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2013年1月16日 (水)

消防自動車、ミャンマーへ

 岡崎には、松井幸彦(ゆきひこ)先生という元校長先生がおみえになる。
 この方は以前、ミャンマー(ビルマ)のラングーンの日本人学校に2年間赴任しておられたこともあり、その縁で今もミャンマーに小学校を作る運動や古くなった消防自動車を日本から送る慈善活動に挺身してみえる。

ヤンゴン市 消防本部にて

 ミャンマーの子供たちの多くは貧しくて学校に行けず、現地の学校の多くも古くて雨漏りしたり床板が抜けていたからだそうである。教育者としてこれはなんとか改善できないかと思ったのが、松井先生がこうした運動にかかわることになったきっかけだそうである。不思議な縁であるが、私がお世話になっている安倍晋三総理大臣の奥様の昭恵さんも、この同じ運動を通じて松井先生と親交があった。
「安倍昭恵のスマイルトーク」 2009年3月28日参照)

 また松井先生は、赴任していた日本人学校の近くに日本人墓地があり、荒れ放題になっている状況を情けなく思い、自力でばらばらになっていた墓石を復元し、さらにうずもれていた日本兵の遺骨4万数千柱の調査をすすめられた。その結果ご本人が急性肝炎となり入院したこともあるそうだ。
 太平洋戦争中のかつてビルマと呼ばれたころ、この地には多くの日本兵が駐屯していた。インドのイギリス軍たちと戦うためであった。しかしインパール作戦の失敗を経て日本が敗戦に至り、日本人の生存者の多くは本国に帰ったが、帰国せずに現地に残って住みついた日本兵も少なからずいたと聞いている。松井先生もそうした人と会ったことがあるそうである。

 私も15年ほど前に東南アジアを回ってミャンマーを訪れたことがある。
 そのときに日の丸をつけた観光バスで市場の視察にでかけたことがあった。私たちがバスを降りて市場を歩きまわっているとき遠くの木の陰からこちらを見つめている老人がいた。顔つきが現地人らしくなくてずっと気になっていた。私たちが市場の見学を終えてバスに乗って出発しようとしたとき、その老人が私たちのバスの方を向いて敬礼をしていた。そのときにその老人に声をかけなかったことが今でも心残りになっている。
 ミャンマーというと私はすぐにそのときのことを思い出す。

 話を本題に戻すが、松井先生からは私が県会議員のときにも、「古くなった消防自動車を提供してくれる県下の自治体を紹介してほしい」という要望をされていたが、当時、岡崎市はNOx規制法に抵触する車を外国に出すことはできないという見解で協力してもらうことができなかった。
 ミャンマーでは、乾季に出火すると大火事になって多くの人命が失われているという。とりあえず何とか廃車になる消防自動車を困っている国の人々のために送ることができないだろうか、と考えていた。

 今回、私が市長になって消防本部と話し合った結果、今度は車を供出してもらうことができることになった。平成24年度で岡崎市では5台の消防特殊車両が廃車となる。そのうちの4台をミャンマーに送ることができるように現在譲渡手続きを始めているところである。
 こうしたことで松井先生の努力が実り、少しでも火事の被害が軽減され、不幸になる人が少なくなれば幸いである。今後ともできる限りこの運動には協力していきたいと考えている。

(注・その後、2013年8月2日に消防車両の引き渡しは無事行われました。「ミャンマーへ贈る消防車の寄贈式」)

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