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2013年1月13日 (日)

愛隣幼稚園時代の思い出

 11月6日(火)、 岡崎私立幼稚園PTA連絡協議会の「市長さんを囲む会」が市民会館会議室でおこなわれた。これは毎年定例の会で、私立幼稚園の園長先生、および先生方と市長との教育に関する協議と懇親の場である。

岡崎私立幼稚園PTA連絡協議会

「日頃は、岡崎の幼児教育の推進に対して多大なるご理解、ご協力を賜りましてこの場をお借りしてお礼を申し上げます。現在、市内で開園されております21の私立幼稚園には、小学校就学前の子供の2割強、約5000名、また3歳児から5歳児について言えば、約半数の子供さんが入園されていると聞いております。そのことに対して本市は、様々な形で保護者の皆様と幼稚園運営の支援をさせて頂いているところです。
 皆様におかれましては、私立幼稚園の果たす役割を認識され、また、それぞれの幼稚園がもってみえる歴史や伝統、特色ある教育理念に基づき、園と保護者の協力のもと、次の世代を担う子供たちの未来を考え、幼児教育の向上と家庭や地域の教育の再生に、日々ご尽力されてみえました。
 これは誠に意義深いことであり、心より敬意を表するものであります。わたくしも公約として、医療や福祉とならび、教育の充実を重点施策として掲げてまいりました。ことに『三つ子の魂百まで』と言われるよう幼児期の教育の重要性はじゅうぶん認識しているつもりでございます」

 というようなかたくるしい話をしゃべったあとで、各テーブルごとに挨拶に回らせて頂いた。
 各園の課題や幼児教育に対するご意見をうかがっているうちに、だんだん自分の愛隣幼稚園時代の馬鹿話をし始めた。背中に刀をしょって風呂敷で覆面をして近所の子供とともにお城の石垣をよじ登った話くらいでやめておけばよかったのだが。いつもの癖で、また余計なことまで喋ってしまった。

 朝近所の子供たちとグループで登園したはずなのに、昼になっても12人ほどの子供たちが到着せず大騒ぎになったことがある。
 園児失踪事件の首謀者は私であった。
 その頃の幼稚園は弁当持ちであった。弁当を持って家を出ればどこに行こうとこっちのものである。愛隣幼稚園は六供町にあるが、近所の子供たち全員で甲山に遊びに行くことにした。木に登ったり、防空壕の跡の洞穴にもぐり込んだりして遊んでいるところを先生や親たちに発見された。今であったら新聞沙汰である。おかげさまで「あの子とは遊ばないように」と周りでよく言われたものだ。そんな話をしたら先生方にとても受けた。

 そしてたまたま隣のテーブルにいたのが、当時の園長先生の娘さんであった。今はその方が愛隣の園長さんである。実に運命の不思議さを感じた。娘さんに「その節は、お母様にたいへんご迷惑をおかけしました」と謝った。

 当時はそんなことばかりをやって毎日を暮らしていた。人生で最高の時代であった。

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