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2013年4月 6日 (土)

新・石垣空港、開港式へ

石垣島

 去る3月2日、岡崎市と親善都市提携をしている沖縄の石垣市の新空港・開港式に岡崎市長として出席することとなった。沖縄本島へは県議時代に委員会視察などで3~4回訪れたことがあるが、石垣島まで足を伸ばすのは今回が初めてである。
 当初イメージしていた石垣島は、南海のひなびた小島だと思っていた。ところが着陸体勢に入った飛行機の窓から見えた島影が思っていたよりも大きなものであり、意外であった。人口5万人程でありながらホテルが27もあるというのはうらやましい限りであるが、それはこの島がリゾート地として観光が経済の大きな糧であることの証しである。また逆に言うならば、他の産業は漁業か農業しかないということになる。
 また島内を車で移動中に気が付いたことだが、なぜかコンビニはココストアばかりだった。

 岡崎市と石垣市の交流の始まりは、戦時中、石垣の旧大浜飛行場にいた岡崎出身の海軍将校が特攻隊の「八重桜隊」結成にあたり、その兵舎に大浜小学校を使わせてもらった縁で、戦後、贈り物をしたことがきっかけとなっている。将校の母校であった岡崎の奥殿小学校と大浜小学校が姉妹校となり、昭和44年に岡崎市と石垣市の親善都市提携へと発展したものである。以後、小中学校や各種団体との相互訪問を始め、産業、教育、文化など幅広い交流が続いている。かつては岡崎市が寄贈した岡崎会館という施設もあり「そこで私たちは成人式をしました」という方ともお会いした。現在は跡地に交流の足跡を伝える様々な石碑が残っている。

 石垣島の空港の歴史は、海軍の飛行場として建設されたことに始まる。戦後、米軍の統治を経て民間空港が運航を始め、昭和47年の日本復帰後、第三種空港として指定を受け、その後滑走路を整備して小型ジェット(B-737)の運航に対応してきた。
 全国の地方空港の中では、乗客、貨物ともに利用率の高い空港である。しかしながら滑走路が1500mのままでは、ジェット化への対応が難しくなってきた。飛行機の機種や大きさに加え、重量も制限が課せられた。また過去に着陸時にオーバーラン事故が起きたこともあった。そこで中型ジェット(B-767)が就航可能な2000m滑走路をもつ新空港建設が地元の宿願となっていたのである。
 私が石垣空港(旧)に到着した折も、着陸時にブレーキ操作があり、最後に飛行機がつんのめったように停止したのが大変印象的であった。次にこの島に来るときは、新空港に到着することになるのでこんなこともなくなるのだろう。

 新空港建設については、当初海上空港案もあったが、サンゴ礁の自然を守ろうとする地元漁業者や環境保護団体の反対運動もあり、長年に渡って地元を二分するやりとりが続いていた。陸上空港方式に転換してからも、今度は建設予定地問題で新たな議論が起こり、ようやくこの度の新空港建設・開港にたどり着いたものと聞いている。
 何事を行うにも賛否両論の意見があり、利害対立のある大きなプロジェクトであればあるほど、まとめることは簡単ではないということである。
 開港式典は2日(土)の午後3時から新空港のロビー全面を使って行われた。県知事、市長、国会議員などの挨拶と共に事業の経過報告ならびに新空港の紹介が映像を交えて行われた。
 私の隣に座ってニコニコしている人と挨拶をしたが話が通じない。年で耳が遠いのかと思っていたら、名刺を交換したところ、台湾の姉妹都市の市長さんであることがわかった。考えてみれば、ここは日本本土よりも台湾や中国の方が近いのである。そう言えば、話題の尖閣列島は石垣島の目と鼻の先であり、石垣市の市域である。

 6時から所をホテルに移してお祝いのパーティーがあった。私は少々疲れていたので途中でホテルに帰り休むことにした。替わって二次会に出席してくれた秘書課の随行は、歌手の夏川りみさんの生歌を聴くことができたと感激していた。
 テレビの天気予報を見ていて気づいたことだが、私達は天気予報と言えば日本列島の地図の上に太陽や雲、雨のマークが付けてあるものがおなじみであるが、八重山群島と呼ばれるこの地では、海に点在する島々の間に天気マークが表示されている。そんな違いに新鮮な驚きを感じた。こうした場所で船で島々を回って選挙をするのはさぞや大変なことだろうと思う。しかもここは台風銀座である。選挙中、会場に行けなくなったり、家に戻れなくなったりもするのだろう。

中山義隆・石垣市長と私

 翌日午前中に石垣市役所を訪れ、中山義隆市長に挨拶をした。まだ若い45歳の市長さんであり、新空港開港を契機に故郷(ふるさと)を大きく飛躍させようという意気込みにあふれている様子が、話す言葉の端々に感じられた。
 午後5時が帰りの飛行機の出発(搭乗)時間である。その時間まで、石垣市の御好意で市の車で島内を案内してもらえることとなった。と言っても十分時間が無いので、とりあえず車で島を一周し、隣の竹富島まで行って帰るだけの日程となった。

石垣島

石垣島

 それにしても曇り空の下で眺めても美しいエメラルドグリーンの海を見ていると、こんな所で生活できる人がうらやましくなってくる。
 私は若い頃、スキン・ダイビング(素潜り)が好きで、深さ8mまで2分間くらいは平気で潜っていた。もちろん今は無理であろうが、一応、高校の元・水泳部である。

内田康宏

 ダイビングは、小学生の頃から足ヒレ、水中メガネ、シュノーケルを使っており、澄んだ水の中に漂う宇宙遊泳のような体感に魅せられてきた。中学生の頃には手製の水中銃で自ら採った魚を料理して食べていた。大学時代は毎年夏になると、かつての岡崎市育英会・東京学生寮の仲間達と伊豆七島を順番に巡ったもの である。ゴムボートで海岸線沿いに探検したシーンが、今も夢の中で回想されることがある。そういえば、寺田副市長も当時のメンバーの一人である。

 もし10歳若かったら今回も水泳パンツぐらいは持って来ていたかもしれない。老後はぜひこんな海のきれいな所で犬や猫に囲まれてのんびりと余生を送って暮らしたいと考えているが、結局は見果てぬ夢に終わることだろうと思う。

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