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2015年5月23日 (土)

大山鳴動して、ネズミ一匹!

Taizanmeidoshite

 異なった御意見の方もおみえのことと思うが、今回5月17日に大阪市が行った住民投票とは一体何だったのだろうかと思うこの頃である。
 橋下徹氏がタレント弁護士から知事に転出し市長となるまで、その主張の中には共感できる部分もあったが、議論こそ百出したものの結局何一つ決まることなく終わってしまった様な気がする。その間に大阪市民の平均所得は全国5位から14位まで下がったというニュースを耳にすると、地道な基本政策に対する配慮に欠けていたのではないかと思う。
 彼の登場は、硬直化したとも見える政治の世界に旋風を巻き起こしたショーとしては面白かったかもしれないが、政治的には何も残さなかったように思われる。要するに大阪を7年間ひっかき回しただけの観がするのである。

 マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を持ち出すまでもなく、政治家であるならば、一度の失敗であきらめることなく再挑戦して目的を達成する努力をすべきであると思うが、「負けたら引退!」を公約としていたとすれば致し方なかろう。
 しかしそれは政治を担う人間の生き方ではない。また、ことさらに態度の潔さを強調する点は次への就職活動とも見える(TVのニュースキャスターやコメンテーター、1回300万円?と言われる講演活動、正義派弁護士として再登場)。

 ところで、いつ頃からこうした扇情的アジテーターが政治の舞台に出没するようなったのか。A・ヒトラーまで戻らずとも、近年ではやはり小泉純一郎氏に行き着くこととなる。
 「郵政民営化選挙」と銘打って衆議院を解散し、党内の異なる意見の存在をも「抵抗勢力」の名のもとに切り捨ててしまう乱暴なやり口は、「清・濁を併せて飲む」と言われてきた従来の保守政治の手法とは一線を画していた。さらに「刺客」と称して、著名人や美人ニュースキャスター、学者や高級官僚を、郵政民営化法案に反対した議員の選挙区に対立候補として送り込み、政治的に抹殺してしまうという、まるで赤色革命の保守版のようであった。
 確かに中には実力派として期待される方もみえたが、このところの様子を見ていると、政治を担う心構えや候補者としての意識さえも疑わしい。選挙をまるで芸能人の人気投票と勘違いしているかに思える人物まで目につく様になってきた。誰でも立候補できることはよいことであるが、最近のあまりの粗製乱造ぶりには少々辟易させられる。

 旧来より、大都市における選挙のあり方と地方都市における選挙のあり方には違いがあった。大都市においては人の流動性が高く、人間関係も希薄になりがちで、地元に根ざした地道で継続的な日常活動ができにくいという状況がある。そのため大衆社会(大衆心理)を意識した街頭演説、ポスター、宣伝ビラを使ったその場限り(失礼)の選挙活動が中心となる。
 反して地方都市は、地域特性、伝統というものに重きを置く定住人口の割合が高いことが特徴として挙げられる。人脈がなく、共通の思考回路のない、素性のはっきりしない人物は簡単に地域に受け入れてもらえず、そのため選挙には地域代表の色彩を帯びた候補者が有利な立場を得ることとなる。
 これはどちらが良いか悪いかという問題ではない。単に選挙の質の違いを述べたにすぎない。しかし、保守政治というものが地縁、血縁を基盤とした地域主義、伝統主義に支えられたものであることはどこの国でも同じであり、当たり前のことである。一般的に、赤色思考の傾向の強いマスコミ人は大都市型に肩入れするきらいがある。他にも労働組合や宗教団体、各種団体を基盤とした政党があるが、これとても言わば形を変えた特殊集団主義である。そうした中で、一方だけを批判的に扱うのは政治の本質を理解していない様にも思える。
 いずれにせよ、時代の移り変わり、社会の変化により、人間の流動性はより高くなり、ますます個の結びつきの希薄な大衆社会が到来し、選挙のあり方も変容しつつある。そうした時に我が国に出現したのが、大衆戦略に力を置いた大衆扇動の選挙運動形態である。
 次から次へと大衆の耳に心地良いキャッチフレーズを並べたて、有権者の思考が十分回らず理解できないうちに投票日を迎える。そして「当選してしまえばこっちのもの」とばかりの、勝つことだけを目的とした候補者や集団が生まれているのが昨今の有り様である。
 新人候補ができるはずもない公約を言っても、専門家ではない有権者にはただちにその真贋はよく分からない。そうした盲点をついた選挙戦略によって、またしても政治の劣化は進むのであろうか?

 新保守主義の衣をまとって登場してきた日本維新の会(現・維新の党)も、石原、橋下、松井、江田という軸を次々と失い、結局、民主党か自民党に寄り添って生きてゆくしか道がなくなるのであろう。
 松野頼久新代表は「国民から強い野党を望む声が云々」と言っておられるが、風が吹いたら右にユレたり左にユレたりするような、アマチュアの政党などいてもいなくても同じことである。
 新たな時代の世界帝国を目指す中国にこびへつらわず、アメリカに対しても必要なことを堂々と言える、軸線のしっかりした政党こそ今必要とされていると思うが、どうであろうか?

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