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2012年12月

2012年12月30日 (日)

12月議会の一般質問を終えて

 12月7日(金)。
 本日、12月の議会の一般質問が終わった。各議員の質問はとても鋭いものが多かった。その質問と私のブログに対して頂いたご意見等をふまえて、改めてわたくしの提言している“次の岡崎、新しい岡崎”に向けての政策概要についてもう一度述べてみようと思います。

岡崎市 平成24年度12月議会

 市長席から見た議会。

岡崎市 平成24年度12月議会

 議員席から見た議長と市長。

 このたびの選挙戦を通じ、私の話を聞いていただけた皆様にはかなりご理解いただけたと思っていますが、ご縁がなく人づてに話を聞かれた方、あるいはパンフレットを見ただけの方の中には、ずいぶんと誤解をされている方もあるように思います。
 選挙の直前になってから、市制100周年記念事業として「ツインブリッジ構想」を提案しましたところ、これから橋を作るために他の事業をすべてやめてしまうような理解をされてしまう方。またこれから岡崎は観光産業だけで生きていく都市に変わってしまうかのように曲解をされている方もありました。
 まずツインブリッジにつきましては、耐用年数をすでに経過している殿橋、岡崎市の玄関、東岡崎駅前にある明代橋のふたつの橋、二橋については朝夕の渋滞対策として橋を拡幅して架け変えたいと思っています。さらにそうした橋の交通機能の改善に加えて、以下の六つの要素を加えたいと思っています。

  1. 橋上に市民のくつろげる公園機能をもたせる。(くつろぎ)
  2. 岡崎の伝統産業・石工の技術の粋を尽くした装飾を橋にほどこす。(技術の伝承)
  3. 中心市街地へ人が歩いて回る導線としたい。(観光)
  4. 人が歩くことによる商店街の活性化。(にぎわい)
  5. 岡崎の新たなシンボルとして子供たちが誇りにできる橋。(愛郷心)
  6. 橋の下には屋根のある広場ができ、照明により夜まで使える。(民活空間)

 こうした多くの思いをこめたプランであって、単に派手な橋を作って観光名所にしようといった安易なものではありません。そしてヨーロッパの大都市にはその街の象徴と言えるような橋がいくつも見られますが、それらに負けないような橋にしたいと思っております。
 しかも100周年を記念して事業を始めるという余裕のある計画であり、実施にあたっては専門家、商工会議所、町おこしの会、一般市民の声など幅広くご意見を賜り、修正を加えながら進めて行こうという構想であります。また当初私は、同じような橋をふたつ造ろうと考えていましたが、今は違うコンセプトのものをふたつにした方がよいような気がしています。例えば石のモニュメント橋と橋上公園橋のように機能をはっきり分けた方が無理無駄が少なくて済むと思います。さらに観光政策的にも目玉がふたつの方がいいでしょう。
 交通機能だけは早期に回復させますが、他の項目につきましては単年度に大きな財政的な負担とならないようゆるやかに事業を進展させていく考えです。(10年計画でも可。)
また、「橋もハコモノと同じだ」というご批判もありましたが、ハコモノとは作るのに大きな予算がかかるだけでなく、完成後も継続的に毎年大きな維持管理費(おおむね建設費の10%強)がかかるもののことであって、橋をハコモノというのは明確なる事実誤認であります。
 ここまで読んでいただければもうおわかりのことと思いますが、観光産業を育てるために他の産業をないがしろにするようなことはなく、通常の予算計画の中で、都市としての基本的な事業は継続して行います。ツインブリッジ構想による財政的な大きなしわよせが来るとは思っておりません。観光だけで都市の経済が成り立つのはよほど恵まれたケース(パリや京都など)だけです。また、これは実現可能かどうかやってみなければわかりませんが、橋の造作工事をやっている作業そのものも岡崎を訪れた皆さんに楽しんで見てもらえるようなものにできないかとも考えています。ちょうど、スペインのガウディ作のサグラダ・ファミリア教会が200年近い年月をかけて建築をすすめ、それが観光の名所となっているように。

 私は岡崎の都市経済を支えるいくつかの産業の柱のひとつに観光産業を育てあげたいと考えているだけです。そしてそのような考えを持っている人は岡崎には決して少なくはありません。(ことに岡崎生まれの岡崎育ちには。)しかもツインブリッジ計画は観光岡崎建設への第一歩であることを申し添えておきます。
 ただ現在すぐ必要とは思われないハコモノ計画「子供科学館」や、実現にあたり、計画、場所、時期に再考が必要と思われる「新文化会館」などの事業は当面先送りにさせていただきます。よってツインブリッジ計画は法的な手続きと行政的手順を間違えずに進めていけば必ず実現可能であり、将来やってよかった事業になると確信しております。

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2012年12月27日 (木)

秋の市民まつり&ジャズストリート

岡崎ジャズストリート2012

 11月3日(土)。
 今日は朝11時から東康生の四つ角から「岡崎ジャズストリート2012」のパレードが始まる。
なにせ初めてのことなので、勝手がよくわからない。岡崎商工会議所の古澤武雄会頭、本イベントの同前慎治会長と共に大きなプラカードをさげて東康生の真ん中を籠田公園まで歩いた。途中選挙でお世話になった方々の顔が続き、頭を下げっぱなしであった。
 籠田公園でも挨拶は最初であった。

「2006年に始まった『岡崎ジャズストリート』も今年で7回目を迎えました。これもひとえに企画運営を執りおこなっている実行委員会の皆様をはじめ、協賛を頂いております多くの地元企業の皆様また、運営を支えるイベントサポーターの方々のご尽力のおかげと心から感謝申し上げます。今年も『岡崎ジャズストリート』は今日と明日の2日間、全国からのべ300人近いミュージシャンの方々にご出演頂き、多彩な演奏を繰り広げられることになっております。岡崎市のみでなく、県外からも多くの方がお見えになります。
 この『岡崎ジャズストリート』の催しにより、岡崎を訪れる方がますます増え、より魅力的な新しい観光都市岡崎を創造することになることを期待しております」

岡崎市 秋の市民まつり

 その後会場を岡崎公園グランドに移し、「秋の市民まつり」に参加する。グレート家康公「葵」武将隊の演舞の前に挨拶をすることになった。

「秋の市民まつりは昭和57年(1982年)に第1回を開催して以来、今年で31回目となります。春の桜まつり、観光夏まつりと並ぶ岡崎の季節のイベントとして成長してまいりました。これも、ひとえに市民の皆様・各団体の皆様の格別のご協力とご支援のおかげと感謝申し上げます。
 さて今年の市民まつりでは岡崎を代表する伝統食材の八丁味噌を使った麺料理で岡崎を盛り上げようと、市内の飲食店34店舗が参加する『岡崎まぜめん』が11日の販売にさきがけて商工フェアの会場に登場しています。そのほか河川敷においても農林業祭をはじめさまざまなイベントが繰り広げられているところであります。
 また東岡崎駅から東康生一体の中心市街地では昨年に続き、『岡崎ジャズストリート2012』や商店街の方々による様々なイベントが開かれています。まさに官民が一体となった市民まつりの名にふさわしいイベントとなっております」

 挨拶を終えて下りてくると、試食のまぜめんが用意されていた。
 今日試食するのは、味噌ラーメンの汁を流して八丁味噌味にしたようなものであった。最初はなんだかわからないものだなと思ったが、食べてみたらとてもおいしかった。まぜめんにはパスタ風のものから和風、中華風などなど様々なものがある。それぞれの店がそれぞれに趣向を凝らした食べ物だそうである。誰が考えたのか知らないが、面白い発想だと思う。どのまぜめんがいちばん美味しいか、また、どれがいちばん自分の好みか探してみるのも楽しそうだ。

 お腹がいっぱいになってから、会場の出店を順番に挨拶がてら回った。行く先々で選挙でお世話になった方々とお会いし、「よかったね、おめでとう」と声をかけられる。「市長の名刺を一枚くれ」という声に応えて名刺を配っていたら、たちまち一箱なくなってしまった。

岡崎市 ジュニア・エコノミー・カレッジ

 商工フェアの会場から、乙川河川敷の農林業祭の会場の方へ順番に歩いて行った。
県会議員であったときにはこれほどじっくりとすべてのものを見て回らなかったが、今回は市長という立場で責任もあるのでひと通りすべてのものを確認しながら見て歩いた。
 潜水橋を渡った対岸には、手づくり市や商工会議所青年部主催の「ジュニア・エコノミー・カレッジ」まであって、祭りそのものも実に多彩な秋の祭典となっていた。

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2012年12月26日 (水)

岡崎ジャズストリート2012前夜祭

 11月2日(金)。
 以前書いたように、この日は茅ヶ崎市の服部市長の訪問を受けたのと、もう一件来訪者があったのを除くと、朝から夕方の5時半までずっと各部局の事業説明が続いた。そのほかには昼の記者会見で新岡崎名物「家康五平餅」を試食する時間があったくらいだ。
 小学校でも6時間授業だからそれくらいは我慢しろと言われるかもしれないが、県の事業とは用語が異なり、また県市のシステムの違いもありすんなりと頭に入ってこないこともある。どちらにしても1日7時間の事業説明はいささか長すぎる、と思った。

 退庁後、乙川端にある岡崎ニューグランドホテルに向かった。
 夕方6時から行われる「岡崎ジャズストリート2012」の前夜祭に、嫁さんとふたりで招待を受けていたからである。夫婦で音楽を聴きに行くなどということは新婚時代に劇団四季のミュージカルを一、二度見に行って以来だ。司会者の話を聞きながらぼーっとしていたら、挨拶を促された。

「岡崎はドクタージャズとして有名な内田修先生の影響か?隠れたジャズ通という人が多い。ときどき私に『お前はジャズがわかるのか?』と訊く人がいます。わかるとはなかなか言えないが好きではあります。現に私の車のCDにはジャズのスタンダードはあらかた入っています。県庁の帰りに東名高速道路を鼻歌まじりに走っていて、岡崎インターを通り過ぎてしまったことが二回ほどあります。その程度には好きであります。
 岡崎でこうしたジャズの催しが行われるようになってから、五、六年目と記憶しておりますが、どうぞこれからも皆様方のお力で岡崎ジャズ、岡ジャズを育てて下さい。私も同じ内田ですのでがんばります」

つづく

「岡崎ジャズストリート2012」前夜祭

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2012年12月23日 (日)

岡崎平和学園のクリスマス会

岡崎平和学園 クリスマス会

 12月10日(月)。
 県会議員になって間もなく、私は岡崎司厨士協会の顧問になった。「司厨士」とはコックさん、調理師、寿司職人といった食べ物を作る仕事に従事している方たちのことである。この方たちはこれまで34年にわたって「岡崎平和学園」で慰問クリスマス会を開いてみえる。わたくしも、
「慰問クリスマス会をやっていますから一度ご一緒しませんか」
 と言われたのがきっかけで参加することになった。かれこれ20年以上お付き合いさせて頂いている。最初は参加費として会費を持って行っていた。それがある頃から、
「もっと子供の喜ぶプレゼントにした方がいいんじゃない」
 という嫁さんの意見を聞き入れ、ささやかながら毎年嫁さんが自分で買って来て小さな袋につめたお菓子を子供たちに届けるようになった(スポンサーは嫁さんである)。

 最初にこの施設を訪れたときに中島さんという先生から「この子を抱っこしてあげて下さい」と言われ、二歳くらいの女の子を抱っこした。初めは恥ずかしがっていたのだが、ご飯やお菓子を食べさせてあげているうちに私の首に巻きついて来て離れなくなってしまった。きっと親からこういう対応をしてもらったことがなかったのだろう。そのまま2時間近く抱っこしていた。
 プレゼント交換の時間になると、子供たちにささやかなプレゼントが渡された。いまどき文房具や手袋をもらってこんなにうれしそうな顔をする子供たちがいるのかとショックを受けた。それ以来毎年ここのクリスマス会には出席することにしている。

 今年は立場が市長に変わってしまい毎年のようにゆっくりできない。残念ながら途中で退席することになった。
 そのとき子供がひとり私を追っかけて来て、手作りの花とサンタクロースの飾りをくれた。

岡崎平和学園 クリスマス会

 たぶん花はこの施設の先生方が作られたものだと思う。サンタの飾りにはきっとまた今年も子供たちの手紙が入っているんだろうなと思った。毎年のことであるが、こうした対応には心が温かくなる思いがする。

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2012年12月20日 (木)

『リバ!』の連載コラムとインタビュー

『リバ!』2013年1月号

内田康宏事務所からご案内申し上げます。

30年以上前から続く岡崎市のタウン誌『リバ!』(株式会社リバーシブル発行)において、このたび市長のコラムを持たせて頂くことになりました。本日発行の2013年1月号から始まります。タイトルは「内田やすひろの徒然市長日記」です。しばらくはブログからの転載が主な内容となる予定です。
また、同じ1月号では編集長の浅井寮子さんからインタビューを受けました。

『リバ!』2013年1月号

機会がありましたらぜひ一度手にとってご覧下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。

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2012年12月18日 (火)

茅ヶ崎市の服部信明市長

 11月2日(金)。
 この日は朝から、各種決裁と事業説明が目白押しであった。その間をぬって姉妹都市・茅ヶ崎市から服部信明市長が当選祝いにかけつけてくれた。私よりも10歳ほど年下の市長さんであるが、間もなく姉妹都市提携30周年を迎えるため、敬意を表して来岡して下さった。
 本来は新米市長のわたくしの方からご挨拶にうかがうべきであったが、茅ヶ崎から来て頂いたということは何か個人的に心うれしい気がする。なぜかというと、私は少年時代、茅ヶ崎生まれの若大将・加山雄三に大きな影響を受けて育ってきた一人であるからだ。

加山雄三

 私がヨットやスキーを始めたのも、ギターやウクレレを弾き始めたのも、みんな彼の影響である。
 映画若大将シリーズを見ながら、
「男はああいうふうにあるべきだ」
 と思った。歌手でタレントの武田鉄矢氏も同じことを言っていたが、当時“京南大学”という大学が本当にあると信じていた。
 高校一年生のときは、この「恋は紅いバラ」のジャケットの加山雄三と同じ色のトレーナーを探して買い、同じ白色の短パンを履いていつも水泳部の練習をしていた。今から思うとばからしい話だが、私の年代にはそういう人間が結構多いのだ。

 服部市長には、自分が茅ヶ崎に行ってもいない頃から『若大将半生記』という本を読んでいたという話や、加山雄三が中学生のとき自作のボートで烏帽子岩という沖合の岩礁まで行っていたことを知っているという話までした。
 家に帰ってその話を嫁さんにしたら、
「そもそもあなたは根が子供っぽいし、そんなことをぺらぺら喋っていると、今度の市長は軽い人間だと思われるからやめておきなさい!」
 と一言のもとに切り捨てられてしまった。

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2012年12月17日 (月)

第32回 福祉の村クリスマス会

第32回 福祉の村クリスマス会

 12月2日(日)。
 この日は欠町にある「岡崎市福祉の村」を訪問しました。

「クリスマス会は、福祉の村に通所してみえる皆様と、市内在住の心身に障害のある皆様が一堂に会し、親睦と交流を深めることを目的として開催されています。
 岡崎市としましては、福祉サービスのさらなる充実をはかると共に住み慣れた地域社会で自立した生活を送れるような環境づくりができるように今後とも皆様のご意見をうかがいながら、推進してまいりたいと考えております」

簗瀬太市議、内田康宏

 新海正春議長と福祉病院委員長の簗瀬太市議と私らでサンタクロースの格好をして、会場の子供たちにプレゼントを配って回りました。サンタクロースの衣装を着るのは私はこれが初めて。鏡に映った自分の姿を見てなんとも恥ずかしい気持ちがしましたが、こんなことで子供たちが喜んでくれるならまた来年もがんばろうという気になりました。

 控え室で談笑しているときに、プレゼントの袋を肩にかけ、
「大国主命(おおくにぬしのみこと)です」
 などとふざけていましたが、写真を見る限り、サンタクロースというよりも捕獲されたオットセイという感じです(特にわたくしの場合。左は簗瀬さんです)。

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2012年12月13日 (木)

「いいニャ!」の心について

 のっけからラジオ番組の「小沢昭一的こころ」のようになりましたが、これも今週12月10日に小沢昭一氏が83歳でお亡くなりになったせいかもしれない。何を隠そう、私は大学生のとき親戚の水道屋でアルバイトをしていた頃から、あの番組の愛好家の一人であった。軽トラを運転しながらこのトボケた味の語りを聴いていたものだ。
 小沢昭一氏はふざけたことばかり言う博識の助べえオヤジを装っていたが、実は海軍兵学校出のエリートである。太平洋戦争に日本が敗れ、海軍をお払い箱になってから早稲田大学に入り直し、その後芸能活動の道を歩むことになった彼の来歴が改めて報道された(もちろん、私はそのことは前から知っていた)。とりあえず、合掌。

小野印房さんのハンコ

 表題のせいで話がヨコ道にそれてしまったが、現在私は役所の決裁印として上の写真の右側の内田印を使っている。当初はその左隣の百均で買ったハンコを使用していたのだが、いくらなんでも億単位の決裁もあるのに百均ではマズかろうと思い、表通りの「小野印房」さんで一つ作ってもらうことにした。
 ご町内割引きで、1万円を越える値段が8,000円ほどになった。ひょっとすると当選祝いの意味かもしれない。いずれにせよ感謝!

 それから数日後、お店の前を通りかかったとき息子さんに呼び止められた。「内田さんのために特別に作っておいたので、コレも使って下さい」と言って渡されたのが、

小野印房さんのハンコ

 このネコのゴム印である。全部で3つ。どうやら私のブログを見て私をネコ派のマニアだと思ったらしい。発想は面白いと思ったが、流石の私でも「OKです」や「いいニャ!」を決裁印とするのはためらわれるところである。
 それでも折角の心遣いなので、アンケートの回答の時などに使っている。

 私は康生に生まれ育って今年の12月で60年になるが、この町の好きなところはずっと岡崎の中心であったという歴史よりも、こうした隣近所の温かい心遣いが残っている点にあると思う。最近日本も何かと世知がらくなり、人間関係もギスギスしてきて嫌な事件も増えてきているが、まだまだ岡崎は捨てたものではないと思う。
 私がひとりで家のリフォームをやっていたときも、家族は〝モノ好きの趣味〟だと言わんばかりに誰一人手伝ってくれなかったが、隣の「みどりや」のオヤジさんはカナヅチの音を聞きつけて「何、やってんだ?」と窓からのぞきこみ、最新型の電動工具一式を携えて手伝ってくれた。

 私はこうした岡崎人の心遣いを「いいニャ!」と思う。
 このネコたちのゴム印を決裁に使ったときの副市長以下の顔を一度見てみたくなった。

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2012年12月12日 (水)

始打式でいきなりホールインワン

男川老人クラブ・グランドゴルフ選手権大会

 11月24日(土)。
 本日朝8時から、「男川老人クラブ・グランドゴルフ選手権大会」が男川小学校グランドにおいて行われました。私は開会式ぎりぎりに飛び込んだので「遅い!」と叱られましたが、なんとなんと始打式でいきなりホールインワン。さっき叱られたのに今度は拍手喝采となりました。

 今年はまだツキがあるなと思いました。

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2012年12月10日 (月)

当初予算における議会各会派の予算要望

 11月27日(火)
 本日、当初予算における議会各会派の予算要望を受ける。会派ごとに時間を分けて、要望ならびに質問を受けた。
 朝10時からは自民清風会、11時から民政クラブ、午後1時半から公明党、2時半から黎明(れいめい)、3時半から無所属の方々、というスケジュールであった。

岡崎市議会 自民清風会

 自民清風会のみなさん(一部)と私。左から田口正夫市議、杉浦久直市議、山崎憲伸市議、簗瀬太市議、吉口二郎市議、加藤義幸市議。

岡崎市議会 民政クラブ

 民政クラブのみなさんと私。左から太田俊昭市議(副議長)、原田範次市議、加藤学市議、竹下寅生市議、鈴木英樹市議、三宅健司市議、(私を抜かして)柴田敏光市議、井村伸幸市議、井町圭孝市議。

岡崎市議会 公明党

 公明党のみなさんと私。左から井手瀬絹子市議、畑尻宣長市議、村越恵子市議、畔柳敏彦市議。

岡崎市議会 黎明

 黎明のみなさんと私。左から柵木誠市議、横山幽風市議、小木曽智洋市議、中根武彦市議。

 無所属のみなさん(木全昭子市議、鈴木雅子市議、大原昌幸市議)とは写真は撮らなかった。なお大原市議は、ご自身のブログで写真とともに予算要望の内容を記事にしておられます。

 「岡崎市議会議員 大原まさゆきブログ日記」
 市長への予算要望(2012年11月27日)

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2012年12月 8日 (土)

岡崎市議会 平成24年11月臨時会

岡崎市議会 平成24年11月臨時会

 11月5日(月)。
 市長となって初めての本会議場での仕事となる、11月臨時会に臨んだ。県議会よりも小ぶりであるが、38万都市の意志決定機関である議会の殿堂として立派なつくりであると思った。今日は新しい正副議長の選任と、各議員の所属委員会とその役職などを決める大事な議会である。ただ、おおかたのことは事前協議で決まっているので、主に承認を得るだけである。

 議長には新海正春さん(会派:自民清風会)が、副議長には太田俊昭さん(会派:ゆうあい21、現在の民政クラブ)が選出された。お二人は就任と同時に無所属となった。
 そして「市制100周年記念事業検討特別委員会」と「新エネルギー検討特別委員会」が今日、新たに設置された。

 臨時会で決まった主たる役員人事についてご報告申し上げます。(敬称略)

議長 新海正春 (無所属)
副議長 太田俊昭 (無所属)
監査委員 柴田泉 (自民清風会)
監査委員 三宅健司 (民政クラブ)
総務企画委員長 田口正夫 (自民清風会)
福祉病院委員長 簗瀬太 (自民清風会)
環境教育委員長 小野政明 (自民清風会)
経済建設委員長 柴田敏光 (民政クラブ)
議会運営委員長 吉口二郎 (自民清風会)
市制100周年記念事業
検討特別委員長
野村康治 (自民清風会)
新エネルギー検討特別委員長 畔柳敏彦 (公明党)

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2012年12月 6日 (木)

「2013 内田康宏をかこむ新年の集い」のお知らせ

内田康宏事務所から皆様へご案内申し上げます。

2013年の新春を迎えるにあたり、恒例の「内田康宏をかこむ新年の集い」を開催いたします。本年は内田やすひろ後援会、岡崎の未来をつくる会及び支援団体共催にて行います。

日時: 2013年2月2日(土) 午後2時
会場: 岡崎中央総合公園 武道館 (岡崎市高隆寺町峠1)
会費: 1,200円

皆様お誘い合わせの上ご参加下さいますよう、謹んでお願い申し上げます。ご不明な点がございましたら、内田康宏事務所(0564-21-2030)までお気軽にご連絡下さい。

内田康宏をかこむ新年の集い

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2012年12月 3日 (月)

親は火消し、娘は火付け

岡崎市消防団 連合観閲式

 11月25日(日)。
 今日は日曜日であるが、朝から大事な会が目白押しである。まず8時40分に顧問をやっている東部ソフトリーグの秋季大会で挨拶と始球式、その次にニューグランドホテルまで行って消防の制服に着替えて岡崎市消防団の観閲式、次に河合学区の総代会で挨拶、そのあと1時半から日本舞踊の「貞寿会」で来賓挨拶、夕方から夜にかけて消防団の表彰伝達式ならびに懇談会が続く。
 ことに今回初めて臨む消防団連合観閲式はプレッシャーが大きかった。

 消防団の経験もないわたくしが消防団の総元締め役をやるのだ。後援会の中には歴代の消防団の幹部のお歴々がキラ星のようにそろっている。
「消防観閲式で市長がきちっと敬礼を決めて挨拶で消防団を締めることができるかどうかで、次の一年間の岡崎消防の士気が決まる」
 だとか、
「ここしばらく消防の観閲式など見に来たことがなかった。今日はお前がきちんとできるかどうか確かめに来た」
「いい加減な敬礼をやったら、しっかりお仕置きだ!」
 などと次から次へと脅かされる。
 市役所で予行演習をやったときは何とかできると思っていたが、当日が近づくにしたがって段々と心配になってきた。なにせ敬礼はボーイスカウトの三本指の敬礼しかやったことがないのだ。そこで得意の映画に頼ることにした。

 まず、『沈黙の戦艦』に出てくる元特殊部隊のコック役のスティーブン・セガール。
 私の知る限り、敬礼姿でこれほどかっこいい人はいない。映画は、アメリカ海軍の白の正式軍装姿のセガールが敬礼をする場面で終わる。そこを静止画像にして手首の曲げ方から指のそらせ方、二本の指だけ少し段差にさせる点、などをしっかり真似した。

 次に毎年必ず見る『トラ・トラ・トラ!』。
 この映画は私の知る限り、最高の戦争映画のひとつである。何よりもドキュメンタリー・タッチでストーリーが進んでいくのがいい。はじめは日米双方とも何とか戦争を回避しようと努力するのであるが、ある段階を過ぎると、戦いの方向に事態が向かって行くことをもう誰も止められなくなってしまう。これは外交と政治を担う者にとって忘れてはならない教訓だと思う。
 いずれにしてもこの映画の冒頭場面は素晴らしい。当時の連合艦隊の旗艦、戦艦「長門」(戦艦大和はまだ完成してなかった)の艦上に船首から船尾にかけて、真っ白な日本海軍二種軍装(夏服)に身を固めた水兵が敬礼をしながら立ち並んでいる。そこに短艇に乗った山村聡演じる山本五十六連合艦隊司令長官が到着する。迎えの笛の合図のあと、捧げ銃(つつ)が行われ、軍楽隊による「海ゆかば」の演奏が始まる。同じく白の将校服に身を固めた海軍将校たちが歩み進む山本五十六に対して次から次へと敬礼をして行く。その敬礼に対して、山本五十六はゆるやかに手を伸ばしながら軍帽のひさしに人差指を付け、ひとりひとりの兵士に目線を送りながら歩みを続ける。そのときの歩き方、スピード、目線の位置、軍帽の角度などをしっかりと記憶にとどめた。これをきちんと再現できたら誰からも文句を言われることはないだろうと思った。
 ついでにひとことだけ付け加えておくと、『トラ・トラ・トラ!』に出てくるゼロ戦、あれだけは許せない。零式艦上戦闘機というのは第二次世界大戦中最も美しい日本の誇るべき飛行機である。それが映画では本物がないので仕方がないが、アメリカのテキサンをベースにした改造機を使っていた。まず機体のフォルムのなめらかさが違う。決定的なのは主翼である。ゼロ戦の主翼は上から見て機体に直角にとりつけられている。ところがテキサンは後退翼である。この点は看過できない。映画に文句をつけても仕方がないが、見るたびにこの点だけがどうしても気になる。ことに山村聡の登場場面で、いい歳をしながら毎回胸が熱くなるだけに、この部分が何とかならないかといつも思っている。

 ところで、今日の消防観閲式のために、各消防団の人たちは各地でそれぞれ練習を積み重ねてきている。さらに今日は朝7時ころからこの河川敷に集結して準備をして見えていたそうだ。毎年のことであるが、ほんとうにご苦労なことである。こうした人たちの努力のおかげで私たちの日常の平穏な生活が当たり前のように続けられるのである。感謝。

 乙川の河川敷に出向くと、山村聡の山本五十六を迎えた海軍将兵のように岡崎消防署の署長から職員まで次から次へとわたくしに敬礼をしてくる。それに対しておもむろに敬礼を返して行く。このときにあわてて敬礼を返してはいけないのだそうだ。
 式典が始まっていよいよ自分の出番が来る。檀上に上がって指揮官の「かしらーっ、なか」の号令を聞きながら再びゆっくりと敬礼をしながら体を160度回転させる。こうした動作が式典の間に数回ある。どちらにしても数百人の消防団員が私に対して視線を集めて敬礼してくるのである。初めはたいへん緊張していたが、だんだん慣れてくるにしたがって快感に変わってくる。来年からははまりそうである。

「櫓のお七」 岡崎市民会館にて

 父親が火消しの親玉の役をやっているちょうど同時刻に、娘は市民会館で2年に一度行われる「貞寿会」の第19回の発表会で名取の一人として、「櫓のお七」(八百屋お七)を演じていた。八百屋のお七とは、江戸火災のときに避難所で一目ぼれした寺の小姓にもう一度会いたくて江戸の大火を引き起こして、火あぶりの刑に処せられたあの女のことである。どういう理由でこれが日本舞踊の演目になったのか私は知らないが、うちの娘がそれをやりたいと言ったとき、私は、
「まさにお前に適役だ」
 と言ってやった。それに対しうちの嫁さんが、
「あなただけ今度もまた娘の晴れ姿が見られないわね」
 と皮肉っぽく言ってきた。

 あとである人が、
「親父が火消しで、娘は火付けか」
 と私に言った。そのときまで私も気が付かなかったが、まさしくそのとおりであった。
 娘の演技はまたのちほどDVDを買ってから見ることにしようと思っている。

追伸
 今日の貞寿会は、西川貞寿先生がお亡くなりになってから初めての発表会であり、私が公職を辞してからご案内をいただいたため、今回の祝辞と来賓挨拶はご遠慮しようと思っていましたが、寿女司先生からの「母はそう望んでいます」というきっぱりとしたお言葉で肩書きなしの祝辞をパンフレットに載せて頂くことになりました。
 選挙の結果によっては両先生にたいへんな恥をかかせる可能性がありました。当選が決まった瞬間、貞寿会のことが脳裏に浮かんできました。ほんとにほっとしています。

「櫓のお七」 岡崎市民会館にて

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2012年12月 1日 (土)

就任後一ヶ月を経過して

内田康宏

 就任後一ヶ月経って、多くの人から「市長の仕事にもう慣れたか?」と訊かれる。
 そんなに簡単に慣れるわけがない。前にも書いたが、10月21日に万歳をしてからそのまま市長の仕事が始まったようなものである。朝迎えに来る車が、白色から黒色の公用車に変わったが、生活のパターンはまったく一緒である。

 朝、公用車という名の護送車に乗せられて、市役所という名の刑務所につれて行かれる。
 秘書課の看守たち(?)に付き添われ、次から次へと日程通りのスケジュールをこなしていく。ときにはトイレに行くのを我慢しながら仕事をしているときもある。何よりもストレスとなっているのは、公用車で移動していると買い物の用事を思い出しても、私の好きなホームセンターやコンビニに入ることさえままならないことである。
 以前、前市長が就任直後に冗談交じりで、
「こんなふうだとは思ってなかった。こんなことなら1年で辞めだぞ!」
 と言っていたことを思い出した。当時は冗談だと思っていたが、あながち本心であったかもしれないと思う。

 私の場合は選挙が終わってから、即、市長職につくことになったが、先日の豊橋の市長選挙を見ると、当選者の方は2日ほどの猶予があってそれから初登庁であった。この差はいったいどうなっているのだろうか?
 誰かわかる人がいたら教えてほしい。

 間もなく、12月の議会が始まる。
「県会議員を長くやっていたから、慣れていて安心ですね」
 ということを言う人がよくいる。
 議員のときは聞く立場であったが、今度は答える立場である。それに県議会と市議会では議事の進め方も違う。使う用語も違う。予算規模も、これまで継続してきた政策も違う。そうしたことを理解した上で相手の質問に答えなくてはならないのだ。新参者の私としては毎日レクチャーを受けながら各部局と相談して新しい岡崎の政策と予算配分を考えている。しかし、それが議会において認知されるかどうかはやってみなければわからない。
 どちらにせよ、12月の議会を終えてみなければ市長としての本当の実感は湧いてこないような気がしている。

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