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2013年7月28日 (日)

オイル・ロードを行く 第5回~第7回

『オイル・ロードを行く』 第5回~第7回

内田康宏事務所からお知らせ申し上げます。
ホームページを更新しました。『オイル・ロードを行く』(東海愛知新聞、2000年1月19日~3月4日連載)の続きをUPしました。
内田康宏ホームページ - オイル・ロードを行く

第5回「ロレンスとアタチュルク」、第6回「クウェートの霰(あられ)」、第7回「湾岸戦争の爪痕」の三編です。「ロレンスとアタチュルク」から一部を抜粋します。

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 今日、中東において問題となっている事柄の多くは当時、中東における利権を巡って西欧列強が謀略を策したことに始まっている。第一次大戦前、アラブ人たちは中東におけるオスマン・トルコの長期支配に不満を持ちながら、アラブ人同士の部族間対立のため効果的な抵抗運動を展開することができなかった。国家という理念を理解しない、そうした放牧の民の前に現れたのがロレンスであった。当初、英国陸軍の情報部に配属されていたロレンスであったが、アラブ人の運動に関わるに連れ、本来の任務よりもアラブ人の抵抗運動そのものにのめり込んで行ったようだ。
 ロレンスの著書『知恵の七柱』によれば、彼は戦いに臨んでアラブの衣装を身にまとい、銃弾と白刃の中を先頭に立って敵陣に突撃して行ったという。決して口舌の徒ではなかったのである。ロレンスは度重なる戦闘のため、体中に数十カ所の負傷を受けている。それらの事実が、アラブ人の彼に対する絶対の信頼と英雄視を生むことになる。
 ロレンスのアラブに対する献身とは裏腹に、本国イギリスは帝国主義的野心に基づいて駒を進めていた。当初イギリスは、ドイツ、トルコとの戦争に勝利するため欧米のユダヤ人財閥の資金援助を得るべく、ユダヤ国家再建を唱えていた(バルフォア宣言)。同時に、中東からトルコを駆逐するために、アラブ人に対しても同様の独立国家建設の約束をした(マクマホンの約束)。その中で、一つしかないパレスチナの地をユダヤとアラブの双方に与えるという二枚舌外交をしたことが今日の混乱の発端である。
 おまけに、フランスとはトルコ帝国崩壊後の中東を両国で分割する「サイクス・ピコ協約」を結んでいた。はじめからユダヤやアラブとの約束を守る気などなかったのだろう。これが、今日もきれいごとを並べながら対外交渉をおこなっている西欧の本性である点を再認識すべきである。

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