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2014年8月17日 (日)

乙川の清流にて想う

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 花火大会の興奮まだ冷めやらぬ8月3日(日)午後1時から、昨夏に続き、乙川の水面活用実験の一つであるカヌー試乗会「乙川アドベンチャー」に参加した。
 河川敷から川面にかけて、昨日のなごりの硝煙や火薬の残臭の漂う中、50人ほどの関係者の皆さんと一緒に順番にカヌーの試乗を行った。
 昨年はカナディアン・カヌーの二人乗りによって、伊賀川から乙川頭首口の近くまで下り、そこから折り返して、潜水橋をくぐって殿橋の近くまで漕ぎのぼって来たのであった。
 決して調子に乗っていたわけではないが、初めて乗ったカナディアン・カヌーの爽快感と快走ぶりに、つい一瞬の油断が生じ、殿橋を背景に写真を撮ろうとしてカヌーの向きを変えようとした途端、アッという間に転覆してしまった。それもよりによって、数多くのカメラマン達の居並ぶ前で転覆したため、後で「アレはマスコミのウケをねらったヤラセだろう」とか「ヘタクソだなあ」と、見てもいなかった人間に言われ少々頭に来たものであった。
 そのため、今年は絶対に昨年の二の舞は踏むまいと固く決心していたのである。「一度ならばご愛嬌、二回やったらおバカさん」となってしまう。

 本年度は、殿橋の南側のたもとの川岸から乗船して、上は明代橋との中間点あたりから、下は前日活躍した天王丸など、鉾船二槽が停泊している付近までという限定された水域において実施された。
 さらにこの日は、川下においては、夏まつりの最終を飾る、よさこい踊りの大会が開催され、また夕方からは河川敷において子供花火大会が行われることになっていた。
 一人乗りのカヌーには、若い頃サーフィンをやっていた友人と一緒に何度か乗った経験があったものの、今回試乗した小型のFRP製のものは初めてのことであり、慎重に水面に漕ぎだして行った。船体が軽く思ったより浮力もあるため、昔のボートのように深くしっかり漕ぐ必要はなく、軽く水面を掻くようにパドル(櫂)を交互に使うだけで、カヌーはスムーズに進んでゆく。(レースの時はもちろんそんな漕ぎ方ではダメだそうである。)
 久し振りの試乗であることと、加齢による体のバランス制御の鈍化のせいか、初めはぎこちなかった私であるが、しばらく練習するうちになんとか操れるようになった。やはり、昔とった杵柄(きねづか)ということであろう。
 近くにいた小学生は、今年始めたばかりだと言っていたが、小さい頃から始めれば陸上の自転車のように乗れるようになることだろう。同じくカヌー・ポロ(水球)をやっていた高校生も小学生からの経験者であった。

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 欧米を旅すると、様々な水上スポーツが町中の河川において当たり前のように楽しまれている風景を見かける。その度にうらやましく思うものであるが、かつての岡崎には似た情景が存在したものである。そうしたものをぜひ再現したいと思っている。
 世の中には、何かというと、新しいことを始めようとする者に対して「前例がない」とか「危険だ」とか言って水を差す人達がいるが、やりたくない人はやらなくてもいいのである。
 私は新しいことに挑戦する人、パイオニア精神のある人を大切にしたいし、そういう人間を育てる社会的環境をつくってゆきたいと考えている。
 確かに、空を飛んだり水上に出たりすることは危険(リスク)を伴うことである。まさかの時には、自らの命はもちろん他人にも迷惑を及ぼす可能性もあるだろう。そうであるからこそ、そうした危険性やまさかの可能性を十二分に考えた準備と心構えによって新たな分野に挑戦していかなくてはならいと思っている。
 今日まで人類はあらゆる領域において、そうして進歩してきたのである。草食系男子の流行はともかく、チャレンジャーのいなくなった国家や社会に未来は無いと言えるだろう。(若い人にはぜひ、『ライトスタッフ』という、アメリカのテスト・パイロットと宇宙飛行士を描いた映画を見てほしい。)

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 久し振りに川面から市街地の風景を眺めながら、昔日の様子を一人思い浮かべていた。しかしふと我に返って見回してみれば、昔と同様のものはお城と殿橋くらいであり、河川敷の形も変わり、川岸を深く覆っていた蒲(がま)の群生も消えている。新たに視界をさえぎる、無機質な林立した高層の建造物が目に飛び込んでくる。
 河川空間、公共の風景というものは、決して隣接した土地を持った者が独占して良いものではなく、市民全体のものであり、公共の立場で管理すべきものではないかと思っている。
 決して、そこに現在住んでみえる方が悪いという訳ではなく、民間からこうした建築物の計画が出て来た時に「NO」と言えない法令上の不備と行政の姿勢を疑問に思う。なぜこの国では、そうしたものに対してキチンとモノを言えるシステムが確立していないのだろうか?

 昨今、京都市では、新たな市街地景観保護条例を作って、少々荒療治の政策が実行に移されている。街の景観やイメージに合わない広告塔や看板を、持ち主の自費により撤去させたり、改めさせたりしているのである。また建物本体についても、改装したり建て直したりする時には、統一感のあるイメージにまとめようと試みている。
 どこまで実現できるものか、しばらく見守る必要があると思うが、岡崎市においても、本格的に観光産業を育てるまちづくりを進めるためには、近い将来そうした取り組みを考えなくてはならない時期がくるだろう。
 いずれにしても、久し振りに水上にたたずんでいると、それだけで心がなごみ、様々な想いが浮かんでくるものである。岡崎活性化本部、岡崎市カヌー協会、並びに関係者の皆様に感謝申し上げると共に、更なる御協力をお願い申し上げるものである。

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