2017年11月20日 (月)

『リバ!』2017年12月号

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内田康宏事務所からお知らせです。
『リバ!』2017年12月号が本日発行されました。
徒然市長日記は「日露戦争の地をゆく」です。

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2017年11月15日 (水)

岡崎北高等学校創立110周年記念式

愛知県立岡崎北高等学校

 本年、岡崎北高等学校が創立110周年を迎え、11月9日(木)午後に記念式典が行われました。OBの一人である私も来賓として出席し、お祝いを申し上げましたので御報告致します。


 本日、愛知県立岡崎北高等学校創立110周年の記念式典が挙行されるに当たりまして、岡崎市を代表して、お祝いのご挨拶を申し上げます。
 ご案内のとおり、岡崎北高等学校は明治40年(1907年)に岡崎町立高等女学校として、ここ岡崎の地で開校されました。それから110年の長きにわたり、岡崎市民のみならず西三河地域に暮らす多くの方々の期待に応えながら順調に発展を遂げられ、今ではこの地域に欠くことのできない存在となっておられます。

岡崎町立高等女学校

(明治40年、随念寺を仮校舎として開校)

 また、「高い知性と豊かな情操、たくましい気力・体力の養成」を教育目標に掲げ、今までに数多くの優秀な人材を世に送り出してこられました。卒業生には岡崎市をはじめ西三河各地で、あるいは日本全国でご活躍をいただき、地域社会の発展に貢献をしていただいているところです。
 これもひとえに、歴代の校長先生をはじめ、教職員の皆様方の熱心なご指導と保護者、同窓会並びに地域の皆様の温かいご支援の賜(たまもの)と、心から敬意を表する次第であります。

 今日は久しぶりに懐かしい体育館の中に入りましたが、私が本校に在籍したのは昭和43年から昭和46年ですから、現在の生徒さんのご両親が生まれる前後のこととなります。しかし今も水泳部の活動の折にプールサイドから見たオレンジ色の夕日の鮮やかさは脳裏にしっかりと残っております。

内田康宏

(内田康宏、岡崎北高3年)

愛知県立岡崎北高等学校

 さて、この110年という長い年月の間に、私たちを取り巻く社会・経済・国際情勢はめまぐるしく変化を遂げています。しかしながら、将来の岡崎市を担うであろう生徒の皆さんの自信にあふれた、堂々とした姿を拝見いたしまして、これまでに諸先輩方から引き継がれた精神がいささかも変わることなく脈々と受け継がれていることを実感し、OBの一人としてもうれしく思っております。
 学校関係者の皆様におかれましては、どうか今後とも優れた教育、学校運営を続けていただきますようご期待を申し上げます。

 岡崎市におきましては市制の施行から101周年を迎え、今年は次の100年に向けて新たな一歩を踏み出す大変重要な年になります。これから数年の内に手がけた事業も次々と実現を迎え、本市の景観も人の流れも大きく変わってまいります。これからも私の究極の目的である、岡崎の子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」を目指し、全力で取り組んでまいりますので、今後とも一層のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
 最後になりましたが、愛知県立岡崎北高等学校が創立110周年を契機としてさらに発展されますこと、並びに生徒の皆さんの輝かしい未来と、本日、ご参会の皆様方のご健勝を祈念いたしましてお祝いの言葉といたします。

平成29年11月9日
岡崎市長 内田康宏

愛知県立岡崎北高等学校

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2017年11月10日 (金)

平成29年度 国道301号・473号合同要望会

国道301号・473号合同要望会

 10月17日(火)、毎年恒例となっている国道301号並びに473号の県への要望活動が愛知県庁で行われました。豊田市、蒲郡市、新城市、本市の4市合同で要望書を提出しました。当日私が申し上げた要望の内容を御報告します。


 皆さまこんにちは。国道473号整備促進協議会の会長を務めております、岡崎市長の内田康宏です。
 本日は河野建設部長をはじめ、愛知県幹部の皆様方、並びに県議会議会の皆様方におかれましては大変お忙しいなか多数のご臨席を賜り心より御礼申し上げます。
 日頃は、愛知県におかれましては、道路、河川をはじめとする都市基盤整備の推進にご理解とご尽力を賜り深く感謝申し上げます。また、豊田市、蒲郡市、新城市の皆さまにおかれましても、日頃より協議会の活動と事業促進にご尽力いただき誠にありがとうございます。

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国道473号
 国道473号は、蒲郡市の国道23号の接続点を起点とし、岡崎市の東部地区、額田地区及び豊田市の下山地区を南北に縦貫し、静岡県牧之原市の国道150号に至る、総延長約260キロの道路です。
 この協議会の圏域においては、南から名豊道路、国道1号、新東名高速道路、国道301号、国道420号などの東西幹線道路と接続する南北幹線道路であり、三河の山と海とを結び、圏域での生活や産業活動を支える地域間交流道路として重要な路線であります。
 また、新たな日本の大動脈である新東名高速道路とは、岡崎東インターチェンジにより唯一のアクセス機能を有しており、国道473号や国道301号による道路ネットワーク網の形成は、わが国における、ものづくり産業の中心であるこの地域において、地域の産業活動を支える都市基盤として大変重要な役割を担うものと考えております。
 国道473号は、この地域におきましては蒲郡港から三河山間部を結ぶ地域間交流道路として、三河圏域の住民生活や産業活動を支え、蒲郡市から新東名高速道路へ物資を運ぶルートとしても機能する重要な幹線路線となっており、今後さらなる交通量の増加が見込まれるところです。また、この路線は第二次緊急輸送道路に指定されており、災害時の緊急輸送ルートとして安全・安心を支える大きな役割を担っている道路です。

 3市それぞれの具体的な要望事項は以下のとおりであります。

1.蒲郡市
「蒲郡市から国道1号までのバイパス計画について、ルートの決定促進を要望いたします。」

2.岡崎市
「岡崎市夏山町及び桜形町の視距(しきょ)改良の整備を要望いたします。」

3.豊田市
「豊田市和合町から神殿町における道路改良事業の促進を要望いたします。」

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 ご承知のとおり、この路線は各所で順次、整備・改良を進めていただいていることから、住民の生活向上や自動車をはじめとする産業活動に、大きく影響を与えているところであります。要望をさせていただいております、蒲郡市から国道1号まで至る区間において、新たなバイパスがつながることにより、岡崎市はもとより岡崎東インターチェンジを利用する大きな圏域から蒲郡港周辺の観光地へのアクセス性の向上が見込まれます。
 また、本市の東の玄関口に位置する本宿駅周辺にて計画しております、広域観光交流拠点完成の暁(あかつき)には、新たな観光ルートが形成され、三河地域への来訪客の増加による、地域の活性化に大きくつながっていくと考えております。
 岡崎市内及び豊田市内における見通しの悪い急カーブや狭隘箇所、車両とのすれちがいが困難といった箇所の整備が進められることで、中山間地域にある多くの観光地へのアクセス性が高まり、観光拠点を活かしたまちづくりが推進することと期待しております。「観光産業都市」を目指す本市はもとより、日本の成長をリードする本県にとりましても不可欠な路線であると思いますので是非ともよろしくお願いいたします。

国道301号
 国道301号は、広域的な幹線道路であるとともに、地域住民の生活に密着した道路でもあります。本市における区間は豊田市との市境を沿うように道が走っており、最近では大型車両の通行が著しく増加しております。
 しかし、切山町の一部では未だ幅員が狭く、車両のすれ違いが困難な箇所があり、歩道も設置されていない状況にあります。この地域における国道301号は住民の生活道路でもあり、一部は通学バスの運行経路に指定されていることから、安全の確保が急務となっております。

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 現在、県ご当局には順次拡幅整備を進めていただいておりますが、事業中の区間の早期完成について改めて要望いたします。
 301号は緊急輸送走路に指定されていることから、災害時には広域的な応急対策活動に対応できるよう、また、市域を越えた交流と地域連携を支援する、広域的なネットワーク確保のためにも一層の整備促進が図られますようお願い申し上げます。

 最後になりますが、県ご当局におかれましては厳しい財源状況とは思いますが、この地域の経済活動の維持・発展と市民生活向上のため、国道473号並びに国道301号の役割を十分ご理解頂きまして、一層の整備促進が図られますよう要望させていただくものでございます。また、本日ご臨席いただいております県議会議員の皆様方におかれましても、この事業の促進に対しましてご支援を賜りますようお願い申し上げます。


平成25年度 国道301号・473号合同要望会 (2014.02.18)

平成27年度 国道301号・473号合同要望会 (2015.11.01)

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2017年11月 6日 (月)

ハッピーハロウィンりぶら2017

ハッピーハロウィンりぶら2017

 台風22号の接近する中ではありましたが、10月29日(日)、予定通り「ハッピーハロウィンりぶら2017」がとり行われました。
 ハロウィンというアメリカのお祭りがここ数年の内に全国に広まり受け入れられている様子を見るにつけ、〝人間の変身願望〟という言葉を改めて考えさせられます。
 私も今年は念願のダース・ベイダーのいとこ、ヤス・ベイダーとして登場できました。(去年第1回の魔法使いはサエなかった。)
 これからも市民の皆様と共に楽しめる行事として育てて行きますのでよろしくお願い致します。

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―午前の挨拶―
『皆さんこんにちは。ダース・ベイダーのいとこのヤス・ベイダーです。
「ワルザえもんとオカザえもんみたい」ですって?
 ワルザえもんはオカザえもんのハトコです。
 今、岡崎市長と紹介されましたが、それは世を忍ぶ仮の姿、本当は闇の戦士ヤス・ベイダーです。よろしく。
 外はあいにくの台風となりましたが、それにもかかわらず本日は多くの皆さんに「ハッピーハロウィンりぶら」にご来場頂きまして誠にありがとうございます。またこの催しにあたり、多数のボランティアの方々に御協力を賜り心から感謝申し上げます。
 今年は子供や親子向けの「デイタイム」に加え、高校生以上の大人を対象とした「ナイトタイム」も開催の予定でしたが、夜の部は台風のため中止となりそうです。(行われました。)
 今おいでの皆様はハロウィンのダークサイドを思う存分楽しんで下さい。ありがとうございました。それでは始まります。』

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(市長室にて)

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2017年11月 1日 (水)

岡崎市上空より(スカイパトロール)

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 10月4日(水)、煙と同様に高い所にのぼることの好きな私は、2年ぶりに「不法投棄監視スカイパトロール」のヘリコプターに同乗する機会を得ました。いつもより小型のヘリであったため助手席に座ることができました。この事業は、近年山間地に不法投棄をする事件が増加していることを受け、平成25年(2013年)から岡崎市が単独で年2回実施しているものです。(→前回のブログ「空から考える岡崎・額田の未来」)。

 上空からの廃棄物監視では、開発地域内での不法投棄や工場敷地内での多量保管など大規模事案は見当たりませんでした。
 この監視の機会を利用して、今回は、藤田学園の大学病院建設予定地など、上空から撮った写真のみを掲載させて頂きました。空から見た岡崎を楽しんで下さい。

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ヘリコプターにも成田山のお守りはあります

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「藤田保健衛生大学 岡崎医療センター」建設予定地

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岡崎市の中心市街地

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整備中の「トヨタ自動車新研究開発施設」(テストコース含む)

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整備中の「トヨタ自動車テストコース」

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花園工業団地(恵田町、真福寺町)

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滝山寺と岡崎市立常磐中学校

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東公園の恐竜モニュメント(来年2月に仲間が増えます!)

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岡崎公園、りぶら

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2017年10月28日 (土)

友好都市・フフホト訪問記 5.日露戦争の地をゆく

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 今回、大連を訪問するにあたり、私がどうしても足を運びたいと希望したのが郊外にある203高地旅順港であった。ちょうど「友好の翼」で参加された皆さんの訪問コースとなっていたため同行することとした。ただし時間の都合で旅順港は山上からの見学となった。
 明治維新後の我が国の歩みの方向性を決めるターニング・ポイントとなったのは、この日露戦争における勝利である。白人の巨大国を破った有色人種の東洋の小国の存在は世界に大きな影響を与え、同時に日本の国際的地位を高めることになった。軍事的に自信を持った我が国の歩みは、この時に決したとも言える。

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 しかし、戦いに勝利したとは言え、その実態はアメリカの仲介による〝水入り〟の勝利であり、日本の払った犠牲はロシアを上回っており、講和時においてそれ以上の戦いを続けることは不可能であった。対してロシアは欧州に陸軍の精鋭部隊を残していた。日本海海戦における奇跡的な大勝利のイメージが強く、ギリギリの勝利であったことが忘れがちとなっている。しかもその日本海海戦の勝利も、203高地の奪還と、そこからの28センチ榴弾砲による旅順艦隊のせん滅により、バルチック艦隊と五分の勝負ができたことによるものである。
 もし203高地の陥落が遅れたり、奪還できなかった場合、生まれて間もない日本海軍はバルチック艦隊と旅順艦隊の合流した倍する敵と海上で相まみえることとなり、制海権を失った日本軍は増援も無く、大陸で孤立し、逆に欧州から送られたロシア軍に叩かれ、日本はロシアに隷属する運命となったはずである。そう考えると203高地の戦いは日本の運命を賭けた戦いであったと言えるのである。

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(二十八糎榴弾砲)

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 富士ファインの大連工場を訪れた私たちは昼食後、水師営(すいしえい)に向かった。ここは日露戦争における両軍の巨頭、乃木大将、ステッセル中将の会見の場であるが、現地はひなびたあばらやが建つのみだった。

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 玄関の小部屋の左右に、それぞれ10畳ほどの部屋が一つずつあるだけで、ボロボロの土壁の様子を見てもとても歴史的会見の行われた場所とは見えない。中に牛でも飼って農具が置かれていたとしても一向に不思議ではないたたずまいであった。現在は博物館として使われており、右側の部屋には写真と解説のパネルがあり、左側の部屋には戦いの遺品や書などが並べられてあった。そこにあるモノはすべて当時の本物であるということであったが、どうにもウソっぽい様子だった。懐中時計などは現在も動いており、しかもどれでも1個1万円で販売するというのである。それを聞いていかにもこの国らしい商売であると思った次第である。むろん本物ではあるまい。
 わざわざこの地を訪れるのは日本人ばかりであり、中国政府に日本帝国の勝利を記念する施設を整備する意志はなく、荒れゆくままである。しかも本物の建物は一度崩され、現存しているモノは似た建物を使って観光用に再建されたモノなのだそうである。「このままでは施設を維持できないので、寄付すると思ってオミヤゲを買ってくれ」と言うが、値段が結構高く、信憑性もあやしいモノが多かったので私は何も買わなかった。たとえ寄付したとしても本当に施設のために使われる保証すらないのである。

 次に山上の203公園に出かけた。かつての激戦地203高地は今は緑地公園として使われており、緑の山となっていた。現在山頂に残っているモニュメント、石碑、当時の大砲などは日本統治時代に整備されたモノがほとんどである。バスから降りて山頂まで20分ほど徒歩であるが、かなりの急斜面であり、年輩の方には厳しい行程であった。

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 映画でおなじみの戦場としての203高地は、度重なる戦いにより砲弾で耕された赤土山のイメージが強いのであるが、現在は緑の木々に覆われた行楽地となっている。砲弾と機関銃の弾を浴びながらこの急な斜面に塹壕を掘り、鉄条網を破りながら屍(しかばね)を越え突撃を繰り返したのである。
 ただ登るだけで息の切れる急斜面の上で、今から120年ほど前に血で血を洗う大激戦が行われたことを想像することは難しい。時の経過というのはそうしたものであり、すべてを過去のものとして記憶の彼方へ押しやってしまう。山頂からの眺めはただのどかな緑の広がりを見せるだけである。

 日本陸軍の司令官、乃木希典(まれすけ)大将は金州城の攻防戦で長男・勝典を亡くし、203高地の戦いで次男・保典も失っている。登頂の途中、次男の戦死場所に碑があると知り足を運んだが、道が崩れておりたどりつくことができず、その方向に黙とうをして戻ってきた。
 乃木大将は明治天皇の崩御に際し、妻と共に殉死しており、明治という一つの時代のために一家を捧げることになった。近代になっても武士の価値観を捨てられなかった、文字通りラスト・サムライの一人であったと言えよう。

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(乃木大将の妻と二人の息子)

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 元来、乃木大将は軍人というより学究的性格の強い人であり、後に学習院の校長となり、幼時の昭和天皇の教育係となっている。漢詩における素養は中国人の学者もうならせるものがあり、その作品は今日もなお詩吟としてうたわれ、書の題材となっている。
 またこの戦争は日本が初めて戦った近代戦であり、第一次世界大戦に先立って機関銃の洗礼を受けている。当時の日本軍の軍服は黒地であり、赤土山ではさぞ目立ったことだろうと思う。おまけに白ダスキ隊という決死隊を募って切り込み作戦を行ったのであるが、黒い軍服に白ダスキではまるで「ここを撃って下さい」と言わんばかりである。そんなことも想像できないほど当時の日本人は純朴であったのだろう。
 「国のために命を捧げる」精神を双手を挙げて讃える気はないが、現在の日本という国がそうした先人の献身の上に成り立ったものであることを私達はしっかりと記憶しておかなくてはならないと思っている。

 この訪問記の終わりに、日露戦争後、東郷平八郎司令長官によって読まれた連合艦隊解散の辞(秋山真之参謀起草)の抜粋でしめくくりたい。

 百発百中の一砲、
 能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、
 我等軍人は主として武力を
 形而上に求めざるべからず。

 惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、
 時の平戦に由り其の責務に軽重あるの理(ことわり)なし。
 事有れば武力を発揮し、事無ければ之を修養し、
 終始一貫その本分を尽(つく)さんのみ。

 神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め、
 戦はづして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、
 一勝に満足し治平に安んずる者より直(ただち)に之をうばふ。
 古人曰く勝つて兜の緒を締めよと。

 近年になり発見され公表された資料を読むにつけ、日露の戦いに日本が勝てたことがまことに不思議に思われる。国力の差に加え、当時の人種間における偏見、今と変わらぬ大国間のパワーゲーム、そうしたものを再検証すればするほど改めて〝天佑神助〟という言葉を想起することになる。

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*連合艦隊について
 今の自衛隊もそうであるが、通常はそれぞれの決められた管区(ブロック)に分散して任務を担っている艦隊が、非常時(開戦時)に一隊となって行動する時〝連合艦隊〟と呼ばれる。(連合艦隊旗艦「三笠」の絵はウィキメディア・コモンズから拝借しました。)

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2017年10月24日 (火)

友好都市・フフホト訪問記 4.書道交流と富士ファインの挑戦

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書道家交流会
 大草原のパオ型ホテルから帰ってきた我々はフフホト市青少年センターで行われた書道家の交流会に出席した。この10年ほど、岡崎とフフホトの交流は、このところの日中間の国際関係の悪化と鳥インフルエンザ、狂牛病などの影響により滞っていたが、両市の書家の先生方の民間交流はしっかりと継続されていたのである。
 ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館のように螺旋(らせん)状の坂道の壁面にしつらえた展示コーナーに、岡崎の子供達の絵や書と共に先生方の書も展示されていた。

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 旧知の間柄である書家の先生方の交流ぶりを端で拝見していて心暖まるものを感じたのは私ばかりではなかったと思う。簡単な式典と記念撮影の後、フロアに用意された墨(すみ)と筆により相互に記念の書を書くことになった。「お前さんも書け」と言われないかと冷や冷やしていたが幸いそれはなく、ホッとしたものである。

 現在この地の書道界の重鎮の一人となっている高延青(コウエンセイ)氏は元フフホト市の副市長で、友好都市提携を締結後、最初の訪問団として岡崎市に来られた方であり、私に対し「一衣帯水」と大書した書を揮毫(きごう)して頂いた。一衣帯水という言葉は、山岡荘八氏の小説『徳川家康』の冒頭に出てくる言葉であるが、現実の東アジア情勢はお世辞にも穏やかな海と言えないことは残念である。
 国家間における関係は時の政治事情によって左右されることもあるが、民間の友情や信頼関係がそうしたものを超えて継続できるということを、今回の書道家の皆さんの交流から教えて頂いた気がしている。

大連へ向けて出発
 フフホト市での公式日程を終えた私達は、予想外の雨とカミナリの中を空港へと向かった。日程を終えたあとの天候の変化は一向に構わないが、今回も概して天候には恵まれた旅となった。
 天候には恵まれたものの、この国の交通機関の正確性は相変わらずアテにならない。フフホトから北京空港へのフライトはまたもや1時間あまり遅れた。おまけに到着した北京空港では、パイロットがゲートを間違えたのか管制塔の誘導ミスなのか、旅客機に乗ったまま空港内を20分あまりドライブすることとなった。
 こんなことは初めての体験であるが飛行機で空港内をぐるっと一周したのである。そのため大連(だいれん)行きの便への乗り継ぎがギリギリとなってしまった。

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 さらに、これまで一度も時間どおりに飛んだことがなかったのに、今回の大連行きは時刻表どおりに飛ぶという皮肉な形となった。時間どおりと言っても、大連到着は午後11時過ぎであり、この国で余裕のある旅をすることはなかなか容易なことではないようである。

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富士ファインの挑戦
 訪中5日目となる翌朝、岡崎から中国に進出している富士ファイン株式会社の工場見学に出かけた。
 かつて岡崎から繊維関係の会社が何社も中国に進出したものの、相次ぐ法律の改正と中国政府の方針変更により、事業の継続を断念して撤退したという話を何度も聞かされたことがある。そのような経済環境の中、天安門事件で大揺れしている中国に進出を決定し、今日まで堅実な事業発展を続けてみえる富士ファイン株式会社の存在には、以前から強い関心を持っていた。

富士ファイン株式会社・大連工場

 富士ファインは旧名「富士電線電器」といい、工業用の銅線を製造してきた会社である。単に銅線を作るだけならば、どこの国でもできそうなことである。国家の都合でルールが変わる不安定な環境の中でこの会社が存続し発展してきているというのは、他の追随を許さない12ミクロンの銅線を作ることができたからである。12ミクロンというのは人の髪の毛の5分の1の細さであり、手に持っても、しかと分からない重さである。
 現在このレベルの銅線を安定した品質で作り出せる技術を持っているのは富士ファインを含めて世界中で2社だけであるという。この銅線を作るための銅も純度の高いモノが要求され、1キロ70万円するそうである。IT時代において小型で高性能のモーターが求められる中、この銅線は不可欠な存在であるという。この製品を作るための専用の工作機械をオリジナルな仕様で作り上げているそうである。

富士ファイン株式会社・大連工場

富士ファイン株式会社・大連工場

 そしてもう一つ、富士ファインが力を入れているのは人材の育成である。
 近年は本国日本においても若年労働者が長続きせず、「3年もたずに離職する者が多い」と言われる中、この会社では創業以来の熟練労働者が多いという。真剣なまなざしで作業に集中している大勢の若い女性労働者の様子を見て、中国人の伝統的生活様式(大家族主義)を理解しながら、働く人ひとりひとりを大切にし、個々の能力を的確に判断し、適材適所の仕事を与えてその能力を伸ばしていることに成功の秘訣があるように感じたものである。 (つづく

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2017年10月20日 (金)

友好都市・フフホト訪問記 3.ランブル草原にみるモンゴルの生活

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歓迎夕食会
 フフホト到着2日目の夜、ホテルの大ホールで歓迎夕食会が開かれた。
 4月に先方が岡崎にみえた時は、相互に提携30周年のお祝いの挨拶を述べ飲食を行うという簡単なものであったが、その夜のフフホト市側の歓待ぶりには恐れ入ってしまった。馬頭琴の名手の演奏に始まり、民族衣装を着たお嬢さん達の集団演舞やプロ歌手の独唱等々盛りだくさんのものであった。答礼として訪問団で日本の歌を合唱したが、こんなことなら誰か〝宴会男(女)〟を連れて来るべきであったと後悔したものであった。

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 中国の宴会での困りもの(?)が「乾杯」である。全員で行うものばかりでなく、個別に何回も杯を上げるのである。左手に杯を持ち、右手の薬指の先を酒に浸して「天の神様」「地の神様」「御先祖様」へと、それぞれ上、中、下へ指先の酒をはじいてから杯の酒を飲み干すのである。これにまともに付き合っていたら、たちまちダウンである。40度を超える中国の地酒の乾杯作法には私のような下戸はとてもついて行けない。幸いこの点は我が訪問団の原田議長はじめ、酒豪の皆さんに助けて頂くことができた。

大草原ツアー
 3日目は早朝にホテルをチェックアウトし「大草原ツアー」に出かけることとなった。フフホトから車で3時間程の地にランブル草原はあった。
 地平線まで緑のじゅうたんが敷きつめられたような景観の一角に、パオを模した観光客用のバンガローが立ち並んでいた。

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 遠目にはパオのように見えるが、近づいてみると1棟ごとに個別に建てられたコンクリート製の小ホテルとなっている。見た目はきれいで窓も大きく近代的な整備も備えているが、電化製品の故障やドアのロックの不具合が特別なことではないというのがいかにも大陸国家中国的であると言える。
 バンガロー型ホテル群には牧場が併設されており、牛、馬、羊に加えてヤギやアルパカなども飼育されていた。

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 10メートル四方に囲われたヤギのゲージに私が近づいたところ、他の動物達とは異なりヤギが逃げ出した。なぜかと思ったが逃げ出す訳である。観光客が来る度に自分達の仲間が1~2匹ずつ消えてゆくのである。正に〝イケニエのヤギ〟である。我々が隣のパオの中でミルクティーを振る舞われ、民族衣装を着てハシャイでいる裏手では逆さ吊りにされたヤギが解体されているのである。
 どうも肉を常食とする民族と、焼き肉やステーキを食すようになったとはいえ、その根(ルーツ)が草食系である我々とは感性において違いがあるようである。

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 その後、草競馬を観戦し乗馬を楽しむことができた。
 そして再び、モンゴルの伝統的な大宴会である。こちらも隣接したホールの中でモンゴルの王族・高官の衣装を着て宴席に臨む、というショーアップされた近年始まったばかりのサービスであるという。
 屋外・屋内ともにモンゴル系の若者達による民族舞踊が続けられた。それにしてもモンゴルの踊りは中国や東アジアの踊りと比べてもハイテンポで軽快な、現代的なものであった。かつてユーラシア大陸を席捲したモンゴルの騎馬軍団のあり様と相通ずるもがあるような気がする。

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 とかく王族の軍装は、その権威を示す意味もあって装飾的で頑強であり、しかも重く、騎馬による戦いに合った軽く動きやすいモンゴルの軍装とは対照的であったと言われている。そのため騎乗して弓を使った速攻を行い、高速移動しながら戦うモンゴルの戦法に太刀打ちできなかったのである。しかも彼らは引くと見せかけて、追う敵に対し馬上、弓の背面撃ちをするといったテクニックを持ち、相手側の被害はより大きくなった。高速性を維持するために戦士達はそれぞれ複数の馬を用意し、戦いに臨んでいたという。
 暇な学者がいるらしく、チンギス・ハンの正式な妻、愛人、征服地においてできた子供やその子孫について調べたところ、彼のDNAを引き継ぐ人間が全世界におよそ1600万人ほどいるという。全モンゴル兵についてまで研究が進めば、人類の何割かはモンゴルの血が入っているであろうことが予想される。

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 ホール内で主席に案内された私と妻はモンゴル王と妃の衣装を着させられることとなったが、これがまた重く暑苦しいシロモノであり、座っているだけでも難行苦行であった。おまけにその格好で場内を一周して、ホールの中央に皿に乗せられて出てきたヤギの首を切るように言われたことには閉口してしまった。
 代表として貴重な体験ができ、大変思い出に残るものであったが、次回は副市長に来てもらうことにしようと思っている。 (つづく

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2017年10月19日 (木)

『リバ!』2017年11月号

内田やすひろの徒然市長日記

内田康宏事務所から『リバ!』2017年11月号発行のご案内です。
三猫と一犬との共同生活始まる」が掲載されました。

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2017年10月17日 (火)

東海愛知新聞『友好都市 呼和浩特訪問記』のお知らせ

『東海愛知新聞』2017年10月17日

 ブログと平行して、今日から東海愛知新聞にフフホト市、大連市、旅順の訪問記の連載を始めます。全5回の予定です(10月17日~21日)。お読み頂けたら幸いです。

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