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2014年10月25日 (土)

市長会・蘭仏視察記 1.オランダの概要

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 東海愛知新聞で6回にわたって連載した「オランダ・フランス視察記」は元の原稿の短縮版でしたので、これから完全版をブログに載せて行きます。 

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 愛知県市長会主催の海外視察が本年より再開されることとなった。このところの景気後退の流れの中で、県議会を除く各地方自治体では自粛傾向にあったが、昨年の夏頃にアンケート調査があり、視察先とテーマを厳選の上、県議会のように報告書提出の義務の上で今年から再開することとなった。
 当初は7月中旬に7泊9日の日程で、独、オランダ、仏の三ヶ国において、①都市政策、②歴史遺産を活かした町づくり、③動物園経営、④農業政策(トマト、チーズ)、⑤環境政策、⑥新エネルギー政策等の主題の元に行われる予定であった。ところが、出発直前となって台風8号の接近を迎え、大型台風到来時に市長不在となるわけにもいかず、ドイツ訪問を割愛し、短縮して実施されることとなった(4泊6日)。

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 7月13日早朝、セントレアからルフトハンザ・独航空に搭乗した我々は、12時間半を要してフランクフルトに到着。さらに1時間20分乗り継いで、オランダのアムステルダムに到着した。
 途中フランクフルトでは雷雲発生のため飛行時間より長い2時間待ちとなったが、海外旅行ではよくあることである。それよりも海外のハブ空港(拠点空港)の大きさに改めて目を見張ると共に、空港係員でも電気自動車や自転車を使って移動しているのに、徒歩で荷物を持っての空港内の長距離移動には閉口させられた。(そんなことが気になる歳になったのである。)
 また、飛行機内の自席のテレビにおいて観ることのできる映画について、中国語や韓国語は吹き替えや字幕の設定があるのに、日本語のものが無い映画がいくつも目についた。こんなことからも、本格的な国際ハブ空港(2000m級の滑走路が4本以上ある)を造ることのできない日本の限界、存在感の低下のようなものがうかがえるような気がした。

 翌朝7月14日朝から、今回の最初の課題となった、アムステルダム市の「文化芸術・歴史的建造物等を活かしたまちづくり政策」の調査に出かけた。
 本題に入る前に、オランダとアムステルダムの概要について解説してみようと思う。

 オランダの本来の名はネーデルランド(Nederland)であり、こちらの方が正式名称で、「低地の国」という俗称がその名の由来となっている。人種的にはドイツと同じゲルマン系であり、「ドイツ語はオランダ語の方言である」と言う気概もある。
 古くはローマ帝国の領域の一部として発展し、その後、毛織物貿易や海上交易で栄えてきた。15世紀後半から、一時スペインのハブスブルグ家の支配下に入るも、1568年には独立し、17世紀には東インド地域に進出し、ポルトガルから香料貿易の権限を奪い、一大海洋帝国として黄金時代を築いた。18世紀には英仏との戦いに敗れ、1810年、ナポレオンによりフランスの直轄領とされ、同時に海上の覇権もイギリスの手へと移っていった。
 オランダは大航海時代よりスペイン、ポルトガルと並び世界進出を果たし、インドばかりでなくアジア各国とも関係が深い。日本の長崎にあった出島は鎖国期の江戸時代、貴重な西欧への窓であった。
 第二次大戦中は、東南アジアへ侵攻した日本と戦火を交えたこともあるが、1971年の昭和天皇のヨーロッパ歴訪以降、両国の関係は良好なものとなっている。
 オランダ本土は、12の州の連合体であり、日本の九州とほぼ同じ面積である。国土の多くは13世紀から続く、ポルダーと呼ばれる干拓地が占めている。実に国土の4分の1は海面下に位置し、現在も干拓により面積は広げられているが、各干拓地の間を流れる河川が干拓地より高い所に位置するケースも多く、そのために長大な防潮堤防や数多くの水門や可動堰などが設けられている。1997年に450億円ほどかけて作られた、コンピュータにより自動制御された開閉式で長大なマエスラント可動堰は日本からも注目されている。

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 一般に、日本人のオランダのイメージは風車とチューリップ、酪農と運河といったものであるが、実際は様々な産業が発達している。ことに20世紀に入って金属工業の発展がめざましく、近年では石油化学工業が重要な産業となっている。有名なロイヤル・ダッチ・シェルはオランダの石油会社である(かつてセブン・シスターズと呼ばれた七つの世界的石油会社のひとつ)。
 日本と同じく、鉱物資源の多くは海外に頼っているが、天然ガスだけは世界第9位の産出国であり輸出国でもある。
 アムステルダムはそんなオランダの首都であり、最大の都市でもある。国の人口は1,600万人程で、そのうちの220万人がアムステルダム周辺に居住し、さらにそのうちの89万人がアムステルダム市民であるという。

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 市街地を見て、すぐ気がつくことはトラムと呼ばれる2~3両連結の市電が幹線道路を中心に縦横に走っていることと、その両側にある車道の外側には自転車専用道路と歩道がそれぞれ設定されていることである。レンガのひかれた自転車道を人が歩いていて事故が発生しても、過失があるのは歩行者であり、補償の対象とはされないそうであるので注意が必要である。
 今私がおこなっている市民対話集会において、時にヨーロッパ滞在経験者と思われる方から、自転車専用道路設置の要望を頂くことがあるが、果たして岡崎のように起伏の大きい土地でどれだけの有効性があるのだろうか? オランダの自転車専用道路は干拓によってできた平たんな地形を前提に成り立っており、そうした長い伝統的生活の中から生み出されたものが自転車を活用とした生活習慣であることを忘れてはならないと思う。
 残念ながら日本にはそうした条件も習慣もないし、社会はこれから自転車に不向きな高齢化に向かっている。第一、道の形状が根本的に異なっており、まず道路を拡幅してスペースをつくる段階で大きな壁に当たってしまう。用地買収の手続き、補償費、道路改良費などを考えただけで気が遠くなってしまう。まず用地買収において、沿道の対象者すべてが協力するという前提が必要となってくるが、それだけ考えても非現実的であることが分かると思う。

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 その替わりという訳ではないが、現在岡崎市においては、乙川の河川敷や堤防を利用して中央総合公園へつなぐサイクリングロードと矢作川の河川敷を活用した自転車専用道路の整備を検討している。これは河川改修の進展のよって、さらに延伸も考えている(乙川は将来、額田まで伸ばしたい)。
 トラムという市電形式の公共交通の存在は高齢者にとって有用と思われるが、トラム専用路の設置のため、自動車道がきわめて狭隘(きょうあい)となっているところが目につく。市街地で左右各一車線しか車道がないところも多いようだった。
 果たして岡崎のように家族で複数の車を持つ車社会においてこうしたことが妥当かどうか疑問である。第一、岡崎においてはかつて市電との共存よりも、バスの利便性を選択したという歴史的事実がある。もしどうしてもトラムやトロリーバスを使ったまちづくりを行うとするならば、区域を限定した特区をつくり、その中で様々な実証実験を行いながら拡大してゆく方式が現実的ではないかと思う。しかしそれも土地建物の個人所有の進んでいる昨今、「言うは易し、行うは難し」であると考えられる。
 いずれにしても、アムステルダムの歴史的な町並みと川や橋を活かした町づくりは、これからの岡崎の町づくりの参考になるものと思われる。 (つづく

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(マエスラント可動堰の写真は「Wikimedia Commons」から借用しました。)

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