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2014年5月31日 (土)

矢作古川分派施設(堰を含む)の起工式典

 4月20日(日)、当日はあいにくの曇り空であったが、地元各方面より待ち望まれていた矢作古川(ふるかわ)の分派堰(河川の流水量を調節する堰)の起工式が西尾市志貴野町の矢作川左岸、矢作古川との分離地点でとり行われた。

矢作古川分派施設

矢作古川分派施設

 矢作古川は、かつては矢作川の本流であったが、蛇行する川の流れが原因となって水の流れが阻害され、流域の各地で度々水害に見舞われるという不幸な歴史があった。
 そこで慶長8年(1603年)に徳川家康の命により、現在の本流の元となる矢作新川の開削工事が行われ、2年後に完成し現在の矢作川の流れができた。(矢作新川の名称は今はない。)
 徳川家康公と言えば、歴史上、忍従の人生と戦(いくさ)の話ばかりが伝えられるが、江戸初期における江戸湾干拓事業をはじめ、治政においても数々の土木事業を成し遂げてきた政治家であるという側面も忘れてはならないと思う。
 しかしながらそれらの治水工事を経てもなお、矢作古川流域は水害の多発地帯となっていた。自然の地形上、流れがゆるやかであり、広田川、須美川等の支流からの流入増も加わるためであった。そのため西尾地区においては、今でも「徳川家康が岡崎の水害を減らすために、西尾で水があふれるようにした」という人がいるくらいである。
 ことの真偽はともかくとして、平成12年の東海豪雨災害や平成20年8月末豪雨災害の折にも流域各地で甚大な被害に見舞われており、その対策が急務となっていたところである。
 今回の分派堰の事業によって、基準水量として矢作川本流が毎秒6000トン、古川は毎秒200トンの流水量に抑えられることとなり、より安全な河川となることになる。
 これまで本流に大きな洪水が発生した時など、毎秒600トン近く流れ込むこともあった古川の流量が上記の水量に抑えられることによって、古川の水位は1.1メートル低くなる。このことで、洪水となった支流もスムーズに古川に流れ込むことができ、中流域における豪雨時の浸水災害の軽減にも大きく寄与することとなる。水は物理の法則通り流れ、ごまかしは効かないのである。

 岡崎においては、南部の浸水被害を防ぐため、現在、占部川などの改修工事が進められている。しかし、河川が改修されれば下流に流れる水の量も増えるので、分派堰を設置して矢作古川の安全を確保することは、岡崎市内の浸水被害を解消するためにも必要なのである。
 間もなく、占部川及び砂川の床上浸水対策特別緊急事業が完成するが、昨今の集中豪雨は〝ゲリラ豪雨〟とも呼ばれ、一点集中的に局地災害をもたらすことも珍しくない。今年度からは、施設整備などハード面の対策だけでなく、民間における雨水浸透施設の設置を促すなどソフト面の対策も含めた、効率的かつ効果的な治水対策を策定する予定である。
 なお国土交通省は、来年平成27年6月までには、当該分派堰において、少なくとも矢作古川の流量を抑制する機能は発揮させることとしている。一日も早い完成が待たれる。

 いずれにしても、今日までの事業計画の推進に対し、賜った国会議員の先生方はじめ、国県市の関係各位の御理解、御尽力に対し重ねて感謝を申し上げるものであります。

矢作古川分派施設


矢作古川分派堰完成に思う (2016.06.04)

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