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2012年9月21日 (金)

内田やすひろクロニクル 第1回 「生い立ち」

 私の生い立ちから今日に至るまでの歴史をシリーズで書いていきたいと思います。私がどんな人間であるか。いかにして政治家としての道を歩むようになったか。これを機に皆さん、ぜひ知って下さい。


内田やすひろ1

 昭和27年(1952年)12月23日、辰年生まれ。愛知新聞社(注・東海愛知新聞社の前身)の社主であった内田喜久の長男として、岡崎市康生町に誕生。
 写真はキリスト教系の愛隣幼稚園に通っていたワンパク坊主時代のものである。この頃は日活映画の全盛期であり、石原裕次郎がスターであった。決してそのポーズを真似しているわけではない。こういう生意気なガキであったのである。
 当時の子供達の遊びは刃のついていないオモチャの金属刀でのチャンバラや、銀玉鉄砲を使った戦争ゴッコなどであった。私の子供時代であった昭和30年代はテレビが一般的に普及し始めた時代であり、子供達のヒーローは「月光仮面」や「七色仮面」、「快傑ハリマオ」、「赤胴鈴之助」、「白馬童子」などであった。

 黒潮おどる南海に 血風すさぶ離れ島
 生まれてここに十余年 仇なす敵に剣をとる
 ああ 変幻 三日月丸は 快男児

 私は今でも「変幻三日月丸」の歌を口ずさむことができるが、覚えている人がほとんどいないのが悲しい。
 「鉄腕アトム」や「鉄人28号」のマンガが月刊少年誌の紙面におどり、週刊の「少年サンデー」や「少年マガジン」が刊行されたのもこの頃であった。その後テレビはアメリカの戦争ドラマ「コンバット」や忍者モノの「隠密剣士」、NHKの「ひょっこりひょうたん島」が流行り、映画館は若大将・加山雄三がスターの時代となっていた。

 日本の高度経済成長の始まりと共に生活は年々豊かになり、大きく時代が移り変わっていった。安保闘争などで世間は騒然としていたが、古き良き時代であったことは間違いない。(つづく

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