫達の一匹である。当時の私に、まだ猫のワクチン接種についての知識がなかったせいもあって、彼らのうち半数は母猫共々に、はやり病のため亡くなってしまった。彼女は運良く生き延びることができた半数のうちの一匹である。
 子猫の頃から私によくなついており、子供達がからかってイジメたりした時いつも私の所に逃げてきて、私が家にいる間はほとんど私にくっついていた。私がトイレに入れば扉の外側で待っているし、フロに入っている時はすりガラスの向こう側にネコの姿があった。私が犬を散歩に連れて行っている間には、帰って来るまで窓辺で待っているという具合である。「ネコは家につき、イヌは人につく」とよく言われるが、必ずしもそうとは言えないようである。

内田家で生まれた子猫たち

 私は今年で結婚33年となる。しかし一緒に過ごした時間で言えば、17歳9ヶ月のネコのミーの方が女房といる時間よりも間違いなく長いことになる。あまりにいつも私と一緒にいるため、うちの嫁さんはミーのことを「第二夫人」と呼んでいたほどだ。それに対して私は、「何を勘違いしてるんだ。第二夫人はお前の方だよ」と言っていた。

 そんな愛猫(?)が一年ほど前から、夜中に2~3時間おきに何度も私を起こしに来るようになった。そのことをブログに書いたところ、「死期が近づいてくると、そのような行動をとることがある」というお便りを頂き、なるべく猫を叱らないようにしてきた。
 ことに老齢期を迎えてからは、一日2回のエサやりを行うと一度にたくさん食べて吐くことがあるため、一食を少なめにして一日5~6回に分けて食べ物を与えるようにしている。

 そのミーがこの夏頃からなぜか身を隠すようになり、名前を呼んで探さないと出てこなくなってしまった。家具の後ろや物陰にひそんでいるためどこにいるのかもよく分からない。
 食べる量は結構多いのであるが、だんだん痩せて小さくなってきた。ガンではないかと思い6月に獣医さんに連れて行ったが、その時も、ネコ・ケースに入れると、以前記したように恨みがましいうなり声を上げて鳴き続けた。老猫の体調を考えて以後は外出していない。
 6月の獣医さんの見立てでは、「この年まで生きていればどこか悪い所があるのは当たり前であり、そのために治療や手術をすることがいいのか、このまま静かに余生を見守ってやる方がいいのかは飼い主さんの選択ですよ」とのことであった。
 治療や手術で完治したり寿命が延びるならばそうしてやりたいと思うが、どっちみちあとわずかの命ならば、痛い思いをさせたり不安な時間を過ごさせたりせず、彼女の好きなようにさせてやろうと思っている。なにせ、人間であればもうすでに90歳くらいの年齢になっているのである。

内田家の猫・ミー

 女房に向かって、「お前が死んでも『悪運が尽きたか』と思うくらいだろうが、去年の愛犬に続きこのネコに先立たれると、しばらくペットロスで俺もガックリくるかもしれない」と悪態をついている昨今の私である。いずれにしてもミーとの付き合いもあとわずかであろう。9月2日の夜は珍しく食後に私のヒザの上に上がって来た。仕事中であったが手を止めて1時間ほどそのまま寝かせてやっておいた。このぬくもりが間もなく失われてしまうのかと思うとさみしい限りであるが、いかなる命もいずれは消え去るものであり、別れは不可避なことである。
 残されたわずかの時間、このネコが幸福感に包まれて過ごしてくれればいいと思っている。

追伸

 その後一週間ほどの間、ミーは食事も水もとらず、ひたすら隠れていた。さすがに私も気になり、たまたま休みがとれた9月8日の朝、獣医さんで点滴を受けさせることにした。その3時間後ミーは安らかに息を引き取りました。まるで私の休みの日を待っていたかのように旅立ちました。


ネコは気ままに (2014.10.16)

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2015年9月13日 (日)

ハワイアンフェスティバル in 吉良ワイキキビーチ

Hawaiianfestival201508285

 毎年夏を迎えると、西尾の榊原康正市長さんから必ず御案内を頂くのが吉良海岸で行われている「ハワイアンフェスティバル」である。これまで一度も行けなかったこのイベントに、今年初めて参加することができた。
 現在岡崎市においても様々な夏のイベントが行われているが、近隣市の行事と見比べて何か参考となることがあれば学びたいものと思っていたのである。
 なお、経歴を書く時に趣味の欄に「海のスポーツ」と記している私であるが、政治家という職業に就いてからはめっきり海に足を運ぶ機会は減ってしまった。海どころか、子供達が大きくなってからは夏にプールに入ることさえ無くなってしまった。毎年、夏まつりに乙川でカヌー試乗をすることが唯一の楽しみという情けない有り様となってしまっている。

 その日、8月28日(金)は9月議会の初日でもあった。市長としての挨拶と議案の提案理由説明、一般質問答弁の打ち合わせ等と共に書類承認等の仕事を終えて、夕刻、役所から直接出発した。
 現在の吉良海岸は海岸線に沿ってヤシの木が美しく植えられ、白い浜辺と見事なコントラストとなっている。私が会場に着いたのは午後6時半頃であり、もう辺りは薄暗くなっていた。ハワイアンフェスティバルは3時頃から始まっており、夕方までは市民参加のフラダンス・コンテストや抽選会が行われていた。
「市外からの一般参加も大歓迎であり、来年は岡崎の皆さんもぜひフラ・コンテストに御参加下さい」とのことであった。

ハワイアンフェスティバル in 吉良ワイキキビーチ

 ハワイアンフェスティバルの鑑賞は無料であり、浜辺の沿道には飲食店をはじめ、様々な出店が並んでおり、アロハシャツやムームーと共に各種ハワイアン・グッズも売られていた。現地に到着して間もなく、西尾市長と共に私も御挨拶の機会を頂くこととなった。

榊原康正・西尾市長、内田康宏

―当日の挨拶の要旨―
『今年で10回目を迎えられたこのイベントは、本場ハワイ・オアフ島からプロのダンサーをお招きし、県の内外から多くの観光客が訪れる御当地の一大イベントと伺っております。
 またここ吉良ワイキキビーチは、正式にホノルル市からお墨付きを頂いているビーチとのことであり、日本に居ながらにして本場のハワイ気分が味わえるすばらしいイベントであります。
 私は若い頃、西浦半島に船を置いておりました。ここの海へは毎週末ヨットに乗りに来ていましたが、今日は十数年振りに御当地を訪れることができました。今宵は観客の皆さんと一緒に南国情緒に浸りたいと思います。
 せっかくですので、この場をお借りして少し岡崎のPRをさせて頂きます。岡崎市は徳川家康公・生誕の地であり、本年はお亡くなりになって400年ということで〝家康公四百年祭〟として各種イベントを行っております。来年平成28年は〝市制100周年〟にあたり、これを記念して様々な事業を計画しております。また、「乙川リバーフロント地区整備計画」に基づく歴史と河川空間を活かした新たなまちづくりが始まります。岡崎へもぜひお越し下さい』

Hawaiianfestival201508283

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 「若い頃毎週末ヨットに乗っていた」などと書くと優雅に聞こえるが、実際は初めての選挙であった衆議院選に敗れ、大選挙違反を起こし仕事も失った頃の話であり、人生最悪の時であった。他にやることもなく週末に自分でおにぎりを作って、犬とヨットに乗っていた頃の話である。人生の目標を失いかけ、傷心の私を救ってくれたのはまさにこの海とヨットと愛犬であった。

内田康宏

 夜のフェスティバルは、ハワイのポリネシア文化センターで催されているようなプロのダンサー達によるショーであった。ハワイに限らず、太平洋の南洋諸島にあるいくつかの部族のダンスを順番に、火のついたタイマツやボンボンなどを使って華麗に見せてくれるものであった。
 久しぶりに潮の香りをかぐ機会を得た私は、ショーの終了後、榊原市長に御礼を申し上げてから「海に触らせてほしい」と言って浜辺へ足を運んだ。ほんとうに久しぶりの、忘れかけていた波の感触と海のニオイであった。

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2015年9月 9日 (水)

平成27年 菅生川草刈一斉清掃

菅生川草刈一斉清掃(2015年9月6日)

 9月6日(日)早朝6時より、恒例の「菅生川を美しくする会」主催による菅生川一斉の草刈り清掃が行われた。毎年のことながら御協力頂いている関係者の皆様には本当に頭の下がる思いである。
 私が県会議員をやっている時に多かった陳情の一つが、こうした河川の草刈りの要望であった。昔は年に数回、公共の事業として各河川の草刈りが行われていたが、景気の後退と共に維持管理費が削減され、そのあおりを受けたのがこうした河川草刈り事業であった。今では各河川ごとに年一回になってしまっている。

 幸いなことに岡崎市には河川ごとに「――川を美しくする会」といった市民活動団体、あるいは町内会による自主清掃の会などがあり、昔から「自分たちの地域は自分達できれいにする」というすばらしい伝統が育まれている。伊賀川や鹿乗川においてもそれぞれに、「美しくする会」の主催による草刈りが行われている。決してこうした好意に甘えてばかりで良い訳ではないが、こうした精神・伝統によって岡崎市の河川環境が守られているというのはまぎれもない事実なのである。

菅生川草刈一斉清掃(2015年9月6日)

菅生川草刈一斉清掃(2015年9月6日)

 その代表としてこの4月、岡崎の「乙川を美しくする会」が内閣総理大臣表彰を受けてみえる。改めて御報告致しますと共に敬意と感謝を申し上げる次第である。
 当日は私も、開会の御挨拶を申し上げ、作業を行った後、左岸側の皆様にお礼を言いながら回らせて頂きました。

―以下、当日の御挨拶の内容―
『皆様、早朝より本当に御苦労様です。市長の内田であります。
 本日の「菅生川を美しくする会」主催による菅生川草刈一斉清掃は、市民との協働による環境美化事業として実施され、流域の三島、梅園、根石、連尺、六名、竜美丘の6学区、さらの各種団体、事業所の皆様、岡崎土木災害安全協力会の皆様、市役所職員、合わせまして35団体、約2,000名の皆様に御参加頂いております。

菅生川草刈一斉清掃・参加団体配置図(2015年)

 このように多くの皆様に菅生川の美化に関心を持って頂き、清掃活動に御参加賜っていることを心から感謝申し上げます。こうしたことは今後岡崎の「かわまちづくり」を推進する上で、強く背中を押して頂いているように感じております。
 御案内のとおり、本年は家康公四百年祭として、また来年は市制100周年として、共に本市の大きな歴史の節目を迎えます。私達はこれを絶好の機会ととらえ、岡崎独自の歴史的文化遺産と、菅生川の水辺空間を活かした「観光産業都市」としての岡崎のまちづくりを図ってまいります。
 今年度よりいよいよ「乙川リバーフロント計画」における人道橋の建設をはじめとする数々の事業が本格的にスタートします。皆様と共にさらに盛り上げてまいりますので、どうぞ今後とも一層のお力添えをお願い致します。』

菅生川草刈一斉清掃(2015年9月6日)


平成26年 菅生川草刈一斉清掃 (2014.09.17)

平成24年 菅生川草刈一斉清掃 (2012.09.09)

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2015年9月 6日 (日)

乙川リバーフロント計画、岡崎デザインシャレット

Okazakidesigncharrette20155

 また「カタカナ文字ばっかり使って、一体どこの国か!」と年輩の方からお叱りを受けそうなタイトルである。
 国の事業認定も受け、国庫補助も満額回答を頂き、順調に進んできた乙川リバーフロント計画も、いよいよこの秋から本格的に具体的な工事に着工する。
 これまでは、各分野の代表で構成された専門家集団である岡崎活性化本部の智恵と力をお借りしながら事業を展開してきたが、岡崎のまちづくりをもう一段階すすめていくために、今までとは違った視点、新しいセンスを求めてみたいと考えた。
 そこでこの度、現役の大学生を中心にして、「街路整備」と「新ホテル計画」というテーマについてそれぞれプロジェクト・チームを作ってもらい、具体的なプラン(模型作成)を基に議論を深めることとなった。これは欧米の建築業界で行われているシステムであり、先般「乙川リバーフロント地区まちづくりデザインキックオフフォーラム」のコーディネーターを務めて頂いた東洋大学の藤村龍至先生の主導により日本でも始められているものである。表題の「岡崎デザインシャレット」は、8月2日から9日まで8日間にわたって東岡崎駅の岡ビル百貨店3階で開催された。

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 テーマをしぼり、誰にも目で見て理解できる模型を実際に作って話をすることで内容がただちに具体化し、議論も空論となりづらい。
 かねがね子供達の発想がバカにならないということを、小・中学生との対話を通じて理解しているつもりの私である。これまで、すでに一般市民や子供達からはポスター、作文、アイデアコンテストなどによって多くの御意見を頂いているところである。今回は大学生であり専門的な基礎知識十分な建築家の卵達(失礼!)の知恵と力をお借りしようというのである。

 当初、地元の大学生を中心にと考えていたところ、東京、千葉、静岡、京都の大学生までが参加してくれる多彩な顔ぶれによるものとなった。8月7日(金)に行われた「第2回パブリックミーティング」に出席した私であるが、学生さん達の斬新なアイデアと真剣さに圧倒される思いであった。
 それぞれのプロジェクト・チームの内容は以下の図表のとおりであり、また併せて投票結果も提示しておく。

プロジェクトA : 中央緑道再生計画

A-1 緑道ミュージアム

Okazakidesigncharrette2015a1_2

初期案: コの字型の壁
最終案: 円形の壁とゾーンごとの利用イメージの提示
特徴: 360度四天王像が見える
A-2 町家緑道

Okazakidesigncharrette2015a2_2

初期案: ウッドデッキと芝
最終案: 日常時、イベント時、災害時の利用イメージの提示
特徴: 人道橋と籠田公園を素材でつなぐ
A-3 参道緑道

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初期案: 一本の軸線
最終案: 日常時の神聖なイメージとイベント時の縁日感の演出
特徴: 四天王像の設置向き

プロジェクトB : 太陽の城跡地計画

B-1 容積:400%

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問題解決と特徴 (タワー): 岡崎一高いタワー
問題解決と特徴 (基盤):
大きさを活かす機能、コンベンションホール、高い位置のテラス
B-2 容積:300%

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問題解決と特徴 (タワー): 隣地タワーとリズムを合わせて配置
問題解決と特徴 (基盤):
階段状のテラスで囲まれたシンボル性の高いコンベンションホール
B-3 容積:200%

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問題解決と特徴 (タワー): 眺望を優先して再配置
問題解決と特徴 (基盤):
コンベンションホールと川へ直接アクセスできる低層部を
多様なテラスでつなぐ

参加学生

名古屋工業大学 8名
豊橋技術科学大学 3名+2名(運営)
静岡文化芸術大学 3名
名城大学 3名
椙山女学園大学 2名
名古屋大学 2名
名古屋市立大学 1名
芝浦工業大学 2名
京都大学 1名
女子美術大学 1名
千葉大学 1名+1名(運営)
立命館大学 1名
名古屋学院大学 2名(運営)
愛知淑徳大学 1名(運営)

投票結果

意見交換会 意見交換会 最終講評会
来場者
投票
来場者
投票
来場者
投票
専門家
採点
内藤氏
採点
A-1 緑道ミュージアム 6 10 11 73 8
A-2 町家緑道 17 23 30 93 10
A-3 参道緑道 3 10 9 65 4
B-1 容積:400% 3 11 6 66 6
B-2 容積:300% 12 18 22 82 5
B-3 容積:200% 11 14 22 98 10

 会場におみえになった来場者、そして専門家による判定はこのようになったが、それぞれにすばらしいアイデアのひらめきがあり、そうしたものを今後の他の施策の中でもぜひ活かしていきたいと考えている。
 そして今回の試みの成果として一番意義があったと思われることは、若い力と才能の発見である。今回デザインシャレットに参加してくれた学生達は皆、手弁当で交通費や宿泊料も自前による参加であった。単なる一地方都市の活性化計画に対し、全国から34名もの有志の学生が参加し、これだけの成果を短期間で出してくれたのである。
 個々のチームの発想は、景観との調和や風の流れまで考えるという、現実的な建築様式を踏まえながらもユニークで夢のあるアイデアばかりであった。いずれも役所的定型の発想を超える興味深いものばかりであった。夢と若さを失った人達には、とてもこれほどのアイデアは思い浮かばないだろう。
 また、私達のような行政側の立場で選択をすると、どうしても現実的な予算規模、民間業者の事業能力を想定した上での無難な案を選んでしまいがちである。しかしもし今回提案されているようなプランにチャレンジする民間事業者が現れれば、岡崎の中心市街地における今後のビル建築の様式、ひいては将来のまちの景観まで一変するかもしれないと考えている。

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 現在本市としては、太陽の城・跡地利用について、具体的にいくつかのホテル業者と話し合いを続けているところであるが、残念ながら今のところ合意するまでには至っていない。そこで、もしデザインシャレットで打ち出されたようなプランに賛同してくれるならば、私は外資系の事業者でも構わないと思っている。近年中国からの訪問客も増加しているだけに、香港、台湾、シンガポールなどの財閥系のホテルでも構わないと思っている。もし必要ならば私が現地に飛んで行き、岡崎のPRに出向いてもいいと考えている。どなたか御紹介頂ければ大歓迎であります。
 いずれにしても、今回デザインシャレットで若者達から提案されたプランは、それほどまでに将来に対する期待感を感じさせてくれるものであったことを最後に申し添えておきたい。

(* 9月1日から30日まで市役所・東庁舎1階ロビーで再展示しております。ぜひ一度御覧下さい。)

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2015年9月 3日 (木)

額田木の駅プロジェクト・開駅式

額田木の駅プロジェクト

前回のつづきです。)

 山村問題を考える上で重要な出来事であるため、3ヶ月ほどの遅れとなるが御報告しておきたい。
 本年5月15日、岡崎市額田地区において、山間地活性化の一つの試みである「額田木の駅プロジェクト」の開駅式が行われた。
 岡崎市は平成18年(2006年)1月1日に額田町と合併し、市域の6割、約23,300ヘクタールの面積が森林で占められることとなった。その内の6割がスギ・ヒノキといった人工林であり、そうした所では間伐、下草刈り、枝打ちといった適切な管理が不可欠となる。
 ところが近年は、安価な外材の流入に伴い、国内の木材価格の低迷や山林の所有者、管理者の高齢化もあって、十分な手入れもできず放置されている森林が増えているのが現実である。間伐は森林管理上、欠かせない作業であるが、間伐をしても外へ搬出するための費用がかかるためそのまま未利用となる木材も多い。
 このまま森林整備がされなくなると、未利用の木々が増え、良質な国内の木材は減少し、森林の持つ土砂災害防止機能や水源涵養という有益で重要な働きも失われてしまうことになる。

額田木の駅プロジェクト

額田木の駅プロジェクト

 「額田木の駅プロジェクト」は、地域の森林整備と未利用木材の有効活用を促進するとともに地域経済の活性化を図るものである。事業に加盟すれば、誰でも間伐材を軽トラックに積んで出荷し、山の仕事に関わることができる。そしてその対価を地域通貨「森の健康券」で支払うことで、地域の経済の活性化にも寄与することになるというシステムである。このような新たな試みに対し行政がタイアップしてゆくことも必要であると考えている。
 さらに岡崎市においては、山林整備を促進し、地元木材資源を有効活用し山間地の仕事をつくり出すため、地元材を使った住宅建築への補助を行うほか、公共建築物への木材利用を積極的に進めている。

 その代表例の一つが「乙川リバーフロント計画」の人道橋の木調化である。表装に木材を使用した橋は定期的に木部の取り替えが必要であるが、取り替え自体をお祭りにしてまちおこしにも活用していこうと思っている。今後は周辺自治体間の一層の連携を図り、さらなる取り組みを行っていきたいと考えている。

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2015年9月 1日 (火)

平成27年度 山村問題懇談会

山村問題懇談会(2015年8月12日)

 県会議員の時に私は山村振興議員連盟の副会長をしていたが、同連盟の県議17名、三河市町村の山村を有する自治体の長、県知事及び県関係者が集う「山村問題懇談会」が、8月12日(水)、豊田市の小原交流館にて行われた。なお昨年度の懇談会は岡崎市のぬかた会館で開催されている。

 このところ、全国的に人口減少が話題となっているところであるが、日本の産業中枢圏である愛知県は、数少ない人口増加県である。幸いにも岡崎市も平成42~3年頃までは人口増の予測となっている。
 しかしながら同じ県内にあっても、中山間地域ではいち早く人口減少が始まっている。さらに若年人口の流出に伴う高齢化率の上昇も加わり、困難な問題を二重に抱えることとなった。
 現在、国においては地方創生に向けた各種の取り組みが積極的に進められている。岡崎においても地方版の総合戦略を新たに策定する中で、山間地域への定住を促進する施策を考えているところである。

愛知県道37号沿い

 こうした状況の中、人口過密な首都圏で生活する若者の中には逆に「田園回帰」の志向性もあり、都市圏から、ゆったりして空気もきれいな、緑あふれる山村地域への移動を希望する人が増えてきているという。ところが本市においては、空き家はあっても移住希望者への貸し出しということがうまく進んでいないという現実がある。
 「新たな山村振興ビジョン」の策定にあたって、愛知県が実施した〝小規模高齢化集落実態調査〟の結果によると、空き屋所有者のうち家を貸したり売ったりしても良いという人は29.8%であった。47.4%の人は貸すつもりはないと回答していた。
 このように地域においては依然、保守的な傾向が強く、口では地域の人口減を嘆きながらも本心としては「考え方や生活習慣の違うヨソ者は受け入れたくない」というところがうかがえるようである。そのために、せっかく地域に移住を望む都市生活者がいても、さきざきの生活の困難性を考えて移住を思いとどまってしまうケースもあるという。
 さらに付け加えるならば、外に出た自分の子供達すら戻りたがらない不便な所に他人の移住を勧奨するためには、それなりの環境整備と利便性の向上が不可欠となってくる。都市生活の便利さに慣れた者にとって、実際に移り住む先にコンビニも無いということは一種の恐怖ですらあるのである。

岡崎市淡渕町

 中山間地への定住を促進するためには、その地で自活できる仕事の確保と共に集落における医療、教育、福祉を含めた利便性の向上と地元民の意識改革が必要となってくる。
 アンケート調査の結果としては、買い物・通院・通学の移動支援や、住民同士の交流・親睦に対する取り組みが望まれており、さらに将来の集落共同体における人口減による活動費の不足、個人負担の増加を含め、集落の存続そのものに対する不安の声がある。しかも人間は、より以上の安心安全、便利快適さを望むものであり、様々な対応策をとったからと言って、必ずしも人口が増える保証はない。また、今後集落規模が縮小してゆく中で、地域における活動、伝統・文化の継承といったことも困難なことになってくる。
 自治体単独の取り組みでは不十分で効率も悪くなる。こうした状況に対応するためには、近隣の同様な条件を持つ集落は市域を越えて連携し、共同する施策が必要となるだろう。

 現在愛知県では「三河の山里サポートデスク事業」が行われており、都市の住民からボランティアを募り、中山間地の地域活動のお手伝いをして頂いているという。これからはこうしたシステムを十分活用すると共に、行政区域を越えた協力・共同による各種対応策を講じてゆくことになるものと思われる。 (つづく

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