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2013年8月

2013年8月31日 (土)

国への要望活動に思う

梶山弘志国土交通副大臣へ要望書提出

 私共、地方自治を担う者は、毎年定期的に河川や下水道、道路や農地整備、山間地対策など国庫補助を必要とする事業ごとに、地域の自治体グループで成り立つ「促進期成同盟会」を結成している(例・道路整備促進期成同盟会)。そしてその事業ごとに、国の各省庁並びに地元選出の国会議員さんに対して要望活動をおこなっている。
 ふだんは全く意識の埒外にあるのだが、上京して国の各省庁に陳情活動をするたびに、改めてこの国の権力構造のヒエラルキー(序列)というものを感じさせられる。地方においては、市政のヒエラルキーのトップにあるように見える市長であっても、中央に出向けば借りて来たネコのようなものである。
 国に陳情活動をするためには、国会議員を先頭にしなくてはお話にならない。国会議員、それも与党の議員で力のある政治家を通じて話を進めなくては同じ活動をしても効果は望めない。
 定まったレールに乗って物事を運ばないと、なかなか目指す大臣、次官や局長にお目通りはかなわないし、下手をすれば部長、課長どころか課長補佐にも会えず、受付のお嬢さんに書類を預けて帰って来ることになる。自民党が野党の頃は、ちょうどそんな具合だった。これでは陳情の効果の程は期待できず、徒労となってしまう。よく、役所に来て大声で怒鳴っている人がいるが、あの手の行動はただの自己満足に過ぎず、かえって目的から遠ざかり逆効果となる。世の中には、成文化されていないルールというものもある。第一ものを頼むときのエチケットに反している。
 幾重にも張りめぐらされた国の権力構造の段階ごとに、その一層一層にていねいに注射をして行くように同じ要望書を作成し、封筒に入れ、頭を下げてお願いして回るのである。言わば、「行政のお百度参り」のようなものだ。時には一日で20ヶ所以上も回ることがある。宛名を間違えたり、提出先を間違えたりしたら大変である。慎重の上にも慎重に、しかも手際よくことを運ぶ必要がある。

 最近、上京してこの手の仕事をして来ると、何とも言えない底疲れのようなものを感じる。百姓がお上に直訴するような(古いたとえで申し訳ない)心理的な圧迫感が原因なのかもしれない。
 昔、安倍晋太郎政調会長(現・総理の父)の秘書をしていた時、逆に全国から様々な陳情・要望書を代理で受けていたことがある。受け取る側は日々の仕事の一つに過ぎないが、自分がこうして頭を下げて回る立場になると、あの頃の陳情団の方々の思いや御苦労がよく分かるというものである。

梶山弘志国土交通副大臣へ要望書提出

 それにしても、地方とは異なった国の官僚組織を垣間(かいま)見ると、様々な発見がある。こうした中央官庁で働いている人達というのは、多くが一流大学の卒業生であり、国家公務員試験のⅠ種の合格者である。
 いつも思うことであるが、そうしたエリート達が働く職場としてはいささか過密で、乱雑な(失礼!)職場環境に見えてならない。机はまるで小学校の職員室のように数珠つなぎに並べてあり、その間に迷路のごとく、幅が1メートルもない通り道が続いている。キチンと整頓された机もあるが、多くは机の上の書類が山積みとなっている。本庁の課長席は、大体そうした迷路の突き当たりの窓際にある。鳥や熱帯魚のケージや水槽にも適性個体数というものがあるが、こちらは明らかに適性値オーバーと見受けられる。
 国家公務員のⅠ種と言えば、日本の権力構造のトップにある特権階級のように思われることが多いが、それはここでの出世競争を勝ち抜いた一握りの人間のことである。この風景を見る限り、決してうらやましいとは思えない。これならば、地方の市役所の方がよっぽど職場環境が整備されていると思う。近年、一流大学を出ても中央官庁ではなく、親元の県庁や市役所に職を求める人が増えている理由がよく分かる。

 かつて秘書時代、安倍晋太郎先生と共に年末、夜間に新年度予算の編成作業中の大蔵省(現・財務省)を陣中見舞いに訪れたことがあるが、通路にはマットレスや毛布、インスタント食品の箱が山積みとなっていた。まるで被災地の難民である。こうしたことは、今も基本的には同じであるという。これもトップエリート達の実際の姿であるのだ。彼らがこうした待遇に耐えて来られるのは、「俺達が国家の屋台骨を支え、国を動かしている」という誇りと自信、矜持の心によるものと、出世レースに勝ち残れなかった者でも〝天下り〟という形での一種の救済措置がシステムとして機能していたからであると思う。ところが今や、〝天下り〟は公務員の悪しき慣習の典型とされ、国から地方まで一律に「魔女狩り」の如く袋叩きとなっている。
 確かに、公共事業の利益の誘導機関的な側面は是正の必要はある。しかし、今から20年くらい前までは、一般人の話題の中にも「御近所の誰それの息子は東大卒の俊英で、大蔵省に入り、将来は退職後も安泰でうらやましい」というような話が当たり前の如くささやかれていたことを覚えている。当時は天下りというものが、長い受験戦争を勝ち抜いた勝利者に与えられる当然の権利のように讃えられていた時代でもあったのだ。
 それが「人情の翻覆(はんぷく)、波瀾(はらん)に似たり」の言葉通り、今や東大を出て高級官僚であることは隠しておかないと、逆に子供が学校でイジメに遭うような時代となっているとも言う。(そのせいで単身赴任が多い訳ではあるまいが・・・。)
 極端な優越意識や特権主義の醸成や、破格の特別待遇や国家公務員しか使えない保養施設の建設などは控えるべきと思うが、プライドを持って職務に励むことのできる環境と処遇を考えないと、優秀な人材が難度が高く苦労の多い職務を担わなくなってしまう。そうなっては、ますます海外への頭脳流出にも拍車がかかり、国の将来はお先真っ暗となってしまう。私達は出る杭(くい)を叩くばかりでなく、そうしたことも考慮に入れて国のあり方、健全な官僚組織の構築、継続を図らなくてはならないと思う。(同様のことが大学教員においても言える。)
 決して天下りを正当化する訳ではないが、世界的に日本のエリートほど、エリート的待遇を受けていないケースは珍しいという。今さら、ソルジェニーツィンの著作や、ブレジンスキーの論文の例を持ち出す必要もあるまいが、人間の平等を理想とした思想を掲げた国ほど、新政府のエリートたちが新たな特権階級を形成し、より極端なヒエラルキー(序列)をつくり出していったという皮肉な歴史的事実は、興味深いものだ。

 話が横道にそれてしまったが、いずれにしても中央官庁への陳情のたびに目にするあの光景を思う時、一番気になるのは、重たい思いをしながら市の職員と共に配って歩いた要望書が、どこまでまともに読まれているかということである。
 一つの証言がすべての実証になるとは思わないが、ある時、元国家公務員であった友人に「あの山積みの陳情書は本当にちゃんと読まれているのか?」と聞いたことがある。その時返って来た答えは、
「直接の担当者以外、まずまともには読まないネ。そのまま資料として保管されるか、処分されるかのどちらかだよ」
 というものであった。
 しかし、少なくともこの岡崎市においては、市民の声に対しては適切に対応している。(私も受け取った要望書は必ず担当部署へ回している。)国においても、市の職員が苦労して作成した要望書をすべてそんな扱いにしているとはとても考えられない。
 どちらにしても、政権与党の国会議員を通して大臣級のレベルまで話を伝えて、そこから役所の機構に対して言葉が下りてゆくまでの手続きをしなくては、大きな事業が予算を伴って動き出すことは難しいという話は昔から耳にしていることである。そうかと言って、中央省庁の実務担当者に対して地方の実情を直接訴えるための貴重な機会でもある要望活動は欠かすことはできない。こちらから筋道を通して「頭を下げて、きちんと挨拶に出かけた」という事実を残しておくことが大切なのである。
 そのために、我々地方自治体のトップは一年の間にたびたび上京し、行政の〝お百度参り〟を毎年続けているのである。

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2013年8月29日 (木)

『多岐亡羊』と『オイル・ロードを行く』

多岐亡羊 '93~'94 南北アメリカ・レポート

内田康宏事務所からホームページの更新のお知らせです。
『多岐亡羊 '93~'94 南北アメリカ・レポート』(1994年10月刊行)と『オイル・ロードを行く』(東海愛知新聞、2000年1月19日~3月4日連載)からそれぞれ2編ずつ、計4編を選んで、コラムのページに新たに載せました。

内田康宏のホームページ - 多岐亡羊

内田康宏のホームページ - オイル・ロードを行く

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2013年8月25日 (日)

うちの猫 Ⅳ ―ネコ様の自由―

 5匹のネコ共と暮らしていると、時々どちらが主人か分からなくなってくる。疲れて家に帰って来ると、狭い家の中で奴らはそれぞれ手前勝手な所で寝ていて、こちらはそれを踏まないようによけて通る。人間がよけることを知っているから、奴らはどこうとさえしない。まだ申し訳なさそうな顔でもすればともかく、こちらを一瞥して、時にはアクビなんぞをしている。たまにシッポでも踏んづけてやろうかと思うが、娘がうるさいのでそれもできない。
 私が座っているとネコ共が順番に寄って来ることがある。そんな時に、
「お前らは娘を主人だと思っているかもしれんが、アイツはお前らにエサをくれるだけで、エサ代を出すのもフン砂を買って来るのもこの俺だ。そのことをよく覚えておけ」
 と言い聞かせるが、分かっている様子はない。
 犬は飼い主の顔色ぐらい伺うことを知っているが、ネコは本当にしょうもない。人が寝ていても平気で踏んづけて歩いていく。顔の上を通ることさえある(犬はよけて通るか飛び越える)。

 こういうしょうもない奴らばかりであるが、「出来の悪い子ほどカワイイ」のたとえどおり、気が付くと向こうから私のそばに寄って来て、お腹を上にして無警戒で寝ているネコ共の面倒をみてしまっている。前にも書いたがうちの5匹のネコ共はそれぞれ犬とは仲がいい。鼻面を付き合わせて挨拶のようなことをしている。

うちの猫 Ⅳ

 ところがネコ同士は相性の悪い奴がいて、今、一匹家出中である。いる場所は分かっている。ただし何度連れ戻しに行っても、またすぐ脱走してしまう。家の中にいた方が冷暖房完備だし、エサの心配もないのだが決まって出て行くのだ。外に行けば他のネコとのナワバリ・バトルがあるし、エサも自分で探さなくてはならない。大体そのうち病気を移されるか、交通事故でノシイカとなる運命である。帰って来るたびに「お前のような駄ネコの心配をして、病院に連れて行って治療して、エサをたっぷりくれる所はウチしかないんだよ」と言っても、「ニャー」と答えるだけで彼には通じてはいない。
 彼にとって「自由は生命の危険より大切なもの」なのかもしれない。考えてみればネコにとって人間の家はある種の〝監獄〟のようなところだ。避妊手術をしたメスネコたちは結構家の中でおとなしくしているのだが、元オス共はやはり失くした男の血が騒ぐのか外に出たがる。ネコの思いを大切にして、短い人生(ニャンセイ)を好き勝手にさせておく方がいいのか、ムリヤリでも家に閉じ込めておくのがいいのか(それも大変なことであるが)そこが思案のしどころである。

 友人から「最近ネコ話がありませんネ」と言われたのでチョイト書いてみました。

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2013年8月21日 (水)

『リバ!』2013年9月号

『リバ!』2013年9月号

内田康宏事務所から月一回のご案内です。

今月はじめに市長がブログに綴った「安倍夫人・岡崎訪問の記」が、『リバ!』9月号に掲載されました。転載にあたって今回は加筆がされています(もちろん市長が書いています)。
9月号の特集のひとつは、東海中学校の先生が特派員として取材をした「康生に行コウセーイ! オカザえもんマップ」です。お知らせまで。

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2013年8月18日 (日)

ミャンマーへ贈る消防車の寄贈式

消防車両引渡しおよび出発式 2013年8月2日

 以前から、何度もブログに取り上げていたミャンマーへ贈る消防車両の話であるが、その寄贈式並びに出発式が、8月2日、岡崎市消防本部にて取り行われた。
 寄贈することはもう昨年のうちに決まっていたし、議会の承認も得ていたため、私としてはすでに送られたものと思っていた。そのため、今回式が開かれたことは意外であった。しかし実際にこの手のことを行うためには、隣の家に饅頭のおすそ分けをするような訳にはいかず、手続きの手順が結構ややこしいことが分かった。まず日本国内における消防自動車としての任務を解除する書類上の手続きがある。以下はそれに伴う手続きの手順である。

①登録を抹消して、ナンバープレートを返納する。併せて仕様の変更も行う。

②譲受者(この場合「ミャンマーへ消防車をおくる会」)から「消防車両譲与申出書」の受理をする。

③市議会で議決・承認を得る。(「議決証明書」作成)

④市役所の内部決裁として、物品譲与決裁をする。

⑤「譲渡証明書」を作成。

⑥「物品譲与決定通知書」の送付。(正式決定)

⑦譲受者から「受領書」の受理。

⑧輸送のための「仮ナンバー」の取得と自賠責保険加入。(譲受者が行う)

 全くお決まりの手続きとはいえ、ウンザリしてしまう。内実は、「隣の子にお古の自転車をあげる」のと同じことなのにこれだけ面倒な手順が必要とされるのである。なんとかもっと簡略化できないものかと思い、現在対応策を考えている。
 今回、岡崎市消防本部の皆さんの特別なお心遣いで、外国に寄贈する車両が岡崎から送られるものとして恥ずかしくないようにと入念に再整備・点検がなされた。
 後から聞いた話によると、ミャンマー駐日大使が寄贈車両を見て「今まで寄贈を受けたすべての車両の中で一番きれいな車両である。まるで新車のようだ」と大喜びであったそうだ。まさに岡崎の面目躍如である。

消防車両引渡しおよび出発式 2013年8月2日

 当日は好天に恵まれ、寄贈・消防車両の晴れ姿が披露された。松井幸彦先生はじめ10名ほどのグループの皆さんと共に、田口市会議員も大型車の運転手として東京まで車を送り届ける役の一人を買って出ていた。4台の車は、ポンプ車や消防積載車であり、製造から20年前後経過している。岡崎市消防本部として更新の時期を迎え、従来は廃車されて来たものである。とはいえ、一般に日本の公用自動車は常日頃きちんと点検・整備されているため、日本の法律によらなければまだ十分に使える車両ばかりである。そうであるなら、廃車にしてスクラップにしてしまうよりも、喜んで使ってもらえる海外でもう一働きしてもらった方が良いだろうというのが私達の考えであった。廃車になるはずであった車が岡崎の名を付けたまま、再度ミャンマーの地で活躍している姿を見ることがあれば岡崎出身者でなくとも日本人として誇りに思えるだろう。
 日本は海外支援にお金は使うが、その割に感謝されていないと言われるのはPR不足のせいである。こんなことでも、その一助となればと思っている。
 現実に社会のインフラ整備の遅れているミャンマーでは、火事ばかりでなく、毎年の自然災害による被害も多い。消防車両の活躍の場は大きいと言える。ことに乾期(11月~4月)には山火事により村中が燃えてしまうこともあるという。そんな不幸な人々が一人でも救われることを願ってやまない。

 松井先生達の「ミャンマーへ消防車をおくる会」の皆さんは、これまで19台をミャンマーへ送るお手伝いをされているが、50台を一つの目標としているそうなので、岡崎市としてもできる限りの協力をしていきたいと考えている。近隣の市町の皆さんからも御協力頂けますよう、私からもお願い申し上げます。

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2013年8月14日 (水)

オイル・ロードを行く 第8回~第10回

オイル・ロードを行く 「もし日本なかりせば」

内田康宏事務所より残暑お見舞い申し上げます。
ホームページを更新しました。『オイル・ロードを行く』(東海愛知新聞、2000年1月19日~3月4日連載)の続きを本日UPしました。
内田康宏ホームページ - オイル・ロードを行く

第8回「現代の海賊」、第9回「もし日本なかりせば」、第10回「名港とエネルギーの将来」の三編です。
マレーシアのマハティール元首相と“知覧鎮魂の賦”という絵画について書いた「もし日本なかりせば」から、一部を紹介いたします。

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 先日、鹿児島へ出張した折に知覧の特攻隊基地跡まで足を伸ばしてみた。以前から、戦後生まれの自分たちは、何か歴史に対する仁義を欠いて生きているような気がしてならなかったのである。それがなぜ知覧か?と問われても、うまく答えられない。あえて言葉にすれば、生と死の狭間のギリギリのところで国家に対する忠誠を求められた方々に対し、心からの敬意と弔意を表したかったと言う他はない。今回の旅の途中、トルコ人の親戚から言われた「私の叔父はカミカゼです」という一言も影響しているかもしれない。
 鹿児島からローカル・バスに乗って約一時間半で知覧に着いた。現在、旧飛行場の西側に銅像とともに平和会館が建てられている。茶色の屋根にクリーム色の壁面を持つ平和会館の入口を抜けると、正面に宮崎市の仲矢勝好という画家の描いた日本画が目に入った。六人の天女が、紅蓮の炎を上げる隼(はやぶさ)の機体から特攻隊員の魂を昇天させようとしている図である。
 私は、しばらくその「知覧鎮魂の賦」という絵の前から動けなくなってしまった。隼のような軽戦闘機まで特攻に使われていたのだ。重い250キロ爆弾を積んで沖縄を目指しても、敵はすぐにレーダーで捕捉し一群四、五十機のグラマンF6F等の重戦闘機で何段構えにも待ち構える。米艦船には容易に近づくこともできなかったろう。仮に雲に紛れて接近できたとしても、VT信管を付けた猛烈な対空砲弾の破片でほとんど目的を達成することはできなかったはずだ。それでも彼らは出撃したのである。
 防弾対策の施されてない日本機は、被弾すれば忽(たちま)ち火ダルマになったという。燃える機体の中で操縦桿を握り、身を焼かれ薄れゆく意識の中で、自らに与えられた任務を運命と信じ飛び込んで行ったことが多くの遺書から伺える。
 私は特攻を賛美賞賛するものではない。逃げ場のない状況の中で、こうした形で最善を尽くさねばならなかった人々を鎮魂したいのである。

オイル・ロードを行く 「もし日本なかりせば」

写真: 『知覧特別攻撃隊』(村永薫編・有限会社ジャプラン)より

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2013年8月10日 (土)

オカザえもん、おそれいりました!

オカザえもん市長報告 2013年8月9日

 2ヶ月程前には、「オカザえもん騒動について」のブログのせいで、あたかもオカザえもんのカタキ役のように言われることもあった私であるが、最近はモンクを言ってきた人から「おかげ様でありがとうございました」などと言われることがある。結果として私もPR係の一人となった訳である。

 それにしても今回の「ご当地キャラ総選挙2013」におけるオカザえもんの健闘には驚かされた。競合する他のゆるキャラに比べ、後発でクセのあるキャラでありながら一旦火がついてからの追い上げには目を見張るものがあった。最初は怖がって泣いていた子供や、いぶかし気な顔つきで見ていた女性達が「オカザえもーん、かわいいーっ」などと言い、まるで人気タレントでも来たような大騒ぎである。(私にはどうもこういう心変わりが理解できない。)
 どちらにしても私共としては、オカザえもんが有名になるということは同時に岡崎を宣伝してもらっていることになるので、本当に感謝している。地元出身の有名人はたくさんいるが、「徳川家康」以外でこれほど直截に岡崎をPRした媒体はこれまで無かったはずだ。
 先日の記者会見で、「こんなに効率の良い投資効果のある宣伝はないですネ」と言われたが、まさにその通りである。こちらからお願いしてお膳立てしてやってもらったことでなく、作者・斉と公平太氏の独自のアイデアと行動力で始まった善意の試みが、結果として多くの人々の共感を呼んでこの成果となったと思っている。
 当初、中部ブロック予選においても、善戦はするだろうが、先行する〝おけわんこ〟(桶狭間・名古屋)には勝てないと言われながら、終盤の大逆転勝利となった。そこまででも上デキと思っていた。
 8月6日に発表のあった全国大会には、オカザえもんの登場前からマスコミに取り上げられていたキャラクターの参加も多く、1位のふなっしーなどは、オカザえもんが売り出し始める頃にはすでにテレビのCMに顔を出していた。それだけのハンディをものともせず、陸上で言えば、周回遅れに近い差を取り戻し、全国2位に輝いたことは大快挙と言える。

オカザえもん市長報告 2013年8月9日

 昨日8月9日、岡崎役所玄関ホールにおいて、凱旋将軍を迎える如く、オカザえもんを出迎えることになったのは、今までの活躍と今回の快挙に対する岡崎市としての敬意と感謝の表れである。一般市民の出迎えは250人程で、吹き抜けには2階から一番上まで職員が数珠なりで見守っていた。
 4階で行われた凱旋記者会見においても、相変わらず低姿勢なオカザえもんであったが、これからも岡崎の観光や文化をPRするためにガンバルという決意表明と共に、11月に開かれる「ゆるキャラグランプリ2013」にも挑戦するという意志も示していた。

オカザえもん市長報告 2013年8月9日

 「中部予選の優勝でバンジージャンプ、今度は何をするのか?」という記者の質問に困っていた様子だったので、「カヌーに乗ったらどうか?」とアドバイスをしておいた。(着ぐるみで転覆したら大変であるが・・・。)
 私には、「まだ、オカザえもんを好きにはなれませんか?」という質問が来た。
 これまでの岡崎に対するオカザえもんと斉とさんの貢献に対し十分感謝はしているが、残念ながらコノテのモノは私の趣味ではない。それに第一、今更「好きになりました」というのもおかしいでしょう。それでも職務の一貫として、胸には毎日オカザえもんバッジをつけています。これでお許しを。
 オカザえもんと斉とさんには、これからも元気で岡崎のためにガンバって頂きたいと思います。

オカザえもん市長報告 2013年8月9日

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2013年8月 5日 (月)

安倍夫人・岡崎訪問の記

橘凛保さん、安倍昭恵さん

 7月10日(水)、総理夫人である安倍昭恵さんが、昨年の市長選挙以来約9ヶ月振りに岡崎を訪問された。このことはブログの記事にしてはいけないかと思っていたが、翌々日の新聞に載っていたので、こちらでも書かせて頂くことにした。
 原爆の投下により焦土と化した広島の被爆地のガレキの中からカンナの花が咲いた。そのカンナの花にちなんだ「平和カンナ・プロジェクト」を推進してみえるご友人の橘凛保(たちばなりほ)さんと共に、今回の岡崎訪問はなされた。昨年の修学旅行の際に安倍夫人にインタビューするために議員会館を訪れた附属中学の卒業生らとの再会も目的の一つであった。

 夕刻より、松井幸彦先生をはじめとする友人の皆様と共に「安倍様、橘様を囲む会」をもつことになった。私自身、昨年の選挙でお世話になりながら当選直後幾度も上京したものの、日程の都合もあって直接お会いしての御挨拶ができていなかったこともあり、家内共々、出席させて頂くことになった。松井先生はかねてより「ミャンマーに小学校を作る運動」や「ミャンマーに消防自動車を送る運動」などを通じて安倍昭恵さんとはとても親交が厚い。
 昭恵さんは、卒業論文のテーマが東南アジアの民生、ことにミャンマー(旧ビルマ)の教育にかかわるものであった。学生時代にかの地を訪れたことが一つの切っ掛けとなり、ミャンマーの子供達のために小学校を作る運動に参画された。その運動は今日に至るまで続いている。すでにミャンマーには、昭恵さんの名を冠した小学校がいくつも誕生している。
 松井先生については以前も私のブログに記した通り、ビルマ時代のミャンマーに教師として海外赴任の経験があり、当時から戦後日本兵の遺骨収集、本国への送還活動や小学校建設運動、そして消防車両の寄贈運動でも御活躍をされてみえる。(私は、時として松井先生が宗教家に思えることがある。)
 橘さん、昭恵さん、松井先生に共通するのは、限りないヒューマニズムである。昨今の利害関係のみで行動する人々が目に付く世相において、こうした方々とお会いしお話を伺う機会を得ることは心洗われる思いがするものである。
 また前にもブログ上で触れたことがあるが、昭恵さんは森永製菓の社長令嬢である。しかしそんなことをけぶりも感じさせないさわやかさと天真爛漫さが彼女の魅力であると思う。(ウチの嫁さんは帰り際に「これからもガンバってネ!」と言われてハグをされて、感激していた。)

 もう30年近く前のこと。父上の安倍晋太郎先生の秘書官であった晋三さんが「この業界(政界)にいると、嫁さんを見つけるのが大変なんだ」という話をされていたことがある。大物政治家の息子は親の名前の重さで、それなりに苦労があるものだと当時理解していたものだ。同じように国会や議員会館界隈には、やんごとなき家系の才色兼備のお嬢様方がたくさん秘書として働いてみえるが、彼女達も同様の悩みがあるようであった。毎日テレビに出ている大物政治家達と同席しているために、若い男の秘書達は怖れをなして彼女達に近づこうとしないのである。(もちろん私もその一人であった。)
 しかし昭恵さんと親しくお話をさせて頂いて、そんな中で晋三さんが彼女を選ばれたことが十分納得できるような気がした。私の悪いくせで、晋三さんの若い頃の話をしながら、ついまた余計なことを言ってしまった。
「晋三さんのような方と結婚することになれば、将来政界の荒波をくぐる運命が待っていることは明らかです。御両親は反対されませんでしたか?」
 彼女は「親は嫁に行ってくれるならどこでもよかったようです」と明るく笑われた。私もそこで笑って止めておけばよかったのであるが、
「一般に親は口ではそう言いますが、私のような者でもウチの家内と婚約した頃、嫁さんは色んな人から『苦労するから止めた方がいいわよ』と言われていたそうですよ。もっとも私の場合、衆院選の大選挙違反もあったので、結婚などできそうもないし、もう人生終わったなと思っていましたけどね」
 と話したところ、反対に昭恵さんから「それじゃー奥さんに感謝しなければ」と言われてしまった。そのあとで「御主人が感謝してるってよ」とウチの嫁さんに向かって言っていた。これではインタヴュアーとしては失格で、全く〝やぶ蛇〟である。
 おまけに私はまた、次のような失礼なことを言ってしまった。
「あなたを個人としていい人だと思っても、〝森永の娘〟と分かった時点で普通の男は腰が引けてしまうもんですよ。そうでないとしたら、よっぽど自分に本当に自信のある男か、自信過剰のおバカさんか、逆玉を狙う野心家か、何も考えていない奴のどれかだと思いますよ」
 もしかしたら晋三氏は、同じ様な立場にある昭恵さんにシンパシーを感じたのかもしれない。(今度、会ったら聞いてみよう。)どちらにしても、ハタから見れば、何不自由なさそうな立場というものも、当人の立場となってみれば、それなりに嫌なこと、不自由なことがあるものである。天皇陛下は夜中に腹が減ったとしても、ちょっと車でラーメンを食べに行くというようなことはできないだろう。

安倍昭恵さん、私、ウチの嫁さん

 ウチの嫁さんと昭恵さんが笑いながら何か話をしていたので、あとで確かめたところ、お互いの亭主の共通点を酒の肴にしていたとのことだった。男のくせに酒が苦手で、アイスクリームやお好み焼きが好物で、好みのアイスクリームが「白くま」という所まで一緒であったため、声を出して笑っていたようである。

 私と安倍総理はもう一つ共通点がある。お互いに忙しくて映画を観に行けないため、夜遅く一人でDVD(変なヤツではない)を観ている点である。二人ともかなりの映画マニアであるが、観賞のスタイルだけは随分対照的であるようだ。
 私はDVDを観る場合、まず本編を筋を追いながら観る。その次に本編から削除されたカット・スペシャル、NG特集、予告編CMと続けて、監督や主演俳優や脚本家の解説版があればそれも観て、さらにハリウッド・ノートのような資料まで時間があれば目を通すことにしている。おまけに、時にはそれからまた本編を見直すことさえある。ウチの嫁さんに言わせれば「あなたはビョーキ」だそうである。
 安倍総理の場合は、時間も無いのであろうが、同じ映画は一度しか観ないそうである。よほど気に入った作品以外は定期的に箱詰めにして御自分で処分してみえるそうである。確かにそういう対応にすれば、私のように2000本を超えるDVDとまだ数百本はあるビデオテープ、自分で編集したTVのDVD500~600本に埋まって生活するようなことにはならないだろう。私の部屋の壁面はほとんどDVDと本でふさがっている。
 私の場合、以前観た映画でもしばらくするともう一度観たくなったり、場面やセリフを確認したくなることがよくあるのだが、安倍総理はそういうことはないのだろうか? ひょっとすると「男は身辺に余分なモノを多く持たない。そうしたものは柔弱未練の心の元となる」という長州武士の質実剛健の気風による生活習慣のせいなのかもしれない。

昭恵さん、橘さん、松井幸彦先生ほか

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2013年8月 4日 (日)

第65回花火大会が無事終了しました

岡崎城下家康公夏まつり 第65回花火大会

 初めての民間主導の試みであった「岡崎城下・家康公夏まつり」も先週金曜日に幕を閉じ、お蔭さまで岡崎の観光夏まつりは昨日の花火大会のフィナーレをもって無事終了することができました。花火師の方々をはじめ事業の推進にあたってご協力を頂きました多くの皆様に御礼を申し上げますと共に、御来会頂きましたお客様にも心から感謝申し上げます。

 岡崎に江戸時代から続く三河花火は、徳川家康公が天下統一を成し遂げたのちに、各地の鉄砲隊や大砲組の残存兵を集結させ、彼らの力を平和利用して観賞用の花火を作らせたのが始まりと伝えられております。三河花火はこうした天下泰平の精神を引き継ぎながら、長い伝統と工夫の中で現在に引き継がれております。
 また最近の話題として「花火大会&夏祭り特集2013」と題したインターネットのランキング情報では、プロの花火師が選んだ花火大会ランキングで、岡崎の花火が全国7位に選出されました。これは専門家の目で見たランキングであり、全国的にも非常に価値のある評価であり、うれしく思っております。
 しかし私の本心を言えば、岡崎のように、町の中心で行われ、しかも観覧者の頭上で花火が上がるように見える大会は他にあまり例がないと思います。花火の価値というのは花火の大きさ(号数)ではなく、音と光の醸し出す形状と雰囲気にあると思います。出店する花火店の数や、有名店の参加にとらわれずに現物を実際に見比べてもらえるならば、岡崎のランクはもっと上であると自負しております。今年は花火が途中で止まることなく、趣向を凝らした多彩な花火を存分にご堪能頂けたことと思います。
 それから毎年この花火大会を行うために風向きによって花火かすが空中を漂い、周辺の住宅に降り注ぐという話を聞いております。昔から岡崎にお住みの方からは直接苦情を頂いておりませんが、新しく岡崎においでの方の中には御迷惑をおかけし、びっくりされてみえる方もいるかと思います。この場をお借りし、お詫びを申し上げると共に古くからの伝統行事に対するご理解をよろしくお願申し上げます。

 最後になりましたが、大きいトラブルや事故もなく終えることができましたのは、警察並びに消防関係者の皆様方の御理解と御尽力のお蔭であり、あらためて感謝申し上げます。
 毎年祭りが終わると大勢の方のお力をお借りし、後片づけをすることになると思います。今年もゴミの片づけから始まり、河川敷の清掃、川ざらいなど様々な方面でお助け頂いています。ボランティアの皆様方に感謝を申し上げ、花火大会が無事終了したことに対するお礼の言葉に代えさせて頂きます。

岡崎城下家康公夏まつり 第65回花火大会


2016夏まつり、終わる (2016.08.20)

家康公夏まつり 第67回花火大会 (2015.08.20)

第66回 岡崎花火大会 (2014.08.14)

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