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2013年7月 6日 (土)

悠紀の里・オープン

悠紀の里

 六ツ美地域の長年の願いであった、地域交流センター・六ツ美分館「悠紀の里」(ゆきのさと)が6月9日にオープンを迎えた。この事業は、六ツ美地域の住民の意向を受け、平成21年(2009年)から岡崎市が整備計画をすすめてきたものである。
 今回完成したのは、第一期の歴史民俗資料室としての部分である。ここでは長く農業を生活基盤としてきた六ツ美地域の独自の伝統、文化と歴史についての展示がなされている。来年度には、第二期としてホールや活動室を備えた地域交流ゾーンが隣接地に建設される運びとなっている。
 歴史民俗資料室では、市指定の無形民俗文化財としての「大嘗祭悠紀斎田」(だいじょうさい ゆきさいでん)に関する資料を中心に、これまで地域において収集されていた生活資料と共に六ツ美地域に関する歴史を幅広く展示している。農業がすっかり機械化されてきた今日、主に手作業でなされていた頃の古い農機具等は大変貴重な展示資料となろう。
 展示主会場の床が一面、緑と紺のじゅうたんで美しく飾られ、三河の地理関係が理解できるように図示される配慮も施されている。また隣の研修室コーナーは、地元の歴史や文化を伝承して行くための学習会や地域の方々が世代を超えて交流しながら学習のできる場として活用されることとなっている。

 〝悠紀の里〟の名称は、大正4年(1915年)の新天皇が即位後初めて行う「新嘗祭(にいなめさい)」(大嘗祭)で皇室に献上する米を作るために、東日本から六ツ美の中島町の水田が〝悠紀斎田〟に、西日本から香川県綾川町の水田が〝主基斎田〟(すきさいでん)に選ばれたことに由来している。
 歴代の天皇の即位の折にも、同様の祭事が行われていたはずであるが、なぜか歴史を越えてこの祭事を地元の伝統行事として今日まで伝えてきているのは、この六ツ美(悠紀)と香川県綾川町(主基)の二つと、昭和天皇即位の時の滋賀県野洲市(悠紀)の三ヶ所だけである。それはこの三つの地域が、斎田に選ばれたことを名誉に思うことに加え、その栄誉を後世に伝えたいという気持ちがより一層強かったことの現れであろうと思う。その結果、今日まで六ツ美において伝えられてきたのが、この「大嘗祭悠紀斎田お田植えまつり」である。
 以前は、近くの中島八幡社で早乙女達の「お田植えおどり」をおこなってからお田植え唄にあわせて田植えの儀式が催行されていたこともある。現在では専用の敷地を確保し、すべての行事を一ヶ所で行うことができる。
 今回の第一期の民俗資料室の開館と、来年の第二期工事の終了により、この施設は完成することになる。そして再来年の平成27年(2015年)には第100回目を迎えることとなり、地元では「悠紀斎田100周年記念事業実行委員会」を設立し、六ツ美地域を挙げての記念事業を計画している。100年の時を越えて、この施設がこれから先もこの地の新たな伝統と友和の象徴として発展することを願っている。

地域交流センター・六ツ美分館「悠紀の里」

六ツ美悠紀斎田お田植えまつり

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