« 青年部ブドウ狩りと「よいこの会」 | トップページ | 第6回市民対話集会(2013.10.25)のお知らせ »

2013年10月16日 (水)

エターナル・ゼロ その1(永遠の0)

永遠の0

 三、四ヶ月ほど前、娘からすすめられて、『永遠の0(ゼロ)』という小説を読んだ。以前にも、飛行機マニアの友人から面白い本であると聞いてはいたが、実戦体験者でもない、私より年下の人間の書いた戦記物の小説、ことに航空戦のモノは読む気になれなかった。
 今まで何度も類似の本を手にしたことがあったが、著者の時代考証不足と経験不足(当たり前であるが)から来るリアリティーの無さが目について、本屋の棚の前で流し読み程度のことが多かったのである。ただの冒険活劇物語を読むならば、SFの作り話、「スター・ウォーズ」のようなモノの方が楽しんで読める。史実の戦いは、事実に基づいたリアリティーこそが魂である。
 ところが、今回の百田尚樹氏の『永遠の0』は登場人物も物語もフィクションであることを知りながら、一気に読ませる面白さがあった。著者は自ら著作の動機をこう書いている。
「戦後、焦土と化した祖国を復興させた偉大な世代が消えていく前に、鎮魂と感謝の意味をこめて彼らのことを書いてみようと思った」
 確かに、著者と同世代に属する我々1950年代生まれは、戦争の実体験こそ無かったが、幼少期の生活環境にはまだ戦争の香りが残っていた。駅前にいた傷病帰還兵や浮浪者、クリスマスや季節の変わり目の救済募金活動(救済ナベ)等である。小・中学校時代、町内の集まりの席などの時に耳にした父親世代の戦争体験談や打ち明け話には耳をそば立てて聴き入っていたものであり、〝間接的な戦争体験者〟という著者の言葉には同感できる点がある。
 明治以来の軍国的風潮の中、あの太平洋戦争の時代に、自ら志願し、更に厳しい選抜試験をくぐり抜け、5000人中25人くらいしかなれなかった初期のパイロット試験に合格した中国戦線以来のベテラン搭乗員の中に「私は妻のために、どうしても生きて帰りたい」などと口に出して言う兵士がいたとは、とても考えられない。しかもその「臆病者」と呼ばれる男は「ズバ抜けた空戦技量を持つ天才パイロット」である。著者は、あえてそうした人物を設定することにより、彼を通じてあの戦争における数々の不条理な出来事や日本の軍隊組織の矛盾点を一つ一つ浮き彫りにしてゆくことに成功している。そして、その内容を補い、説明する形で何人もの性格の異なる生き残り搭乗員の証言を織り交ぜて物語をつむぎ出してゆく。

 また、百田氏は、主人公を戦無派の完全戦後世代の人物に設定し、彼らに祖父の実像を調べさせることによって、読者が自然に過去の戦時中の出来事に入り込んでゆくという巧みな手法をとっている。戦争を知らない世代や、興味を持たない世代に戦争の問題を語りかけるためには、主人公に自分を同化させやすいこのやり方は効果的であると思う。現に本書はベストセラーとなり、同名のマンガ本(全5冊、画・須本壮一)も売れている。映画化も決定し、この12月には封切られるとのことだ。
 そして、もう一つ感心させられたことは著者の時代考証の正確さである。この物語がよくある「日本的お涙ちょうだいドラマ」になっていないのは、史実に沿ったリアリズム的手法のせいであると思う。軍隊の制度や運用、使用用語まで正確に再現されている。
 自分の本当の祖父が、終戦直前に神風特別攻撃隊の一員として散華(さんげ)した人物であることが、祖母の死によって初めて明かされるという設定も、実際に身近にありそうである。この物語に登場するパイロットとしての本当の祖父は、実在する特定の人物を再現したものではなく、何人ものパイロットの実話を合成して生み出されたもののようである。
 戦時中に現代人の視点を持った人間がまぎれ込んだら、どのように考え、どのように行動するだろうか?と自然に考えさせられてしまう。この物語の不思議さはここにある。

 お時間があればぜひ一読をすすめます。ことに若い戦無派の皆さん、マンガの方でもよいので読んで下さい。(つづく

|

« 青年部ブドウ狩りと「よいこの会」 | トップページ | 第6回市民対話集会(2013.10.25)のお知らせ »

エターナル・ゼロ」カテゴリの記事

見本」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事