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2013年8月14日 (水)

オイル・ロードを行く 第8回~第10回

オイル・ロードを行く 「もし日本なかりせば」

内田康宏事務所より残暑お見舞い申し上げます。
ホームページを更新しました。『オイル・ロードを行く』(東海愛知新聞、2000年1月19日~3月4日連載)の続きを本日UPしました。
内田康宏ホームページ - オイル・ロードを行く

第8回「現代の海賊」、第9回「もし日本なかりせば」、第10回「名港とエネルギーの将来」の三編です。
マレーシアのマハティール元首相と“知覧鎮魂の賦”という絵画について書いた「もし日本なかりせば」から、一部を紹介いたします。

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 先日、鹿児島へ出張した折に知覧の特攻隊基地跡まで足を伸ばしてみた。以前から、戦後生まれの自分たちは、何か歴史に対する仁義を欠いて生きているような気がしてならなかったのである。それがなぜ知覧か?と問われても、うまく答えられない。あえて言葉にすれば、生と死の狭間のギリギリのところで国家に対する忠誠を求められた方々に対し、心からの敬意と弔意を表したかったと言う他はない。今回の旅の途中、トルコ人の親戚から言われた「私の叔父はカミカゼです」という一言も影響しているかもしれない。
 鹿児島からローカル・バスに乗って約一時間半で知覧に着いた。現在、旧飛行場の西側に銅像とともに平和会館が建てられている。茶色の屋根にクリーム色の壁面を持つ平和会館の入口を抜けると、正面に宮崎市の仲矢勝好という画家の描いた日本画が目に入った。六人の天女が、紅蓮の炎を上げる隼(はやぶさ)の機体から特攻隊員の魂を昇天させようとしている図である。
 私は、しばらくその「知覧鎮魂の賦」という絵の前から動けなくなってしまった。隼のような軽戦闘機まで特攻に使われていたのだ。重い250キロ爆弾を積んで沖縄を目指しても、敵はすぐにレーダーで捕捉し一群四、五十機のグラマンF6F等の重戦闘機で何段構えにも待ち構える。米艦船には容易に近づくこともできなかったろう。仮に雲に紛れて接近できたとしても、VT信管を付けた猛烈な対空砲弾の破片でほとんど目的を達成することはできなかったはずだ。それでも彼らは出撃したのである。
 防弾対策の施されてない日本機は、被弾すれば忽(たちま)ち火ダルマになったという。燃える機体の中で操縦桿を握り、身を焼かれ薄れゆく意識の中で、自らに与えられた任務を運命と信じ飛び込んで行ったことが多くの遺書から伺える。
 私は特攻を賛美賞賛するものではない。逃げ場のない状況の中で、こうした形で最善を尽くさねばならなかった人々を鎮魂したいのである。

オイル・ロードを行く 「もし日本なかりせば」

写真: 『知覧特別攻撃隊』(村永薫編・有限会社ジャプラン)より

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