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2015年3月 8日 (日)

朝鮮通信使隊、家康行列へ

前回のつづきです。)
 江戸時代のはじめ200年の内に12回行われた朝鮮通信使は、家康からの和睦の使いに対する返礼として遣わされた「回答兼刷還使」を始まりとする。
 4回目の派遣から朝鮮通信使と名を改めることとなったが、本来の目的は、5万とも20万とも言われる、秀吉の軍勢が引き上げの折に日本へ連れ去った俘虜人(ふりょにん)を連れ戻すことであった。しかし月日の経過の中で日本に帰化せざるをえなくなった者も多く、帰国できた者は初期の3回で2000人ほどであったという。通信使は江戸間までの道中、歌や踊りを披露しながら行列を行った。そのため文化使節団としての役割も果たすこととなった。今も経路の各地に、当時の書画や詩文がそのまま残されており、一行の踊りをマネたと思われる演舞が伝承されている所もある(岡山県の唐子踊り)。

交差点「伝馬通1丁目」付近で撮影。

 岡崎の籠田公園の南にかつて中村屋という料亭があり、そのあたりに「ごちそう屋敷」と呼ばれる施設があったと伝えられている。私もその名は昔から聞いていたが、岡崎城の食堂のようなものと勝手に思い込んでいた。
 ところが最近になって、この「ごちそう屋敷」が朝鮮通信使に対する幕府の正式な招待所であるということが分かったのである。対馬に上陸して、北九州、中国地方、大阪と行進する通信使達は各地で地元の大名による接待を受けながら江戸を目指した。幕府は岡崎の旧水野邸を改装して、これを公式のおもてなしをする場所(ごちそう屋敷)としたのだという。

御馳走屋敷の図面

 岡崎城の設計図は残っていないのに、どういう訳かこの「ごちそう屋敷」の見取り図は現存しており、そのために市民の一部からは復元を望む声を頂いている。しかし、すでに時代は移り、縦横に道路がはりめぐらされ市街地も形成されており、その要望に応えるには無理があると思う。しかしながら、籠田公園南にセントラル・アベニュー(現・中央緑道)が完成したあかつきには、何とか「ごちそう屋敷」のよすがを伝える表示をしたいと考えている。

 そんなことを考えていた昨年暮れ、日韓親善協会の有志の方から、「朝鮮通信使を再現して春の家康行列に参加したい」とのお申し出を頂いた。すでに家康行列の実施計画について警察と綿密な打ち合わせを済ませていた担当者は難色を示したが、交渉の末、フル参加は難しいものの今年はとりあえず30名ほどの参加をして頂けることとなった(本来の朝鮮通信使は300~500人ほどで構成されていた)。
 近年、少々マンネリ気味であった家康行列に何か新しいテイストを加えたいと思っていただけに、この申し入れはありがたいものであった。しかも先に述べた通り、徳川家康と朝鮮通信使は歴史的に深い縁があるのである。平成28年度は、ぜひ往時の華やかさで市制100周年に花を添えて頂きたいものである。

駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)さん

 さらに2月19日(木)、駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)氏が岡崎市役所を訪問して下さった。「4月25日に岡崎で行う予定の朝鮮通信使のシンポジウムに岡崎市長としてぜひ参加してほしい」という申し出を頂いたのである。
 ところが残念なことに、この日は「家康公四百年祭」の共同事業のため、先約の浜松市に私は出かけなくてはならないのである。私の出席こそかなわないが、シンポジウムの成功のためにできる限りの御協力はしたいと思っている。

 両国の関係が厳しくなっている時であるだけに、こうした民間や地方の交流によって、パートナーシップを深め、友好関係を継続することは大切なことであると思う。それこそが大君家康公の御心(みこころ)にかなっているものと信じている。

朝鮮通信使シンポジウム IN 岡崎

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