« 中学生と語る「未来の岡崎」Ⅱ ―城北中学― | トップページ | 親善都市・福山市へ その2(ばら祭) »

2013年7月15日 (月)

親善都市・福山市へ その1(鞆の浦)

広島県福山市訪問

 「第46回福山ばら祭」が5月18日(土)、19日(日)、広島県福山市で開催された。5月以来の度重なる県外での会議や6月議会への準備のため、記述が2ヶ月も遅れてしまったが、親善都市である福山市を訪問した時のことを報告しておこうと思う。
 今年は茅ヶ崎市、佐久市との「ゆかりのまち30周年」と2月の石垣島新空港の開港に加え、親善都市42周年を迎える福山市への訪問により、関ケ原町をのぞくすべての友好関係にある都市への新市長としてのご挨拶が済むこととなる。岡崎市の代表として各地を訪問させて頂いて、改めて首長としての職責の重さを再認識させられた気がする。

 広島県の福山市と愛知の岡崎市がどの様な縁で結ばれているかと言えば、古く江戸時代の初期に遡ることとなる。徳川家康公のいとこにあたる刈谷の水野勝成公が初代の福山城の城主として福山の地に移封されたことによるのである。そうした古い機縁のもとに、昭和46年(1971年)11月9日、奇しくも私の父親が市長の折に、岡崎市と福山市が親善都市の提携を結ぶこととなった。両市は、城下町として栄えたことだけを共通の歴史に持つものではない。先の大戦において戦禍に見舞われながら、両県の中核市に成長したことも、共通点として挙げられる。更に市制施行日も同じ大正5年(1916年)7月1日であり、3年後には市制100周年の大きな節目を迎えることになる。
 現在、岡崎東公園の動物園にいる象の「ふじ子」は、福山から岡崎への友好の印として岡崎に寄贈されたものである。象を送って頂いたことには大変感謝をしているが、一匹だけで生活しているふじ子の姿は見る度に哀れでならない。ふじ子のおかげで多くの岡崎の子供達が身近に象を見られる機会を得られたことは喜ばしいことであるが、これからの動物飼育の原則としては、「群れで生活する動物は、多頭飼いをする」べきであって、できなければ飼うべきではないと思っている。

 今回福山へは岡崎市だけでなく、親善友好提携5周年を迎える米国ハワイ州マウイ郡の郡長ならびに訪問団一行、韓国・浦項(ぽはん)市の訪問団の皆さんも招かれていた。
 当日は福山到着後、夜の歓迎会まで時間があったため、福山市の御好意に甘えて、瀬戸内海国立公園の景勝地として名高い鞆の浦(とものうら)へ足を運ぶことにした。県議の時にこの地を訪れたことがあったが、今回は観光ボランティアとして有名な宮本和香(かずこ)さんという御婦人の案内によりこの地を訪れることとなった。おまけに役所の随員も宮本さんである。
 市内から14km南にある沼隅半島に向かう経路には、芦田川という大きな川とそこにかかるいくつもの橋があり、そんな風景にも岡崎との共通性を感じさせられる。夏にはこの川沿いで花火大会が催されるそうだ。
 鞆の浦は瀬戸内海国立公園を代表する景勝地であり、穏やかな瀬戸の海には、弁天、仙酔など小粋な名前の島々が浮かんでいる。
 最初に訪れたのは、福禅寺という寺の境内にある「対潮廊」(たいちょうろう)という江戸時代(1690年代)に建てられた客殿だった。前にも来たことがあるが、今回は天気もよく座敷からの眺望は素晴らしかった。以前NHKの番組が、この地を訪れた朝鮮通信使の一行がここから海を臨む景観に心を打たれ、「日東第一形勝」(日本一の景勝の地)の書を残したことを紹介していたが、まさにその通りの美しさであった。
 少し前、このあたりの海に橋を架けるの架けないので、地元と県の間で大モメしたと聞くが、その計画は鞆の浦の景観に直接かかわるものではなかったようだ。「地元生活の利便性の向上のためには橋が必要」という声と「美しい自然景観を守れ」という声がせめぎ合っていたそうだ。いずれにせよ、今は橋の建設計画は取り止めとなっている。こうした問題はいずこも同じである。

広島県福山市訪問

 漁村から発展してきたという町並みを眺めながら散策をしたとき、このあたりの風景をどこかで見たことがあることに気がついた。私はご承知のとおり映画マニアであるが、アニメもけっこう好きである。スタジオ・ジブリの『崖の上のポニョ』というアニメ映画に出てくるポニョという女の子が小さい頃のウチの娘によく似ていたため、ついついDVDを買ってしまった。お店の若いニイちゃんが「このオジさん本当にコレ買うの?」という顔で一瞥(いちべつ)したことを今も覚えている。
 何が言いたいかというと、このアニメに出てくる町や海岸線の風景が鞆の浦の一帯とほんとによく似ているのである。私の気のせいかと思っていたら、ある街角のウィンドウの中に、ポニョの人形と手作りの島の造形が飾られていた。地元の人に話を聞いたところ、宮崎駿氏はあのアニメを製作する前に、構想を固めるためにこの地で3ヶ月程逗留していたことが分かった。案外私の勘も捨てたものではないと思った。
 宮崎氏が毎日コーヒーを飲みに来ていたというひなびた喫茶店に入ったとき、私としては珍しく、目にとまった販売用のコーヒーカップを衝動買いしてしまった。後で箱を見たらメイド・イン・ギフであったが、現在このカップは役所で愛用している。(つづく

福山市とポニョ

|

« 中学生と語る「未来の岡崎」Ⅱ ―城北中学― | トップページ | 親善都市・福山市へ その2(ばら祭) »

親善都市・ゆかりのまち」カテゴリの記事