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2013年12月12日 (木)

アジアの窓から 第3回~第6回

東海愛知新聞

こんばんは。内田康宏事務所です。ホームページを更新しました。
内田康宏のホームページ - アジアの窓から

『アジアの窓から』(1997年1月24日~3月6日、東海愛知新聞)の続きを掲載しました。第3回「行き神様・クマリ」、第4回「シャカ族の末裔?」、第5回「ミャンマーの光と影」、第6回「大東亜戦争に思う」の四編です。
「大東亜戦争に思う」から一部をご紹介します。


 日本人が他のアジア人に対して優越意識を持つ心理的背景は、日露戦争の勝利以来、敗れこそすれ先の大戦まで欧米列強の白人国と唯一渡り合って来たアジアの国家であるという自負心と、戦後の荒廃から短期間で現在の経済大国を築き上げた自信によるものと思われる。
 しかし、歴史的認識には立場によって異なる見解があるもので、フランスの英雄ナポレオンや太閤秀吉とても、周辺諸国にとっては憎むべき侵略軍の親玉に過ぎない訳である。先の大戦においても、侵攻した日本側にどんな大義名分があったとしても、それを受けた側がどう感じたかによって、行為の意味はまったく違ったものとなる。
 当時は、「五族共和の大東亜共栄圏建設」「新秩序確立」「八紘一宇」など、表向きは植民地解放の聖戦を思わせる美辞麗句が並び、国民もそれを信じ込まされたようである。今、客観的に当時の事実を顧みれば、軍部及び国家の上層部が自国の勢力圏の拡大に主眼を置いていたことは明らかである。後進帝国主義国であった日本が、先進帝国主義国の包囲網による経済封鎖のため「開戦止むなきに至った」という論理は判るが、それは、あくまで帝国主義国同士の事情である。被支配国であったアジア諸国にとっては預かり知らぬ問題である。その点を日本人が理解しない限り、戦争認識の格差の問題は、どこまで行っても擦れ違いのままと思う。

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