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2015年3月

2015年3月31日 (火)

東公園恐竜モニュメント完成!

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 3月29日(日)。いよいよ、待たれていた東公園の恐竜モニュメントのお披露目の時を迎えました。ぜひ青空の下での完成式を願っていましたが、当日は曇り空の下での式典と相成りました。雨の予報もあった中、大勢の皆さんの御来場を頂き心から感謝を申し上げます。
 今回設置の完了した5体の恐竜達は、既に皆様にも御案内のとおり、市内のある篤志家の方からの善意の御寄付により、製作から設置までの費用を賄(まかな)っております。
 さらに展示のコンセプトについては、福井県立恐竜博物館のアドバイスを頂き、数々の実績のある東京都羽村市の(株)ココロの製作チームの御尽力によって、比類のないリアルな恐竜が誕生しました。

ブラキオサウルスとティラノサウルス(岡崎市東公園)

 これまでの経緯についてはブログ上で何度も御説明申し上げていますが、そもそもは、少々手狭となり年々展示動物の頭数や種類が減少しつつある東公園動物園の現状を踏まえ、無料で楽しめる動物園をいかに維持するかという所から始まっています。
 このところの野生動物保護に関する国際条約の強化と動物の購入価格の上昇によって、目玉となる飼育動物を新たに入手することが困難になってきております。しかも生きた動物は食事や飼育係に加え、設備の整った施設を造らなくてはなりません。
 東公園の新たな魅力の向上のためには、生きた動物だけに頼らない発想が求められました。そこで、東公園の広大な自然景観や地形というものを活用して、公園法の規定にもかなう実物大のリアルな〝恐竜モニュメント〟を設置し、最新の学説に基づいて恐竜が生息していた時代をジオラマ風に再現するという「恐竜の森構想」に着手することとなったのです。

恐竜モニュメント完成記念式典(2015年3月29日)

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プテラノドンと巣(岡崎市東公園)

トリケラトプス・ヤング(岡崎市東公園)

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 かつて私達が子供であった頃、名古屋の東山動物園にあるコンクリート製の恐竜を見るために幾度足を運んだことでしょう。あの恐竜がきっかけで生物学や考古学の道を選んだ人もいますし、造形への目を開かれた方もいると聞いております。
 確かに大人にとっては単なる大きな造形の一つに過ぎないのかもしれません。しかし子供達の目には、もはや大人の目には映らなくなってしまったものが見えているのです。そうしたものが、今後、彼らが生きていく上で何らかのイマジネーションやインスピレーションのきっかけとなることを期待するものであります。
 実物大の恐竜を大空の下で、森の中にいる自然な姿で子供達に見てもらいたいというのがこのプロジェクトの主旨です。「恐竜の森構想」は、当初10年位かけてゆっくり実現して行こうと考えていたものですが、篤志家の方の御好意によってこのような形で完成式典を迎えることができたことに大きな感慨を覚えます。

 今回の展示は全体計画の第一歩でありますが、東公園の施設の充実を図ると共に、次世代を担う子供達がそれぞれに想像力を高め、夢をふくらませることができ、また親子共々楽しめることを目的としております。
 東公園に展示してある恐竜モニュメントは、最新のデータに基づいて造られているものです。しかし恐竜研究の分野も科学技術の進展と共にこのところ日進月歩で進んでおり、毎年50種以上も新種の恐竜の発見が続いているそうです(BBC『最新科学でよみがえる恐竜たち』)。最近では恐竜の体の色や模様まで解析する研究が進められており、将来は鳥のようにカラフルな色調の恐竜が製作されることになるかもしれません。ひょっとすると、岡崎の恐竜達も次に改修や手入れをする時には違う色で塗り直さなくてはならないかもしれません。子供さん達には、そうしたことをしっかりと覚えておいてほしいと思います。
 今回、完成した恐竜の展示を改めて見直してみて、小さな子供達だけのトリケラトプス(角竜)にお母さんがいないことが気になりました。早く造りたいとは思いますが、またどなたか一頭プレゼントして頂けるとありがたいのですが・・・。

内田康宏

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 ともかく記念式典には地元の根石小学校、根石保育園の良い子の皆さんはじめ多くの御来賓、マスコミ関係者の方々の御参集を頂きました。さらにオカザえもん、ワルザえもん、ルネサンスくん、そして紅一点で頑張ってくれた「2015観光大使おかざき」の須貝美咲さんにも改めて感謝申し上げます。
 今後一人でも多くの皆様に東公園に御来園を頂き、この実物大の恐竜モニュメントを実際に自分の目で見、触れて、何かを感じてほしいと思います。そして恐竜達が生きていた時代を想像することを通して、子供達にそれぞれの夢の出発点を見つけて頂くことを期待しております。

 最後に、この恐竜モニュメントの完成に対し、様々に御協力頂いた皆様方に重ねて御礼申し上げると共に、今後の施設の拡大と将来の発展に対しましても、引き続き皆様の御理解と御支援を賜りますことをお願い申し上げます。

恐竜モニュメント完成記念式典(2015年3月29日)

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2015年3月25日 (水)

「岡崎まぜめんの素」完成・試食会

岡崎まぜめんの素(寿がきや食品)

 寿がきや食品、岡崎まぜめん会、岡崎市の三者の共同開発事業により、レトルト製品「岡崎まぜめんの素(もと)」がこの度、3月30日から販売される。販売に先駆けて、3月19日(木)に市役所の記者クラブにおいて試食会が行われることとなり、早速出かけて行った。

 現在、岡崎市が進めているスローガン「観光産業都市・岡崎」を実現するためには、観光の楽しみの重要な要素である〝おいしい食べ物〟は不可欠のアイテムである。中でも「岡崎まぜめん」は、本市特産の八丁味噌や、なたね油「赤水」等、地元食材を使っており、岡崎のご当地グルメとして健闘して頂いている。
 今回、岡崎市も協力して新製品「岡崎まぜめんの素」が発売されるに至ったことは、まぜめんの最大の特徴である「様々な具材を混ぜる」が、「人とまちを混ぜる」というキーワードと重なることを意味する。市の施策との相乗効果をもたらすことを期待している。

岡崎まぜめんの素・試食会

岡崎まぜめんの素・試食会

 岡崎まぜめんは、一見するとミート・スパゲティーのような見映えであるが、一口食してみれば、間違いなく味はミソである。
 八丁味噌は豆ミソであり、味も濃厚で少々くせもあるため、幼少時より食べ慣れている我々はともかく、全国的に多数派である米こうじ味噌によるマイルドな薄味に慣れている方達の味覚にどう合わせるかがポイントであると思っていた。
 今回の試食会では、いくつかの食材と共に和がらし山椒(さんしょう)があわせて提供されていた。誰が発見したのか知らないが、なかなか良い取り合わせであった。
 この「岡崎まぜめんの素」を使えば、うどんやそば、スパゲティーなどと冷蔵庫にある具材を混ぜてかけるだけで誰でも家でまぜめんを簡単に食することができる。他の副食(てんぷら、コロッケ、餃子等)とあわせて定食のようにもできるから、忙しいお母さんには便利であろう。私の場合、試食してみて小ライスがほしいと思ったくらいである。夏場の気温の高い時には、そのまま冷や麦と一緒に食べても良いだろう。

 これまで本市は、「岡崎まぜめん会」を市を活性化するためのコンテンツの一つと位置づけ、「がんばる商業者」活動支援事業の一環として、彼らの啓発活動に対し、積極的な支援をしてきている。
 本年、徳川家康公顕彰四百年記念事業が始まり、来年平成28年は市制施行100周年という大きな節目を迎えることになっている。岡崎市としては、これを絶好の機会と捉え、市民はもちろん観光客や県外にも積極的にPRしていきたいと考えている。
 先日たまたま見たテレビ番組で、全国の御当地グルメ・ランキングをやっていたが、なんと愛知の「素がきやラーメン」がNO.1であった。今回、岡崎まぜめん会の活動に、素がきや食品の商品が加わることにより、岡崎の食の魅力が全国に発信できるようになることを祈るものである。

岡崎まぜめんの素(寿がきや食品)

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2015年3月21日 (土)

水素ステーション、岡崎に

Dr.Drive 岡崎羽根店「水素ステーション」

 地理的に日本の中ほどにある愛知県の、そのまた真ん中の岡崎市の東名岡崎インターからほど近い県道26号岡崎環状線を南に下ると、ENEOS(エネオス)の「Dr.Drive 岡崎羽根店」がある。3月17日(火)、ここに県内2番目となる商用水素ステーションがオープンした。
 敷地内にLPガスと水から水素を製造する装置を持つ「オンサイト型」のステーションとしては、これが全国初のものとなるそうである。今回の設立が、今後、水素における商業ベースの先駆けとなることを強く期待している。

 当日は、トヨタ自動車のFCV「ミライ」も登場して、水素の充填デモンストレーションも行った。注目の的である「ミライ」も、当分は年間生産台数700台ほどの手造り生産となり、現在納車まで3年待ちとのことである。
 こうした人気も、二酸化炭素や大気汚染物質を排出しない燃料電池自動車(FCV)の環境面、技術面での先端性、革新性というものをユーザーが評価していることの現れであるとみる。このように燃料電池自動車の普及が始まり、続々と水素ステーションが整備されていく本年2015年はまさに「水素元年」と呼べる年となるだろう。

トヨタ自動車 MIRAI

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 岡崎市としても、こうした気運をさらに盛り上げるべく、新年度(平成27年4月)からFCVの購入者に対して、30万円の助成をする用意をしているところである。(さらに、電気自動車やプラグインハイブリッド車に対しても、新たに10万円の助成を行う。)
 また、岡崎中央総合公園とJR岡崎南土地区画整理地区において、スマートコミュニティの実践を目指して、「岡崎スマートコミュニティ推進協議会」を立ち上げたところであり、スマートモビリティ(ITを使った効率的な交通システム)の導入に積極的に取り組んでいる。

岡崎市 新エネルギーシステム設置等補助業務

 車と言えば燃費が気になるところであるが、「ミライ」の場合、満タンに充填しても5,000円ほどで600kmは走るというから、ガソリン車に比べかなりお得感もある。
 そしてもう一つ気になったのは事故についてである。水素燃料は小型で頑丈なタンクに圧縮してつめこんである。タンクはダメージを受けにくい構造になっているが、かりにタンクが損傷した場合であっても一気に空中に拡散するようにつくられており、その点は心配ないとの話であった。

 岡崎は今年、徳川家康公400回忌ということで様々な記念行事を行う計画であるが、徳川家康公の日本史上の功績の一つとして、5つの主要街道を整備したことが挙げられる。江戸は日本橋を起点として、「東海道」「中山道」「奥州街道」「日光街道」「甲州街道」を整備したことにより、日本国内における陸路での交流が物量ともに飛躍的に向上したと言われている。
 これから燃料電池車がさらに普及促進していくために水素ステーションの整備が不可欠の要素となってくる。今回の岡崎のステーション開設が、そうした次代に向けての先駆けの事業となり、家康公の五街道の例と同じように、全国的に水素社会の普及が進展してゆくことを願うものである。

愛知県内の水素ステーションマップ

Dr.Drive 岡崎羽根店 <水素ステーション>

住所 : 岡崎市羽根町小豆坂142-1
電話 : 0564-64-6421
営業日 : 月~金(祝日、年末年始は休業)
営業時間 : 13時~16時

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2015年3月20日 (金)

『リバ!』2015年4月号

『リバ!』2015年4月号

内田康宏事務所からご案内申し上げます。
『リバ!』2015年4月号の市長のコラムは、先日の「徳川家康公と『朝鮮通信使』」と「朝鮮通信使隊、家康行列へ」を合わせたものです。

3月末、いよいよ東公園に恐竜オープンです!

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2015年3月17日 (火)

国道473号バイパス、市道原下衣線(新学校橋)開通!

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 3月15日(日)、心配された天候もからりと晴れて、長年にわたる地元の待望の事業であった国道473号バイパスの開通式と、市道原下衣文(はら・しもそぶみ)線「新学校橋」の渡り初め式を無事に迎えることができました。
 国道473号バイパスは、岡崎市東部の新たな玄関口となる新東名高速道路「岡崎東インターチェンジ」と岡崎東部工業団地へのアクセス道路です。
 市道原下衣文線は、国道473号と岡崎・作手清岳(つくできよおか)線を結ぶバイパスとしての機能を持つ道路であり、新東名高速道路と岡崎東インターチェンジの設置により増大するこの地域の交通に対応し、「新学校橋」の建設と共に整備されたものであります。

 この事業の完成にあたり、御理解、御協力頂いた地権者の皆様方をはじめ、国・県・市の関係者の方々、また立派に道路を完成して頂きました工事施工者の皆様、そしてこの開通式の準備にまで多大な御尽力を賜りました太田委員長をはじめとする記念式典実行委員会の皆様に改めて深く感謝を申し上げます。

国道473号バイパスと市道原下衣線(新学校橋)

国道473号バイパスの開通式(2015年3月15日)

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 473号バイパスは、岡崎市のみならず、これから三河地域における産業と通勤、観光と交流のアクセス道路として、地域の活性化に対し大きな期待が寄せられるものであります。ことにこの度供用開始された道路に関しては、新たなバイパス道路として、住宅街の通過交通を抑制し良好な住環境を維持すると共に、地元の本宿学区、山中学区、豊富学区の住民の絆を強める「架け橋」としても大きく貢献することが望まれています。
 これからさらに増加してゆく交通量に対して、四車線化という課題も残っており、ご関係の皆様の一層のお力添えをお願い申し上げます。

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 また、周辺に保育園や小中学校(豊富小学校・額田中学校)がある市道原下衣文線は、歩道を設置し、災害時の避難路としても配慮された道路です。今後、国道473号バイパスと共に、私達の期待通りの役割を果たし当地域の発展に大きく寄与することを願うものです。
 テープカットのあとにオープニング・パレードが行われました。パレードの車窓から、移りゆく東部と額田の新たな景観を眺めながら、時代の推移ということをしみじみと感じさせられました。

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2015年3月12日 (木)

アメリカからの一枚の写真

Steve and Christina Lammermann

 このところ、しばらく音沙汰の無かったアメリカ人の知人から、「あの時の小さな子供たちを覚えていますか?」という短いメッセージと共に一枚の家族写真が届いた。
 今まで毎年クリスマス・カードをやりとりしていた友人から急に連絡が来なくなったような時は、結婚したか、あるいは離婚したケースが多い。その知人のことも少々気にはなっていたが、幸せそうな笑顔をたたえた親子4人の写真を見て、ほほえましく思うと共に時の経過の早さというものを改めて感じさせられるものであった。

From Englewood to Okazaki

From Englewood to Okazaki

 今から20年程前、私は駐日アメリカ大使館の選考により、日本の地方議員の代表としてクリントン大統領の初当選就任式の公式招待を受けた。写真と便りを送ってくれたのは、その渡米の折に知り合った家族であった。
 1993年(平成5年)1月20日、寒空のもと首都ワシントンの国会議事堂北の公園(ザ・モール)で行われた大統領就任式は、30万人以上の支持者の集う盛大なものであった。就任式に併せて、米国文化情報局(USIA)の主宰する特別プロジェクトに政治家、経済人、マスコミ関係者30人ほどが世界中から招かれており、私もその一人であった。日本人は私のみであった。

The U. S. Presidential Inauguration (1993)

The U. S. Presidential Inauguration (1993)

Sia Cheong Yew (SINGAPORE), Paik Ji-Yeon (KOREA)

 ワシントン滞在中は、タキシード姿で数々のパーティーに参加し、一日4コースほどの講義を一週間こなした後、5つのグループに分かれ、全米を東から西へコース別に訪問した。各地で視察と自国のPR活動を行いながら、同時にいくつかの政治課題(政党制、地方自治、教育制度、人種問題、女性や少数民族、同性愛者の権利等)について調査も行った。集結地のサンフランシスコでは、研究発表とレポート(英文)の提出が課せられていた。
 私はこの体験が切っ掛けとなり、地元新聞に連載記事を持つこととなり、さらに本も一冊(『多岐亡羊』)上梓することができた。自身の人生においてもエポック・メーキングな出来事となったのである。
 何より得難いことは、同じ目的のため協力して調査活動を行った友人が世界中にできたことと、多くの友好的なアメリカ市民と出会いの機会を持てたことであった。

『多岐亡羊』より

 私は世界中どこに行っても、自由時間があれば一人でその町を見て歩く癖がある。その日もコロラド州デンバーの自然科学博物館で世界有数の恐竜化石を見学し、近くの動物園に足を運んでいた。
 行きはホテルから車で送ってもらったが、帰りはバスに乗るつもりで、停留所のイスに腰を下ろして本を読みながらホテル行きのバスを待っていた。目的のバスは1時間に数本しかなく時間も日本ほど正確ではない。個人主義的生活と車社会の徹底したアメリカでは、一般に公共交通機関は日本のように便利なものではないのである。
 そんな時たまたま通りかかった車に「ホテルまで車で送ってあげよう」と声をかけられ、喜んで同乗させてもらった。それがラマーマン夫妻であった。偶然にも夫妻は私と同じ年であり、後部座席にはまだ幼顔の二人の男の子達が座っていた。私がクリントン大統領の就任式に招かれた話をしたところ、民主党支持者である夫妻は大変喜ばれ、話ははずんだものになった。
 60年代~70年代に青春時代を過ごした我々の世代にとって、当時全盛期であったアメリカン・ポップスと世界中どこでも通用するビートルズという共通話題があるため、「あの歌が流行っていた頃は・・・」などとたわいもない話で結構盛り上がることができたのである。

 翌朝、私はデンバーを発たなければならなかった。出発前に、夫妻へのお礼のオミヤゲの品を郵送しようと思ってホテルのカウンターで手続きをしていた。そこへラマーマン夫妻がプレゼントのデンバーのカレンダーを持参して見送りにかけつけてくれ、大変感激したことを今もはっきり覚えている。
 その時の二人の男の子が今回の写真では二人共両親よりも大きな大人(一人はヒゲ面)となっていた。
 ほんのわずかな出会いが、20年以上経った今も一枚の写真でさわやかな幸せをもたらしてくれる交流を生んでいる。そんな自然な親切やおもてなしの心を私達も持ちたいものだと思っている。

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2015年3月 8日 (日)

朝鮮通信使隊、家康行列へ

前回のつづきです。)
 江戸時代のはじめ200年の内に12回行われた朝鮮通信使は、家康からの和睦の使いに対する返礼として遣わされた「回答兼刷還使」を始まりとする。
 4回目の派遣から朝鮮通信使と名を改めることとなったが、本来の目的は、5万とも20万とも言われる、秀吉の軍勢が引き上げの折に日本へ連れ去った俘虜人(ふりょにん)を連れ戻すことであった。しかし月日の経過の中で日本に帰化せざるをえなくなった者も多く、帰国できた者は初期の3回で2000人ほどであったという。通信使は江戸間までの道中、歌や踊りを披露しながら行列を行った。そのため文化使節団としての役割も果たすこととなった。今も経路の各地に、当時の書画や詩文がそのまま残されており、一行の踊りをマネたと思われる演舞が伝承されている所もある(岡山県の唐子踊り)。

交差点「伝馬通1丁目」付近で撮影。

 岡崎の籠田公園の南にかつて中村屋という料亭があり、そのあたりに「ごちそう屋敷」と呼ばれる施設があったと伝えられている。私もその名は昔から聞いていたが、岡崎城の食堂のようなものと勝手に思い込んでいた。
 ところが最近になって、この「ごちそう屋敷」が朝鮮通信使に対する幕府の正式な招待所であるということが分かったのである。対馬に上陸して、北九州、中国地方、大阪と行進する通信使達は各地で地元の大名による接待を受けながら江戸を目指した。幕府は岡崎の旧水野邸を改装して、これを公式のおもてなしをする場所(ごちそう屋敷)としたのだという。

御馳走屋敷の図面

 岡崎城の設計図は残っていないのに、どういう訳かこの「ごちそう屋敷」の見取り図は現存しており、そのために市民の一部からは復元を望む声を頂いている。しかし、すでに時代は移り、縦横に道路がはりめぐらされ市街地も形成されており、その要望に応えるには無理があると思う。しかしながら、籠田公園南にセントラル・アベニュー(現・中央緑道)が完成したあかつきには、何とか「ごちそう屋敷」のよすがを伝える表示をしたいと考えている。

 そんなことを考えていた昨年暮れ、日韓親善協会の有志の方から、「朝鮮通信使を再現して春の家康行列に参加したい」とのお申し出を頂いた。すでに家康行列の実施計画について警察と綿密な打ち合わせを済ませていた担当者は難色を示したが、交渉の末、フル参加は難しいものの今年はとりあえず30名ほどの参加をして頂けることとなった(本来の朝鮮通信使は300~500人ほどで構成されていた)。
 近年、少々マンネリ気味であった家康行列に何か新しいテイストを加えたいと思っていただけに、この申し入れはありがたいものであった。しかも先に述べた通り、徳川家康と朝鮮通信使は歴史的に深い縁があるのである。平成28年度は、ぜひ往時の華やかさで市制100周年に花を添えて頂きたいものである。

駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)さん

 さらに2月19日(木)、駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)氏が岡崎市役所を訪問して下さった。「4月25日に岡崎で行う予定の朝鮮通信使のシンポジウムに岡崎市長としてぜひ参加してほしい」という申し出を頂いたのである。
 ところが残念なことに、この日は「家康公四百年祭」の共同事業のため、先約の浜松市に私は出かけなくてはならないのである。私の出席こそかなわないが、シンポジウムの成功のためにできる限りの御協力はしたいと思っている。

 両国の関係が厳しくなっている時であるだけに、こうした民間や地方の交流によって、パートナーシップを深め、友好関係を継続することは大切なことであると思う。それこそが大君家康公の御心(みこころ)にかなっているものと信じている。

朝鮮通信使シンポジウム IN 岡崎

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2015年3月 5日 (木)

徳川家康公と「朝鮮通信使」

 1月12日(月)、久しぶりに「岡崎地区・日韓親善協会」の新年会に参加することができた。県議時代にはほとんど欠かさずに出席させて頂いたのだが、このところ公用と日程が重なることが多く、御無沙汰続きであったため、今回出席することができて本当に良かったと思っている。
 この会は1978年に韓国と日本の親善友好のために創立された団体で、民間による相互の訪問を含めた交流活動を長らく続けてきている。個人的にお世話になっている方々が歴代の役員をしていたため、私は30年近い御縁を頂いている。
 今年は日韓両国が、国交正常化してから50周年の節目の年にも当たり、各地で「朝鮮通信使」の意義が見直されている。

岡崎地区日韓親善協会

(これは2013年の新年会の写真です)

「家康公と朝鮮通信使」(市橋章男先生)

 当日、会に先立って、歴史研究家の市橋章男先生による「家康公と朝鮮通信使」の講演が行われた。私は所用のため終わりの部分しかお話を聴くことができなかったが、それでも朝鮮通信使と岡崎の歴史的関わりについて確認をすることができたのは大きな収穫であった。
 私達は日頃、目の前の事象に追われて生きているが、改めて自分達の生活しているふる里の歴史を学ぶことによって、新たな発見に心動かされることがある。

 かつてNHKの教育テレビで『日本と朝鮮半島2千年』という全10回のシリーズ番組があった。その放映を見ながら認識を新たにすることがいくつもあった。中でも強く印象に残っているのは、古代における日本列島の先住民達は、それぞれ様々な形で韓半島及び大陸と相互交流を重ねてきたという事実である。日本海は必ずしも両者を隔てる海ではなく、〝つなぐ〟海であったということである。考えてみれば「浦島太郎」や「天女の羽衣(はごろも)」の昔話なども大陸や半島との関わりの中から生まれてきた民話の一つであるのかもしれないのだ。
 ことに「目からウロコ」の思いがしたのは、「古代において、両国の沿岸住民達は、近代のような強い国家意識も無く、帰属意識にも縛られていなかった」という事実である。まだ強力なる中央集権国家というものは成立しておらず、人々は個別の利害関係の中で交易をしたり、国境を越えた人同士のつながりにおいて、共通の敵と戦ったりしていたということである。
 さらに、中国大陸の王朝の変動期や、6世紀の韓半島における三国時代(高句麗、新羅、百済)の時代においては、当時倭国(小人の国)と呼ばれていた我々の祖先達は、百済を通じて大陸の文化や文物を吸収していった。仏教や漢字、製鉄技術などを学び取りながら半島の動乱にも関わってゆくこととなった。
 大陸や半島における国家の興亡の度に、多くの渡来人(帰化人)を受け入れることとなり、また先進的文化の流入によって倭国の文化も洗練されていった。そればかりか、百済に肩入れして唐と新羅の連合軍に海戦を挑んで大敗した〝白村江の戦い〟を契機に、律令体制へとカジを切り、統一国家としての歩みを始めることとなったのである。
 遣隋使、遣唐使による交流を経て、モンゴル(元)の来襲ののち、戦国時代の末期に行ったのが、〝壬辰倭乱〟(イムジン・ウェラン)と今も呼ばれる豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)である。「人は他人を殴ったことは忘れるが、自分が殴られたことは忘れない」のたとえの如く、これは、先の大戦における出来事と共に日朝間で今日においても受け止め方に大きな開きのある出来事である。(今回はそれが主題ではないのでここまで。)

 申し上げたいことは、そうした最悪の国際関係の中で、秀吉没後の日朝関係の建て直しを計ったのが、徳川家康公であったということである。 (つづく

家康公四百年祭(家康公と岡崎市)

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2015年3月 4日 (水)

『アジアの窓から』と『続・アジアの窓から』の残り

東海愛知新聞(アジアの窓から)

内田康宏事務所からホームページの更新のお知らせです。東海愛知新聞の連載コラムの残りをUPしました。

内田康宏のホームページ - アジアの窓から
「伸び行くベトナム」、「ベトナム戦争の世代」、「香港へ」、「香港返還」

内田康宏のホームページ - 続・アジアの窓から
「中国の農業と世界」、「孫文と日本」、「中国社会の課題」、「新世紀の日中関係」

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2015年3月 1日 (日)

滝山寺鬼まつり (2015年)

滝山寺鬼まつり(2015年2月21日)

 2月21日(土)、今年も鬼まつりにお誘いを頂き、滝山寺を訪れた。
 すっかり岡崎の冬まつりの顔となった感のある滝山寺の鬼まつりではあるが、県の無形民俗文化財としてその名は知っていても、実際に現地で火まつりを見たことはないという人が多いのもこのお祭りである。

 私は高校の同級生が滝町に住んでいたため、昔から何度も見る機会があった。だが今でも見たことがない人が多いのは、滝山寺というお寺が岡崎北部の狭隘(きょうあい)な道路に面した山の上にあることから、よそから見に行くことがなかなか大変であるという理由による。(現在は、下の県営グラウンドの駐車場から送迎バスが出ているため少しは良くなっている。)
 しかも急斜面の石段を登って境内にたどりついても、山上のお寺であるため十分なスペースがなく、見学ができるのは立ち見の人も含めて1000人くらいということになる。火まつりのクライマックスは夜の8時頃となるのだが、儀式の進行上、演舞やナギナタの舞いなどが1時間近く続き、風のある日や雪の降った年には、きちんとした防寒対策と忍耐が必要となる。(幸い今年は暖かかった。)
 要領の良い人はクライマックスのところだけ見て帰ってゆくが、それではただ遠くから眺めただけであり、ベストポジションからは見ることはできない。良い写真を撮りたい人は早く行って場所をとった方がいいだろう。

滝山寺鬼まつり(2015年2月21日)

滝山寺鬼まつり(2015年2月21日)

 鬼まつりは、火のついた2~3メートルの大タイマツを白装束の30人ほどの地元の人達がかつぎ、冠面者3人と共に寺の回廊を3~4回まわる。時間にして15分ほどのことであるが、古い木造の寺であるため、火事とならないように午前中から本堂の外から中まで、床から水が染み出るほどの水をまいて防火対策をしている。
 鬼の面は一つ7~8kgのかぶり面である。本物は宝物殿に安置されており、実際に使用するのはレプリカであるそうだ。現存しているのは祖父面、祖母面、孫面の三つであり、かつては父面、母面もあったそうである。

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 毎年面をかぶる人は、地元関係者の中から選任されることになっているが、直前の一週間は精進禁欲生活(肉食はダメ)が要求され、なり手探しに毎たび苦労するそうである。父面と母面がなくなったことも、このしきたりに由来するという。かつて、昔からのしきたりを守らずに面を付けた山伏(やまぶし)が、顔から面がはずれなくなって死んだためと言われている。孫面だけは少し小ぶりで付け面となっているが、他はかぶり面となっており、装着するとほとんど前が見えないそうでこのため介添人が要ることとなる。熱気によるかぶり面の空気圧の変化のため、ときに面がはずれなくなるということはあり得るかもしれない。
 当日も3人の冠面者が大小のたいまつと共にかつがれるように回廊を回っていたが、体験者の話では、煙と熱気で呼吸をするのも大変だそうである。本堂のまわりに立つ人々の頭上には、大量の火の粉や燃えカスが降り注ぐため、ときおり悲鳴のような歓声も上がっていた。

 滝山寺は天武天皇の時代(673年?)に役小角(えんのおづぬ)という行者により建立されたことがはじまりで、1300年以上の歴史を持つ。鬼まつりは800年ほど前に源頼朝が天下泰平、五穀豊穣を祈願したことをきっかけに始められたと言われている。
 この滝山寺の入口には、国の重要文化財の指定である三門があり、そこには運慶作と言われる一対の仁王像が立っている。

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 また、宝物殿にも貴重な文物が多くあり、ことに源頼朝との縁により作られたという木造の観音菩薩立像はX線撮影の結果、伝承通り体内に頼朝のものと思われる歯とあごひげが確認されており、これも国の重要文化財となっている。

岡崎市立常磐中学校の生徒の皆さん

 常磐中学校では毎年2月になると、生徒が土鈴を作って販売する伝統がある。本堂の下の販売所で皆さんと記念写真を撮った。
 滝山寺には、日光、久能山(くのうざん)に続く第三の東照宮と言われる滝山東照宮があり、今後〝観光岡崎〟を展開して行く上で、北部地区における大樹寺、岩津天満宮等に並ぶ目玉として滝山寺にある数々の歴史的遺産をアピールしてゆきたいと考えている。

Takisanji201502212

滝山寺三門・落慶法要(2012年5月3日)

(2012年5月3日、滝山寺三門で行われた落慶法要。私も県議として出席しました。昨年刊行された鈴木智彦さんの写真集『瀧山寺 鬼まつり』より。)

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