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2014年10月 4日 (土)

またも来ましたラブレター

またも来ましたラブレター

 昨年、匿名で個人的誹謗中傷を吹聴する手紙のことを、〝ラブレターの季節〟と題してブログに書いた。あれだけはっきり書いたのに、また今年も懲りずに同様のラブレターが届いた。しかも答えを要求しながら、住所すら記していない。
 この人物の手紙の文面を見ると、何やら特定の教員OB集団が私に圧力をかけ、それにより私が教育委員会に圧力を加えているということが言いたいらしい。
 はっきり申し上げて、私は誰からも圧力など受けていないし、逆にかけた覚えもない。私は総理大臣にお会いしても、知事に面会しても、自分の信じていることを申し上げる。重要な問題を考える時ほど、そうした真摯な姿勢が大切だと思うからである。

 相手のことを考えずに一方的に自分の思いをぶつけてくる点において、この種の手紙とラブレターは共通点があり、我ながら「ラブレター」とは言い得て妙であると思う。
 しかし本物のラブレターは愛があるが、こちらには悪意があるようだ。

 世の中には「正しいのはいつも自分であり、間違っているのは他人である」ということを言いたがる病的精神の持ち主がいるものであるが、そういう人物が子供を教え導く教職員の世界に今も生存しているとしたら、本当に困ったことである。(もちろん教育者をかたっているだけの可能性もある。)
 なぜならば、学校の先生こそ世の中の多様性、異なった立場とそれに伴う様々な意見の存在というものを認め、尊重することを子供達に教え導くべき存在なのであるからである。
 民主主義的手続きの中で決定されたことが、自分の思うような結果でないからといって、デマゴーグ的手段で圧力をかけようとするのは紳士的であるとは言えない。
 差出人は「岡崎の教育を正しく導く会」と名乗っているが、自分を神であるとでも思っているのであろうか? 会と言っていても実は一人なのかもしれないが、どちらにしても、こうした不遜(ふそん)で自分勝手な文句を言ってくる人物が上等な人格を保持しているとは思えない。本当に自分に正当性があるという自信があるならば、堂々とアポイントメントをとって正面から市長室に来ればよいと思う。(自分は常に安全の高みに身を置いて、リスクを負いたくない卑怯者なのであろう。)
 私は自分と違う考え方だからといって、それだけで人事や処遇に差をつけたりするほど小心ではないつもりである。筋の通った話であるならば当然耳を傾ける。

 さて、この人物が指摘する人事の問題については、当然岡崎の教員OBの大先輩の方々の御意見を拝聴することはある。しかしそれはあくまで御意見であり、それを丸飲みするわけではない。さらに問われれば、市長の立場として意見を述べることはあるが、決定にあたっては教育委員会において慎重にモノゴトを進めている。
 人事にしても、他の政策においても、私が一人で独断的に決定していることなどはない。それほど思い上がっていないし、第一、独裁者になるほどの自信もない。何事においても、いつも一番良かれと思うことを提案し、他の意見を聞きながら調整し決定するように心がけている。
 教育に関して言うならば、この岡崎には「三河の教育」という伝統としきたりがある。当然そうした、多くの先輩達が築き上げてきた伝統や手法というものを尊重して対応している。保守の政治とはそういうものである。それが気に入らないというのであれば、アポをとって市長室までおいで下さい。扉は開かれております。


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