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2013年1月31日 (木)

上様のおな~り Ⅰ

 岡崎は徳川の発祥の地(家康公の生誕地)であるが、それは過去にとどまらない。現在もなお岡崎市は、家康公検定や大樹寺の法要を始めさまざまな関連行事に徳川家・第18代の徳川恒孝(つねなり)さんにご出席して頂いている。
 また大平町にある大岡稲荷社には、毎年春と秋の祭礼に大岡越前(江戸町奉行、のちに大名)第15代の大岡秀朗(ひであき)さんがお見えになっている。
 昨年OPENした「旧本多忠次邸」の先祖、本多平八郎の一門の皆さんも、岡崎には頻繁に来訪されている。
 岡崎は今もいにしえの歴史と深いつながりのある町であると言える。そのことを十分知っているつもりの私でも、ときどき驚く出来事がある。

 最近は「何とか維新」とか「○○維新の会」というのが進歩的なイメージとして使われ、流行っているが、先の大戦前までは明治維新の推進母体であった薩長(鹿児島県と山口県)グループが軍閥や政治閥の元凶として陰口を叩かれていたこともあった。そうした体制に反旗を掲げた2・26事件の反乱軍将兵が唱えていたのが「昭和維新」であったのは皮肉である。
 どちらにしても明治の御維新で古い幕藩体制は崩壊し、徳川の勢力は影も形もなくなってしまったかのように思われがちであるが、どっこい歴史はそんなに単純なものではないようである。信長が本能寺で暗殺され、秀吉の時代となり、徳川幕府が成立し織田の一族の影は薄くなったが、信長の妹のお市の方(浅井長政の妻)の三女、お江が二代将軍秀忠の妻となり、血脈はつながっている。
 徳川幕府も江戸無血開城のおかげで、大阪城の二の舞は踏まずに済んだものの全体で800万石とも言われた石高が静岡の70万石に限定され、旗本が娘を奉公や身売りに出すような苦難のときを経た。そのことによって逆に旧幕臣たちの団結心が強まったせいなのか、現在もその絆は生きているようだ。

 先年、大樹寺の法要の折、出席予定であったメインゲストの徳川恒孝氏が急に欠席することとなり、電報が届いたことがある。
「残念ながら、急遽、関東幕臣会議が開かれることとなり大樹寺の法要に出席できなくなりました――」
 との内容であった。不埒にも私は「プーッ」と噴き出してしまい、思わず隣の人に「いまどき、幕臣会議だって・・・」と小声で言ってしまったところ、前列の方のおじいさんたちから怖い顔でにらまれてしまった。

徳川恒孝さん

 一般人の私たちに縁がないだけのことであって、今も天皇家と公家の子孫の人間関係が形を変えて残っているように、かつての武家の名門たちも形を変え現代に生き残っているのである。婚姻関係もそうした範疇で行われることが多いと聞いている。
 徳川恒孝氏が岡崎にお見えになったとき、どういうわけだか県議時代からわたくしが接待役をおおせつかることが何度もあった。その折に幕臣会議のことを恒孝氏にお尋ねしたところ、
「確かに関東だけでなく全国でもやっているけれど、うちは同窓会のように和やかにやっていますよ。しかし島津さん(鹿児島)のところはもっときっちりやってみえるそうですよ。今でも正月などに旧家臣団の子孫が集まると席の序列は今どんな職業についていようと、かつての先祖の地位の順番だそうです」とのお話であった。

 また、その徳川恒孝氏が大樹寺にお見えになるとき、大樹寺の住職やお寺の世話役の方たちが恒孝さんのことを「上様」とか「御前様」と呼んでおり、ぶったまげてしまった。まるで江戸時代に戻ったような気分であった。それまで気楽に「さん付け」で話をしていたが、私も「上様」と言わなければいけないのかどうか気になってしまった。気になり出すと今までのように気楽に話ができなくなってくる。改めて考えてみれば世が世であれば、徳川幕府の将軍職についていらっしゃる方である。とてもこんなふうに気楽に話のできる立場ではないだろう。

 ついでにもうひとつ述べるならば、徳川本家の徳川の「徳」の字は本物ではない。ぎょうにんべんを書いて、隣に「十」の字を書いて、下に「四」を書く。ここまでは同じだが、「四」とその下の「心」の間に「一」の字が入る。

徳

 私はたまたまそのことを本で読んで知っていたので、名刺を頂いたときにその話をしたところ、
「そのことに気付く人はあまりいませんし、正しい『とく』の字で年賀状を書いて来る人も年々少なくなってきました」
 と言ってみえた。

 私たちはふだん自分たちの目の前の出来事の中でしか物事を考えて生きていない。しかし一度立ち止まってまわりをゆっくり見まわしてみると歴史的な問題も含め、いろいろなものが見えてくる。そんなものを発見したとき何かとても愉快な気がしてくる。

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上様のおな~り Ⅱ (2013.03.04)

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