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2014年1月10日 (金)

福井県・弾丸日帰り視察 その1(幸橋と足羽川)

福井市・幸橋

 昨年11月26日(火)、福井県まで日帰り視察を敢行した(観光ではない)。副市長はじめ関係職員ほかとともに早朝6時半、マイクロバスに乗り込んだ。ふつうこの日程だと一泊となるものであるが、年内ではこの日一日しか日程の都合がつかなかったのである。
 なるべく今年度内にリバーフロント計画の基本方針をとりまとめ、実施可能なプランについては、できる限り具体的に盛り込んでゆきたかったので、このような強行視察となったのである。
 メインの視察地は福井市であった。福井市の中心を流れる足羽川(あすわがわ)とそこに架かる橋の形状が「ツインブリッジ構想の参考になるのでは?」という提案をもらったからである。そしてその帰路、勝山市にある恐竜博物館に立ち寄った。

福井市・幸橋

福井市視察

 小雨のパラつく中、足羽川に架かる幸橋(さいわいばし)のたもとにある駐車場にたどりついた。幸橋は全長140m、幅36mの大橋であり、両端に6m幅の歩道と上下二車線の自動車各9m、そして真ん中にかつて岡崎の殿橋にも通っていた路面電車が上下2本、6mの幅の中を行き交っている。橋の南北両端の先にはそれぞれ交差点があるのも類似した立地である。
 河川の幅も乙川と同じくらいであるが、川そのものの水量、水深は乙川よりも大きく深いものとなっている。足羽川の源流は、揖斐川と源流を同じくする冠山(かんむりやま)という標高1257mの山である。乙川よりも水が多いのは、そこから流れてくる水量の大きさによるものと思われる。

 橋は文久2年(1862年)に架けられた幅4mほどの木造橋が始まりであるが、昭和5年(1930年)に橋長133m、幅16.7mのコンクリート橋として新造され、昭和8年には現福井鉄道の前身である福武電気鉄道の乗り入れが開始されることになったという。
 戦災にも後の福井地震にも耐えた橋であったが、町の発展に伴い、昭和49年(1974年)に拡張工事が行われ、歩道橋が架設され、幅員も19.7mになった。築70年の歴史を持ち、様々に手を加えられてきた幸橋であったが、橋の老朽化と交通渋滞及び橋脚の流水阻害を解消するため、平成13年(2001年)に架け替え工事が始まり、19年に供用が開始されて現在の橋となっている。
 なおこの河川は、平成16年の福井豪雨災害による激甚災害特別緊急事業として河川改修も行われたところである。河川堤防上の桜並木の仕様や、樹種の選定の仕方にも様々な工夫が見られ参考になる。河川敷に設置されたベンチも、増水時に流れの妨げにならない形状となっている。護岸は水量の多さと水害対策のためか、頑丈なコンクリート造りとなっているが、親水性も考慮され階段状に整備されている。

殿橋

 殿橋と同じく昭和初期の建築の橋でありながら、幸橋の架け替えが支障なく認められたのは、水害対策に加え、度重なる改修が行われたことでオリジナルなものではなくなっていたからである。
 岡崎の殿橋の場合、当初の構造が残されているが、現在橋脚の上部に大きな亀裂が見られる状態である。ところが県は、公益社団法人土木学会による近代土木遺産の指定があることを理由に架け替えの話に乗ってこない。そればかりか修復の方針さえ定かにしていない。一日に2~3万台の車が通過する今日、もし崩壊でもしたらその責任はどうするのだろうか? 年末にもブログで述べたが、私はこのことを度々、機会をとらえて公的にも指摘している。
 幸橋の視察に来た目的として、殿橋との立地の類似性のほかにもう一つ幸橋の両端左右に設けられた十分な広さの拡張スペースの存在が挙げられる。現在の河川法、橋梁建設に関わる法的制限の中で、どのような手順を踏めばこうしたことが可能なのか参考にしたいと思っている。殿橋のたもとに計画している石造りの四天王像については、橋の架け替えいかんに拘わらず、岡崎の伝統技術を活かした事業として早く着手したいと考えている。(つづく

福井市・足羽川

(福井市・足羽川流域の風景)

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