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2015年5月

2015年5月29日 (金)

「悠紀斎田100周年記念お田植えまつり」のお知らせ

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 大正3年(1914年)、大正天皇が即位される大嘗祭の儀式に使う新米を皇室に献穀する斎田として、西日本からは香川県綾川町の田が、東日本からは岡崎市中島町の田が選ばれました。
 その翌年、大正4年(1915年)6月5日に中島町で行われた「大嘗祭悠紀斎田お田植え」の式典には7万人あまりの人が集まったと言われています。以来、6月のお田植えまつりの行事は、六ツ美地区全域の住民の御理解と御協力のもと、今日まで受け継がれてきました。
 本年の100周年記念のおまつりは、秋篠宮同妃両殿下の御臨席を仰ぎ、6月7日(日)に開催いたします。併せて各種イベントも行います。

10時25分 六ツ美地区の小中学校による演奏等
12時00分 愛知県警警察音楽隊による演奏
12時50分 お田植え神事
14時00分 100周年記念式典
・秋篠宮同妃両殿下御臨席
・殿下からの御言葉
・お田植えおどり及び田植え
15時10分 城西高校和太鼓演奏
15時35分 グレート家康公「葵」武将隊演舞
16時00分 餅投げ(途中、オカザえもんも会場に登場)

 会場の「地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里」斎田広場付近に駐車場がないため、2箇所からシャトルバスを運行いたします。詳細を記したパンフレットを以下に掲載しました。お越しになる方は御覧下さいますよう、よろしくお願い申し上げます(クリックすると拡大します)。なおイベント・行事のタイムスケジュールにつきましては、実行委員会が既に作成、配布したものとは一部変更となっております。

六ツ美悠紀斎田100周年記念お田植えまつり

六ツ美悠紀斎田100周年記念お田植えまつり


悠紀斎田100周年記念お田植えまつり、無事開催しました (2015.06.13)

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2015年5月26日 (火)

新型はしご付消防自動車と婦人自主防災

はしご付消防自動車(日野プロフィア)

 世の中には、高い所の好きな人と嫌いな人がいるが、私は煙と同じで高い所が好きな方である。今回も試乗のお話を頂いた時、二つ返事で引き受けたものである。
 先頃導入した最新鋭のはしご付消防車のはしごは日本一の全長55メートル(54.7メートル)であり、風速10メートルまでは任務で使用できることになっているそうである。台風の接近もあり、当日(5月11日)は風速6メートルほどの風が吹いていた。「どうしますか?」と問われ、当然「やります」と答えた。

はしご付消防自動車(日野プロフィア)

 ものごとは何でも実際にその場に出かけて自らやってみなくては分からないことが多いものである。ヘルメットをかぶり、安全ベルトを装着し、命綱をつけてバスケットに搭乗した時、何年か前に自分で2階の屋根のペンキ塗りをした時のことを思い出した。しかし今回は高さが違う。55メートルと言えば2階建ての家の7倍の高さである。しかも風でユレるし、ハシゴそのものが南京玉スダレのようにそっくり返っている。

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 担当者の話では、ハシゴがそり返ってユレるから、かえって折れたり倒れたりすることがないそうである。高い所が苦手の人は興味本位で試乗されない方がいいと思います。

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 古参の方々の話では、昔の消防車のハシゴは今程の性能はなく、ユレもひどく、手足を使って自分で登る必要があり、しかもハシゴがよじれたりすることさえあったという。(ナンマンダブ、ナンマンダブ)

 火災に立ち向かう人達の苦労が単に消火だけではなく、こうした機器を使いこなして人命救助を行うだけではないことがよく分かった。高所恐怖症の人の救助に当たっては、火の燃え盛る最中、相手を落ち着かせるためにまずユックリと説得するのだそうである。おびえた人に高い所でしがみつかれれば二次災害の危険性があるからである。今回の新車両の導入によって、市内の高層ビルは3~4の建物を除いておおむね対応可能となったそうである。
 愛知県下の市町において岡崎市の消防装備は際立って優れたものとなっていることを、今回の試乗で深く理解することができた。

岡崎市婦人自主防災クラブ連絡協議会

 また同日、消防署の講堂において「岡崎市婦人自主防災クラブ連絡協議会」の定期総会が行われた。以下は総会の場で私が述べた話である。

『婦人自主防災クラブの皆様には、昭和56年の発足以来34年間にわたって「家庭内防災、家庭内救急」のスローガンのもと、家庭内はもとより地域防災力の向上のためお力添えを頂いているところであります。
 このところ、昨年夏の広島市の豪雨・土砂災害、秋の御嶽山の噴火など、甚大な自然災害が発生し心配しているところでありますが、本市としましても豪雨による浸水対策として、国県と共に河川改修を重点的に進めているところです。また同様に長年懸念されております南海トラフ巨大地震に対しましても、最大震度7の揺れを想定して市民の安全と安心を最優先に更なる防災力の向上を図っております。
 こうした防災・減災対策を進めていく上で、ハード面だけでなく、ソフト面の強化も欠かせません。特に、災害時の避難所の運営においては、女性の視点に立った、きめ細かい配慮が重要となりますので、地域の防災リーダーとしての女性の活躍に大いに期待するところです。
 そして今回は婦人自主防災クラブの皆様にお詫び申し上げることがあります。
 昨年は、長年の消防団からの要望を受け、消防団に支給している冬用コートを新調しました。ところが、婦人自主防災クラブの皆様へのものが予算から漏れておりました。そこで1年遅れて、今年度、新調支給することと致しました。今年の消防出初め式の折に寒い思いをされた方には改めてお詫び申し上げたいと思います。
 いずれにしましても、これからの防災・減災対策については家族、地域で相互に助け合うことが肝要であり、その中心は元気なお母さん、女性であると考えます。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。』

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2015年5月23日 (土)

大山鳴動して、ネズミ一匹!

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 異なった御意見の方もおみえのことと思うが、今回5月17日に大阪市が行った住民投票とは一体何だったのだろうかと思うこの頃である。
 橋下徹氏がタレント弁護士から知事に転出し市長となるまで、その主張の中には共感できる部分もあったが、議論こそ百出したものの結局何一つ決まることなく終わってしまった様な気がする。その間に大阪市民の平均所得は全国5位から14位まで下がったというニュースを耳にすると、地道な基本政策に対する配慮に欠けていたのではないかと思う。
 彼の登場は、硬直化したとも見える政治の世界に旋風を巻き起こしたショーとしては面白かったかもしれないが、政治的には何も残さなかったように思われる。要するに大阪を7年間ひっかき回しただけの観がするのである。

 マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を持ち出すまでもなく、政治家であるならば、一度の失敗であきらめることなく再挑戦して目的を達成する努力をすべきであると思うが、「負けたら引退!」を公約としていたとすれば致し方なかろう。
 しかしそれは政治を担う人間の生き方ではない。また、ことさらに態度の潔さを強調する点は次への就職活動とも見える(TVのニュースキャスターやコメンテーター、1回300万円?と言われる講演活動、正義派弁護士として再登場)。

 ところで、いつ頃からこうした扇情的アジテーターが政治の舞台に出没するようなったのか。A・ヒトラーまで戻らずとも、近年ではやはり小泉純一郎氏に行き着くこととなる。
 「郵政民営化選挙」と銘打って衆議院を解散し、党内の異なる意見の存在をも「抵抗勢力」の名のもとに切り捨ててしまう乱暴なやり口は、「清・濁を併せて飲む」と言われてきた従来の保守政治の手法とは一線を画していた。さらに「刺客」と称して、著名人や美人ニュースキャスター、学者や高級官僚を、郵政民営化法案に反対した議員の選挙区に対立候補として送り込み、政治的に抹殺してしまうという、まるで赤色革命の保守版のようであった。
 確かに中には実力派として期待される方もみえたが、このところの様子を見ていると、政治を担う心構えや候補者としての意識さえも疑わしい。選挙をまるで芸能人の人気投票と勘違いしているかに思える人物まで目につく様になってきた。誰でも立候補できることはよいことであるが、最近のあまりの粗製乱造ぶりには少々辟易させられる。

 旧来より、大都市における選挙のあり方と地方都市における選挙のあり方には違いがあった。大都市においては人の流動性が高く、人間関係も希薄になりがちで、地元に根ざした地道で継続的な日常活動ができにくいという状況がある。そのため大衆社会(大衆心理)を意識した街頭演説、ポスター、宣伝ビラを使ったその場限り(失礼)の選挙活動が中心となる。
 反して地方都市は、地域特性、伝統というものに重きを置く定住人口の割合が高いことが特徴として挙げられる。人脈がなく、共通の思考回路のない、素性のはっきりしない人物は簡単に地域に受け入れてもらえず、そのため選挙には地域代表の色彩を帯びた候補者が有利な立場を得ることとなる。
 これはどちらが良いか悪いかという問題ではない。単に選挙の質の違いを述べたにすぎない。しかし、保守政治というものが地縁、血縁を基盤とした地域主義、伝統主義に支えられたものであることはどこの国でも同じであり、当たり前のことである。一般的に、赤色思考の傾向の強いマスコミ人は大都市型に肩入れするきらいがある。他にも労働組合や宗教団体、各種団体を基盤とした政党があるが、これとても言わば形を変えた特殊集団主義である。そうした中で、一方だけを批判的に扱うのは政治の本質を理解していない様にも思える。
 いずれにせよ、時代の移り変わり、社会の変化により、人間の流動性はより高くなり、ますます個の結びつきの希薄な大衆社会が到来し、選挙のあり方も変容しつつある。そうした時に我が国に出現したのが、大衆戦略に力を置いた大衆扇動の選挙運動形態である。
 次から次へと大衆の耳に心地良いキャッチフレーズを並べたて、有権者の思考が十分回らず理解できないうちに投票日を迎える。そして「当選してしまえばこっちのもの」とばかりの、勝つことだけを目的とした候補者や集団が生まれているのが昨今の有り様である。
 新人候補ができるはずもない公約を言っても、専門家ではない有権者にはただちにその真贋はよく分からない。そうした盲点をついた選挙戦略によって、またしても政治の劣化は進むのであろうか?

 新保守主義の衣をまとって登場してきた日本維新の会(現・維新の党)も、石原、橋下、松井、江田という軸を次々と失い、結局、民主党か自民党に寄り添って生きてゆくしか道がなくなるのであろう。
 松野頼久新代表は「国民から強い野党を望む声が云々」と言っておられるが、風が吹いたら右にユレたり左にユレたりするような、アマチュアの政党などいてもいなくても同じことである。
 新たな時代の世界帝国を目指す中国にこびへつらわず、アメリカに対しても必要なことを堂々と言える、軸線のしっかりした政党こそ今必要とされていると思うが、どうであろうか?

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2015年5月21日 (木)

『リバ!』2015年6月号

『リバ!』2015年6月号

内田康宏事務所から『リバ!』2015年6月号発行のお知らせです。
「内田やすひろの徒然市長日記」は写真にありますとおり、「ネコ舌とカエル風呂」です。

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2015年5月18日 (月)

茅ヶ崎市2015 その2(ゆかりの人々)

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 今回はまた、これまでまだ訪れていない「茅ヶ崎ゆかりの人物館」と「開高健記念館」を訪問することができた。
 茅ヶ崎市は地理的に東京から近く、保養地としての歴史も古いことから、政財界の著名人、作家、俳優が多く在住したことでも知られる土地である。

 私はかねてより、「名誉市民」とは別の形で市から表彰を行うことができないかと思案していた。〝名誉市民〟というと何かと堅苦しいし、選考基準も面倒くさそうなので、社会の各分野で活躍し、岡崎市の名前を様々な形で広めて下さった方達に対して、もっとフランクにその労をねぎらう表彰はないものかと考えていた。その点、茅ヶ崎市が行っている〝市民栄誉賞〟の設定はなかなか良いアイデアであると思う。岡崎市にもスポーツや芸術、芸能等の分野で様々に御活躍頂いている方は数多くいる。

茅ヶ崎ゆかりの人物館

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 「茅ヶ崎ゆかりの人物館」と「開高健記念館」は国道135号線近くのこんもりとした木立に囲まれた丘陵の上に併設されていた。木造を基調とした人物館とどっしりとした造りの開高館の対比もなかなか面白いと感じながら石段をのぼり、人物館の入口に辿り着いた。現在、市民栄誉賞受賞者8名のうち、次の4名の方の企画展がされている。

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 初めは日本人として5人目の宇宙飛行士となった野口聡一氏である。彼は生まれは横浜市であるが、12歳からこの地で育っている。子供時代の思い出話と共に学生時代のノートや写真、そして宇宙服のレプリカ等の展示がある。
 次に女子ソフトボール選手としてアテネ・オリンピックで銅、北京オリンピックで金メダルを獲得した三科真澄選手。
 3番目に日本を代表する女子テニス・プレーヤーの一人、杉山愛さん。写真やラケット、トロフィー等が展示されていた。彼女は横浜市出身で、5歳から茅ヶ崎に在住した。
 最後に女子野球選手の出口彩香さん。彼女のユニフォーム等が解説付きで並べられている。
 木造平屋建ての簡素な建物の中に、郷土出身のガンバル・マン(ウーマン)達をさりげなく紹介して讃える施設はなかなか良いものであると思う。本人はもちろん子供達の励みにもなるだろう。同館には俳優の加山雄三氏や中日ドラゴンズの山本昌選手の展示もあり、そのうちサザン・オールスターズの桑田佳祐氏も加わることだろう。

開高健記念館

開高健記念館

開高健記念館

 中庭にある山荘風・板張りのテラスを通って、森の小径のような通路を抜けると、隣の旧・開高健邸(現・記念館)に出る。開高健は昭和49年に東京から茅ヶ崎市に移り住み、平成元年に亡くなるまでここに暮らしていたという。この記念館は元々開高氏の私邸であり、同氏没後に遺族から茅ヶ崎市に寄贈され、公開されているものである。
 玄関からホールに入ると、開高氏の著作と共に数々の資料が展示されている。我々の世代には開高氏はベトナム戦争の取材(『ベトナム戦記』)とプレイボーイ誌の人生相談で知られている。ホール中央には取材に使用した道具と共に米軍の鉄カブトもある。

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 私は同氏の作品では『オーパ!』シリーズの3冊と他に数冊の随筆集を持っている。残念ながら小説はほとんどまともに読んでいない。しかし、その文体からは私の好きなアーネスト・ヘミングウェイと同質のものを感じている。すなわち、旅(放浪)、戦い、酒、女、釣り(狩り)など、いわゆるマッチョな路線である。
 〝オーパ!〟とは、ブラジルで驚いた時に発する叫び声である。この本はアマゾンやアラスカ、カナダを始め、世界の秘境を旅しながら各地の怪魚、幻魚、珍魚を釣り上げようとする写真付きドキュメンタリー随想である。私のように放浪癖がありながら、なかなか自由に歩き回ることのできない男達にウケたのか、今日まで続くベストセラーとなっている(文庫本もある)。記念館の奥には、釣りの成果の大物の剥製と熊の敷物まであった。今回、旧・開高邸を見て、同氏の作家としての成功を納得したものである。

 先日久しぶりにテレビを観たら、NHKで上原謙・加山雄三親子の年代記をやっていた。やはり私にとって茅ヶ崎と言えば加山雄三である。人生でこれほど影響を受けた人はいないし、私の年代に同様の人間は少なくないと思っている。
 そもそも私は音楽というものにあまり関心が持てなかった。近くの映画館で聴いた洋画のサウンド・トラックは耳に馴染んでいたが、当時の日本で一般的だったのはTV番組で流れるような歌謡曲や演歌、民謡ばかりで、あとはアメリカン・ポップスを和訳してマネて歌っているようものがあるぐらいだった。
 小学校に入学した頃、母親にヤマハ音楽教室なる所へ連れて行かれたことがあった。回りは女の子ばかりであったため「絶対に嫌だ!」と言って一度しか行かなかった(今思えば惜しいことをしたと思っている)。そんな私であったが、ゴジラ映画を観に行くと必ず二本立てでやっていたのが加山雄三の若大将シリーズであった。
 今もはっきり覚えているが、昭和38年『ハワイの若大将』の中で夕暮れのワイキキの浜辺でウクレレを弾きながら英語で歌ったのが「DEDICATED」(加山氏大学3年時の作品)であった。

加山雄三

 それまでの日本の歌と全く違う、スマートで甘いメロディーラインに体に電気が走るような思いがしたものである。この曲は後に「恋は紅いバラ」という名で故岩谷時子氏の作詞でヒットした(60万枚)。映画館を出てすぐにレコード店に出かけてみたものの、その時はまだレコード化もされていなかった。後日、私が初めて買ったレコードとなった。(私は英語の歌の方が好きである。)
 以後、海のスポーツにのめり込み、スキーも始め、へたくそなギターやウクレレも弾き始めた記念すべき瞬間であった。おかげで現在様々なジャンルの音楽を楽しめる素地ができる切っ掛けとなった。加山氏はある意味で人生の恩人の一人であるとも言える。

 誰しも似たような出来事が人生にはあるものであるが、以上の理由から、かつて茅ヶ崎が岡崎とゆかりのまちとなった時、理屈を越えてうれしく思ったものである。

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茅ヶ崎市役所文化生涯学習課の方々にこのたび御案内頂きました。)

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2015年5月15日 (金)

茅ヶ崎市2015 その1(大岡越前祭)

茅ヶ崎市「第31回 春の市民まつり」

 今月の初旬、「浜降祭」以来、約1年振りにゆかりのまち・神奈川県茅ヶ崎市を訪れた。「大岡越前祭」に参加するのは2年振りのこととなる。

 もとより岡崎市と茅ヶ崎市は大岡越前公の領地がとりもつ御縁というものがある。しかし今回は4月の選挙で服部信明市長がめでたく再選されたことに対する挨拶の意味もある。どちらにせよ、服部市長は2年半前の私の初当選の折、真っ先に岡崎にお祝いに駆けつけて下さった熱血市長さんであり、私の好きなタイプである。
 そうした経緯にも増して、茅ヶ崎という所は心安らぐまちである。表通りの華やかさと飲食店の盛況は東京圏の一角であることを感じさせるが、一本裏手の道に入ると、戦災をまぬがれたせいなのか、昭和30~40年代の面影が今も残っている。そうした景観が醸し出す風情がホッとさせてくれるのかもしれない。
 街角の雑貨屋さんの軒下(のきした)に吊してある竹編みのカゴや、昨今なかなか見かけなくなったブリキ製のジョーゴが売られている様を見ると、心が昔へ引き戻されるような錯覚にとらわれる。

ちがさき産業フェア

 大岡越前祭に併せて行われている市民まつりや産業フェアには、今回も岡崎市から有志の参加があり、大変感謝している。またこの催しには全国各地から様々な出店の参加もあって、それぞれにお国自慢の趣向が凝らされ、祭りを盛り上げていた。
 大ホールの中の一角に木工のコーナーがあり、いかにも大工の親方風の三人のオジさん達が陣取っていた。正面に置いてある木組みの製品に私が興味を示すと「何だか分かるかい?」と声を掛けられた。何か運動のための道具かと思っていたら、ワラジを編むために使うモノだと言う。「もっとも、今じゃワラジを編める人がいなくなって、1年に1個くらいしか売れない」そうである。
 とは言え、まだこうした職人気質の方々が伝統を伝え「モノづくり」に関わって生きている姿は素晴らしいものだとつくづく感じたものである。

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六代目スマイル茅ヶ崎、ミス・ハワイのステファニーさん、2015観光大使おかざき

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 今回、午前中に浄見寺において行われた大岡家の法要へは議長に出席をお願いし、私は午後からのビッグ・パレードから参加させて頂くこととなった。
 パレードは、警察と消防の先導のもと、湘南ハーレー・クラブのバイクを先頭に、バトン・トワリング、マーチング・バンド、カントリー&ウェスタン・バンドとダンス・チーム、アフリカン・ダンス、浅草のサンバ・チームに加えて、昨年、茅ヶ崎市と姉妹都市提携をしたハワイのホノルル市からミス・ハワイのステファニーさんとハワイアンのグループの参加という多彩さであった。

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 その後に私達来賓を乗せた4台のオープンカーが続いた。さらに祭り囃子と稚児行列、木遣り・まといに虚無僧行列、そしてラストには乗馬姿の大岡越前公を中心に100名程の時代絵巻が並び、チャンバラ演武も行われるというテンコ盛りのサービスであった。
 市街地の道路の多くが幅6メートルくらいの狭さのため、左右からの市民・観客との密着度も高く、手を伸ばせば握手もできそうな距離でのパレードであり、気も抜けない。知った人もいないだろうと思っていたら、「私も名古屋から観に来ました。ガンバって下さい」と声を掛けられ驚いてしまった。

大岡秀朗さん御夫妻

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 驚いたと言えば、私達の乗車した緑色のシボレーが、一昔前に流行った油圧式でダンスを踊る仕様の車であった。乗車したのは今回が初めてのことである。
 ビッグ・パレードはちょうど岡崎の家康行列と夏まつりの踊りと御神輿パレードにジャズ・フェスティバルの行進を足したような催しであった。この時期には市内全域で社寺のお祭りも行われているそうであるが、ビッグ・パレードが全体のメイン・イベントのような存在であるという。 (つづく

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2015年5月12日 (火)

ネコ舌とカエル風呂

 私のような仕事に就いている者は、毎日あわただしく動き回らなくてはならない。様々な大会、会合、イベントに出席した折に来賓室に通され、お茶やコーヒーを出されることがあるが、決まって熱いモノが多い。私は自他共に許す〝ネコ舌〟である。せっかく飲み物を出して頂いても、ノドが乾いているにもかかわらず、飲めずに終わるということが度々である。
 相手のかたは、善意で熱いモノを出して頂いているため、文句も言えない。氷の入った水がある時は、それを活用したりもするが、世の中いつもそうはうまくいかない。

 私は幼少時より、熱い食べ物、飲み物が苦手でラーメンやソバであっても湯気がおさまってから食べようとする妙な癖がある。「メンがのびてしまう」とか「犬みたいだな」とか言われることもあるが、そんな評価は一向に気にならない。ただ単に熱いモノは嫌いなだけのことである。
 よく熱いモノをフウフウ言って、汗を流しながら食してみえる方がいるが、私はできれば願い下げである。よってナベ物は大方好まない。家族ですき焼きをする時も、そろって熱いモノを食べるよりも、後から一人で食べる趣味である。
 そのため家では、「せっかく温かいうちにと思って、急いで作ったのに!」対「いつ食べようとこっちの勝手だ。大体何年経ったら熱物嫌いだと分かるんだ!」といった愛情あふれるコミュニケーションが成立するのである。

 フロについても熱い湯は苦手で、ぬるいフロに長く浸かっていることが好きである。いわゆる〝カエル風呂〟というヤツである。

ネコ舌とカエル風呂

 つい先日もこんなことがあった。先にフロに入れと妻に言われてフロに入っていたら、「犬の散歩に行っている間におフロから出てるだろうと思ったら、まだ入っている! 死んでるかと思って見に来てしまった」と毒づかれ、「亭主を熱い一番ブロに入れて生命保険をせしめようというお前の魂胆などはとっくにお見通しだ。そうはイカのキン○○だ!」と、最近めっきり少なくなってきた貴重な夫婦の会話を得る機会となった。
 いずれにせよ、次に家を建て替える時には、死体置き場の水槽のように水深が浅く、ヘソ天で体を伸ばして入れる西洋風のフロにしたいものだと考えている。

 世間一般では、大体年をとると熱い飲み物を好むようになるものだと言われているが、私には一向にその気配が無い。冬でもアイスコーヒーを飲むことがあるくらいである。この傾向はフロについても同様であり、そのため友人からは「いつまで経ってもガキのまんまだな」と言われることとなる。
 しかし医療関係者の話によれば、熱物を飲食する生活習慣も、熱い一番ブロに年寄りが入ることも共に健康のためには良くないという。そもそも私は温泉旅行などは趣味ではないし、県議の頃、議員視察で温泉地に泊まっても個室のシャワーで済ませてしまうクチであった。
 大体軍隊でもあるまいに、食事の仕方やフロの入り方まで人にとやかく言われる筋合いはないのである。そんなことは時間さえ許せば個人の自由であり、一般論を強要する方が悪いと思う。「世の中人様々だ。その程度のことに何の不都合があるものか」と言って、いつも最終風呂を希望する私であるが、我が家においては、「フロは亭主が先に入るものだ」という古い観念の持ち主である我が女房殿の「先にフロに入れ!」の号令が今日もまた響くのである。

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2015年5月 8日 (金)

下水道使用料・誤徴収のお詫び

 昨年判明した下水道使用料の誤徴収については、12月に第一次調査結果を上下水道局長から御報告申し上げたところであります。これまで上下水道局内での事務処理体制に問題があり、平成5年(1993年)以来、長年にわたり誤徴収が続きながら十分な対応がとれなかったことに対しまして、現在の市政の総括責任者としてお詫び申し上げます。
 昨年より、現地調査を行いながら御迷惑をお掛けした市民の皆様方にお詫びを続けてまいりましたが、最終的に判明した誤徴収総数は294件でありました。このうち、徴収漏れは212件、過徴収は82件でありました。
 徴収漏れについては、法律的に対応できる期間が5年であるため、遡って請求できるのは、この5年間で使用のない9件を除いた203件で、合計5,160万3,349円となりました。過徴収による返還額は306万5,140円でした。
 徴収並びに還付の対応は継続して対応しているところでありますが、時効により遡及不能となった金額は約1億1,800万円にのぼりました。

 私共は今回の件を重く受け止め、これまでの一部職員の不適切な事務処理に対する道義的責任及び信用失墜に対するお詫びとして、私と両副市長の月額給与を1ヶ月間20%減額し、さらに職員及び退職者からの自主納付による約1,000万円を市へ納付させて頂きます。

 今回の事案は、担当者が誤徴収の報告を課長に上げていたにもかかわらず、情報がそこで止まっていたために発生したことでありました。
 今後はこうしたことが二度と生じないよう、重大な案件は組織として対応し、上層部へも必要な情報が正しく伝わるよう、体制の変革と新たなルール作りを行いました。
 いずれにしましても、このような事態に至ったことを厳粛に受け止め、私以下職員一同市民の皆様の信頼の回復に努めてまいります。
 ここに現在の市政総括責任者として重ねてお詫び申し上げます。

 4月30日に行った対応の詳細は以下のとおりです。
 (クリックすると拡大します。)

職員コンプライアンスの向上について(平成27年4月30日)

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